ファン・メーラント型 敷設艦

"Van Meerlant" Class Minelayer
Mijnenlegger "Van Meerlant"klasse


オランダ海軍 オランダ海軍


Hr.Ms. Douwe Aukes
「ダウ・オークス」(1937年)
スペックデータ(【 】内はDouwe Aukesが大戦中に換装した兵装)
排水量:(基)687t ボイラー:Yarrow罐・石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭115t
全長:(垂)54.8m
全幅:8.7m 主機:往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:3.2m
出力:1,000hp
武装:
52口径75mm単装砲3基【2基撤去し、39口径40mm単装砲2基、70口径20mm
単装機関砲1基】、12.7mm単装機銃2基【2基とも撤去し20mm単装機関砲1基】、
機雷60個搭載可能
最大速力:13.0kt
航続距離:不明
乗員定数:60名

同型艦名(2隻)
ファン・メーラント [Van Meerlant]ダウ・オークス [Douwe Aukes]

ファン・メーラント型敷設艦について

 第一次大戦終結後に建造が開始された敷設艦。「ヒードラ」型の拡大改良型として設計されているため、船体形状などはよく似ている。
 兵装も「ヒードラ」型と同等で、機雷搭載デッキを船体内に持つことも同じであった。機関は若干出力を強化されており、最高速度は2ノットほど向上している。

 第二次大戦でオランダがドイツに降伏した際に、当クラスは2隻ともイギリスへ向け脱出している。しかし、最高速度も低く航続距離も限られた当クラスは船団護衛などに使用することはできず、イギリスの地方港湾防衛に使用されるのみであった。なお、防衛任務では多くの乗員を必要としなかったため、余剰となった乗員は英海軍指揮下にあった他のオランダ艦(「ヤーコプ・ファン・ヘームスケルク」「イサーク・スウェールズ」へ転属した。
 「ファン・メーラント」はテムズ川河口で触雷沈没してしまったが、「ダウ・オークス」は終戦まで生き残り、戦後はオランダへ帰還して1960年代まで使用されている。

 なお、当サイトでは当クラスのネームシップを「ファン・メーラント」としたが、資料によっては戦後まで生き残った「ダウ・オークス」をネームシップとしているものも見受けられる。

ファン・メーラント型敷設艦の歴史
ファン・メーラント [Van Meerlant]
1919年10月14日ガスト造船所[scheepswerf Gusto]にて起工
1920年11月23日進水
1922年 7月25日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発。オランダ周辺への機雷敷設に従事
1940年 5月10日(ドイツ軍がオランダ侵攻を開始)
       5月16日オランダ降伏によりイギリスへ向け脱出
フリシンゲンを出港し、同月19日にポーツマスへ到着
       7月〜シェアーネス[Sheerness]沖のテムズ川河口への機雷敷設に従事
       8月〜テムズ川河口域の閉塞防御任務に従事
1941年 4月29日オランダ海軍除籍。同日英海軍籍へ編入
       6月 4日テムズ川河口にて触雷沈没
ダウ・オークス [Douwe Aukes]
1919年10月28日ガスト造船所にて起工
1922年 1月23日進水
      11月 2日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発。オランダ周辺への機雷敷設に従事
1940年 5月10日(ドイツ軍がオランダ侵攻を開始)
       5月14日オランダ降伏によりイギリスへ向け脱出
フリシンゲンを出港し、同月19日にポーツマスへ到着
      10月〜サウサンプトン[Southampton]の閉塞防御任務に従事
      12月 1日独軍機の攻撃を受け、至近弾により軽微な損傷を負う
1941年 2月〜テムズ川河口域の閉塞防御任務に従事
       4月29日オランダ海軍除籍。同日英海軍籍へ編入
1945年オランダへ返還。オーバーホールを実施
1948年 3月15日オランダ海軍へ再就役
1948年末退役。改修の後、翌年9月に消防船となる
1950年 5月〜掃海艇修理船として使用される
1959年〜ヘレヴートスライス[Hellevoetsluis]にて掃海艇隊の宿泊船として使用される
1962年 2月 1日除籍。同年7月スクラップとして売却


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