ヒードラ型 敷設艦

"Hydra" Class Minelayer
Mijnenlegger "Hydra"klasse


オランダ海軍 オランダ海軍


Hr.Ms Hydra
Hr.Ms. Medusa
(上段)「ヒードラ」/(下段)「メデューサ」(どちらも1920年頃:Photo from Wikipedia Commons)
スペックデータ
排水量:(基)593t ボイラー:Werkspoor製円罐・石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭72t
全長:49.7m
全幅:9.0m 主機:往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:2.75m
出力:900hp
武装:
52口径75mm単装砲3基、12.7mm単装機銃2基、
機雷70個搭載可能
最大速力:11.0kt
航続距離:6ktで1,400浬
乗員定数:59名

同型艦名(2隻)
ヒードラ [Hydra]メデューサ [Medusa]

ヒードラ型敷設艦について

 オランダは陸軍国だったため、オランダ本国を守る海軍はあまり大きな戦力を持たず、戦略としては港湾や河口、沿岸部の防衛が主であった(欧州では手に入らない富を生む海外植民地の防衛に関しては別問題)。そのため19世紀末になって近代的な機雷が発達してくると、機雷を敷設するための専用艦艇を建造したのは自明のことであった。
 1910年から建造計画が始まったオランダ海軍初の専用敷設艦は、沿岸部用のフェリー(貨客船)を基にして設計されており、艦後部の船内に機雷搭載デッキが施されていた。石炭ボイラーにレシプロ機関の組み合わせで10ノット超の最高速度を発揮している。当クラスは以降に建造されるオランダ海軍敷設艦のプロトタイプとして、ほぼ成功作と言えるものであった。

 第二次大戦が勃発すると当クラスもオランダ周辺で機雷敷設を行っているが、ドイツ軍の侵攻によりオランダが降伏する状況になると、「メデューサ」はイギリスに脱出したものの、「ヒードラ」はドイツ軍に捕獲されてしまっている。
 しかし、どちらの艦も老朽化していたためイギリスもドイツも、これらの艦に新たな任務を与えることは無かったのである。


ヒードラ型敷設艦の歴史
ヒードラ [Hydra]
1910年10月 1日アムステルダム海軍工廠[Rijkswerf, Amsterdam]にて起工
1911年 7月 7日進水
1912年 1月25日竣工
1921年 2月水雷艇「Z3」と衝突し沈没
       4月〜浮揚後、修理を実施。23年に部隊へ復帰
1939年 9月〜第二次大戦勃発。オランダ沿岸部へ機雷敷設に従事
1940年 5月10日〜(ドイツ軍がオランダへ侵攻を開始)
       5月11日フェールセ[Veerse]湖にて独軍機と交戦(1機撃墜との説あり)
       5月15日シント・フィリプスラント[Sint Philipsland]付近にて独軍の砲撃を受け損傷
沈没を避けるため浅瀬に座礁する
 独軍により解体処分される
メデューサ [Medusa]
1910年12月12日アムステルダム海軍工廠にて起工
1911年 6月23日進水
      12月20日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発。オランダ沿岸部へ機雷敷設に従事
1940年 5月10日〜(ドイツ軍がオランダへ侵攻を開始)
       5月14日イギリスへ退避するよう命令がでたため、オランダを脱出
同月19日ポーツマスへ到着、26日ファルマスへ移動
1940年 8月〜係留練習船や倉庫船、宿泊船などとして使用される
1946年 1月終戦後、オランダへ帰還。潜水艦部隊の宿泊船として使用される
1951年〜掃海艇部隊の修理船として使用される
1964年 6月 5日除籍。スクラップとして売却


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