ブリニオ型 砲艦

"Brinio" Class Gunboat
Kanonneerboten "Brinio" klasse


オランダ海軍 オランダ海軍


Hr.Ms. Brinio
「ブリニオ」(1930年:Photo from Wikipedia)
スペックデータ
排水量:(基)530〜545t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油34t
全長:52.7m
全幅:8.52m 主機:ディーゼル機関×2基、2軸推進
   (Brinioはメーカー不詳、FrisoはWerkspoor製、GrunoはMAN/Smit製)
   (後にGermania製、MAN製、Sulzer製へ換装。1,500hp)
吃水:2.75m
出力:1,200hp
武装:
47口径10.5cm単装砲4基、12.7mm単装機銃2基
(Grunoのみ1941年に39口径40mm単装機関砲2基、爆雷投下ラック
2基を追加)
最大速力:14.0kt
航続距離:6ktで1,440浬
乗員定数:52名

同型艦名(3隻)
ブリニオ [Brinio]フリゾ [Friso]グルノ [Gruno]

ブリニオ型砲艦について

 オランダ海軍が第一次大戦前に計画・建造した航洋型砲艦。オランダは運河の多い国だったため、運河を利用した国土防衛に活用できるよう船体サイズが設計されている。兵装は10.5センチ単装砲4門と強力なもので、機関は即応性を重視したディーゼル機関となっている。また魚雷や機雷による被害を防ぐため船体には装甲が施されている。

 第一次大戦時のオランダは中立国だったため、竣工したばかりの当クラスに出番は無かった。しかし第二次大戦が勃発しドイツ軍がオランダへ侵攻すると、「ブリニオ」「フリゾ」の2隻は緒戦で沈没してしまい、1隻だけ残った「グルノ」のみがイギリスへ逃れている。「グルノ」は終戦まで生き残り、戦後も1950年まで現役であった。


ブリニオ型砲艦の歴史
ブリニオ [Brinio]
1911年10月16日アムステルダム海軍工廠[Rijkswerf uit Amsterdam]にて起工
1912年 8月12日進水
1914年 9月 8日竣工
1940年 5月防衛のためアイセル湖艦隊[IJselmeerflottielje]へ配属される
       5月10日(ドイツ軍のオランダ侵攻が開始)
       5月12日アイセル湖デン・ウフェル[Den Oever]沖にて独軍機の攻撃を受ける
命中弾は無いが、至近弾により損傷を負う
       5月14日応急修理後、イギリスへ脱出するよう命令が出されるが、脱出は中止となりエンクホイゼン[Enkhuizen]へ帰還する。
その後、エダム[Edam]へ向かい自沈するよう命令が出るが、日が暮れて行動が困難となったため、エンクホイゼン港にて自沈した
1942年10月12日ドイツ軍により浮揚され、後に解体処分となる
フリゾ [Friso]
1911年11月 2日アムステルダム海軍工廠にて起工
1912年 8月29日進水
1915年 7月 2日竣工
1940年 5月防衛のためアイセル湖艦隊へ配属される
       5月10日(ドイツ軍のオランダ侵攻が開始)
       5月12日アイセル湖スタフォーレン[Stavoren]沖にて独軍機の攻撃を受け大破
蘭掃海艇「ピーター・フロリス」の砲撃により自沈処分
1943年 3月15日船体を浮揚。後に解体処分
グルノ [Gruno]
1912年 2月12日アムステルダム海軍工廠にて起工
1913年 5月26日進水
1915年 7月15日竣工
       5月10日(ドイツ軍のオランダ侵攻が開始)
       5月14日イギリスへ向けオランダを脱出。翌日イギリスへ到着
       5月29日〜テムズ川にて警備任務に従事
1942年 3月退役。オーバーホールを実施
      11月23日オーバーホール完了。再就役
1944年 5月16日退役。係留掃海艇隊母船として使用される
1945年 6月オランダへ帰還。係留宿泊船として使用される
1950年 1月除籍。後に解体処分(?)


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