ピート・ハイン型 駆逐艦

"Piet Hein" Class Destroyers (Admiralen Class 1st Group)
"Piet Hein" Klasse Torpedobootjagers (Admiralenklasse Eerste groep)


オランダ海軍 オランダ海軍


Hr.Ms. Piet Hein
「ピート・ハイン」(1930年頃:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ(竣工時:兵装は標準的なもの)
排水量:(基)1,316t ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×2基 燃料搭載量:重油330t
全長:(全)98.14m
全幅:9.46m 主機:Parsons式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:2.76m
出力:31,000hp
武装:
45口径12cm単装砲4基、3inch単装高角砲2基、12.7mm単装機銃4基、
53cm魚雷3連装発射管2基、爆雷投射機4基、機雷24個(投下軌条2)、
水偵1機搭載
最大速力:34.0kt
航続距離:15ktで3,300浬
乗員定数:129名

同型艦名(4隻)
ピート・ハイン[Piet Hein]エヴェルトセン[Evertsen]
ファン・ゲント[Van Ghent]
(当初はデ・ロイテル(初代)[De Ruyter]
コルテノール[Kortenaer]

ピート・ハイン型 駆逐艦について
 オランダ海軍が第一次大戦前に建造した小型の駆逐艦では、列強各国の大型駆逐艦に対して弱小であり、また外洋での行動にも制限があったことから、1920年代になって大型の駆逐艦を建造する計画が立てられた。この新型駆逐艦は設計にイギリスの支援を仰ぎ、ヤーロー社が設計した英海軍駆逐艦「アンバスケイド」をタイプシップとして行われたが、第一次大戦でオランダが学んだ戦訓や東インド領での運用実績から、オランダの独自設計として水上偵察機の搭載や新型の火器管制装置なども盛り込まれている。船体の形状は英駆逐艦に類似しているが、搭載兵装はスウェーデンのボフォース社製とされている。
 1928年に順次竣工した当タイプは旧来の小型駆逐艦と交代してゆき、1930年代には蘭領東インドにて任務に従事していた。そのため1941年に日本軍が侵攻を始めると、日本艦隊の矢面に立たされることとなり、強力かつ優勢な日本艦隊との交戦で武運つたなく全艦が戦没してしまっている。

ピート・ハイン型 駆逐艦の歴史
ピート・ハイン[Piet Hein](船体記号 PH)
1925年 8月26日ベルゲハウト造船[Burgerhout's Scheepswerf en Machinefabriek]にて起工
1927年 4月 2日進水
1929年 1月25日竣工
1930年代〜蘭領東インドへ配備され、南シナ海などで任務に従事
1938年10月13日スンダ海峡にて軽巡「ジャワ」と衝突、損傷を負う
1939年 9月〜第二次大戦勃発。独軍の通商破壊をおそれ船団護衛や哨戒任務に従事
1941年12月〜太平洋戦争勃発。英海軍と共同で船団護衛などに従事
1942年 2月19日〜日本軍のバリ侵攻阻止のためジャワ島を出撃
       2月20日バリ島南東にて日本艦隊と交戦(連合軍呼称:バドゥン海峡海戦)
(日本側呼称:バリ島沖海戦)日駆「朝潮」の雷撃を受け沈没
エヴェルトセン[Evertsen](船体記号 EV)
1925年 8月 5日ベルゲハウト造船にて起工
1926年12月29日進水
1928年 4月12日竣工
1930年代〜蘭領東インドへ配備され、南シナ海などで任務に従事
1939年 9月〜第二次大戦勃発。独軍の通商破壊をおそれ船団護衛や哨戒任務に従事
1941年12月〜太平洋戦争勃発。英海軍と共同で船団護衛などに従事
1942年 2月27日ABDA艦隊と供にスラバヤ入港。ABDA主隊は日本艦隊発見のため反転迎撃に
うつるが、当艦は燃料不足のためスラバヤへ帰還した
       2月28日ABDA艦隊の敗走(スラバヤ沖海戦)により、当艦もコロンボへの撤退が指示される
       3月 1日スンダ海峡へ向けジャワ海を航行中、日駆「白雲」「叢雲」と交戦、沈没
(連合軍呼称:スンダ海峡海戦)(日本側呼称:バタビヤ沖海戦)
ファン・ゲント[Van Ghent](船体記号 DR → GT)
1925年 8月28日王立スヘルデ工廠[Koninklijke Maatschappij De Schelde]にて起工
当初の艦名は「デ・ロイテル(初代)」[De Ruyter]
1926年10月23日進水
1928年 5月31日竣工
1930年代〜蘭領東インドへ配備され、南シナ海などで任務に従事
1934年10月 1日艦名を「ファン・ゲント」と改名
1939年 9月〜第二次大戦勃発。独軍の通商破壊をおそれ船団護衛や哨戒任務に従事
1941年12月〜太平洋戦争勃発。英海軍と共同で船団護衛などに従事
1942年 2月 4日カンゲアン沖の日本軍輸送船への攻撃を企図するが、日本軍機の妨害により失敗
       2月15日パレンバン沖の日本軍輸送船への攻撃に出撃するが、バンカ島とビリトン島の間の
海峡にて座礁。船体放棄の後、僚艦の砲撃により自沈処分となる
コルテノール[Kortenaer](船体記号 KN)
1925年 8月24日ベルゲハウト造船にて起工
1927年 6月30日進水
1928年 9月 3日竣工
1929年 6月 8日キュラソー(カリブ海の蘭自治領)にてベネズエラ人反政府勢力による襲撃が
発生。鎮圧のため同月11日に海兵隊をキュラソーへ輸送した
1930年代〜蘭領東インドへ配備され、南シナ海などで任務に従事
1939年 9月〜第二次大戦勃発。独軍の通商破壊をおそれ船団護衛や哨戒任務に従事
1941年12月〜太平洋戦争勃発。英海軍と共同で船団護衛などに従事
1942年 2月27日ABDA艦隊主隊と供に日本艦隊の迎撃に参加
スラバヤ沖にて日重巡「羽黒」の雷撃を受け沈没(スラバヤ沖海戦)


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2016,05,01