カトソニス型 潜水艦

"Katsonis" Class Submarines
Υποβρύχια κλάσης "Κατσώνης"


ギリシア海軍 ギリシア海軍 イギリス海軍


Υ/Β ΚΑΤΣΩΝΗΣ
「カトソニス」(1929年)
スペックデータ
排水量(水上):576t排水量(水中):775t全長:(全)62.5m
出力(水上):1,200hp出力(水中):1,000hp全幅:5.30m
最大速力(水上)14.0:kt最大速力(水中):9.5kt吃水:3.40m
航続距離(水上):10ktで3,500浬航続距離(水中):5ktで100浬乗員数:39名
燃料搭載量:重油 搭載量不明安全潜行深度:80m
主機関:Schneider-Carels式ディーゼル機関×2基+(メーカー不詳)電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《53cm魚雷7発搭載》53cm魚雷発射管6門(艦首2、上構内艦首2、同艦尾2)、
40口径100mm単装砲1基(1930年代に39口径40mm単装機関砲1基を追加)

同型艦名(2隻)
カトソニス[Κατσώνης (Katsonis)]パパニコリス[Παπανικολής (Papanikolis)]

カトソニス型 潜水艦

 1920年代初頭の希土戦争により領土の一部を失ったギリシアは、海軍戦力の強化・充実を目論み、戦後すぐにフランスへ潜水艦2隻の建造を発注した。設計を受注したフランスのシュネデール社では、当時建造中だった600トンクラス潜水艦(「シルセ」型)をベースにした艦(そのため「シルセ」型と同様に『シュナイダー・ローブーフ型』と呼ばれている)を設計し、1925年から建造が開始された。当クラスでは魚雷発射管は「シルセ」型と異なり、艦首に2基と上構内前方に2基、同後方に2基の計6門が装備され、甲板砲(正確には甲板上ではなく司令塔上に装備)も10センチ口径と「シルセ」型よりも大型化していた。
 1928年に就役した当クラスだったが、運用が始まるとすぐに船体構造の脆弱さや不安定さ、急速潜航用の注水タンクの欠如、上構内発射管の魚雷を発射すると船体バランスが崩れるなどの欠点が見つかり、実際の運用では潜水深度を50メートルほどに制限されるようになっている。

 第二次大戦勃発時ギリシアは中立を保っていたが、1940年になってイタリアが参戦するとイオニア海を挟んで向かい合うギリシアへの圧力が強まり、ついに同年10月28日にイタリア軍がギリシアへ侵攻して戦争(ギリシア・イタリア戦争)に巻き込まれることになった。ギリシア海軍の各潜水艦は、侵攻を受ける前からアドリア海やエーゲ海での哨戒任務を行っていたが、1941年4月から侵攻にドイツ軍が加わると国内の拠点は使用できなくなり、アレキサンドリアへ逃れ英海軍の支援を受けながら任務を継続している。
 ネームシップの「カトソニス」は1943年9月に独海軍の駆潜艇「Uj2101」(旧ギリシア海軍掃海艇「ストライモン」[Στρυμών (Strymōn)])の攻撃により喪われたが、姉妹艦「パパニコリス」はギリシア解放まで生き残り1945年に退役した。解体された「パパニコリス」の司令塔部分は現在もギリシア海事博物館に展示されている。


カトソニス型 潜水艦の歴史
カトソニス[Κατσώνης (Katsonis)] (Y1/英海軍艦番号 N16)
1925年ジロンド鉄工所[Forges et Chantiers de La Gironde]にて起工
1926年 3月20日進水
1927年12月29日(21日説あり)竣工。翌年6月8日ギリシアへ到着、就役
1939年 9月〜第二次大戦勃発。アドリア海などで哨戒に従事
1940年10月28日〜(イタリアが侵攻開始)。アドリア海で戦闘行動を行う
1941年 4月〜(侵攻にドイツ軍が加わり、同月27日アテネが占領される)
同月24日アレキサンドリアへ脱出。到着後に修理を実施(完了は翌月)
       7月〜オーバーホールのためポートスーダンへ移動
到着後、オーバーホールを実施(完了は翌年2月)
1942年 3月末〜ポートサイドへ回航される(到着は同年6月)
バラストタンクの不具合により同年7月から修理(完了は翌年1月)
1943年 3月末〜アレキサンドリアを拠点に地中海の哨戒に従事
1943年 9月14日エヴィア海峡(エーゲ海)にて独駆潜艇「Uj2101」の攻撃を受け沈没
パパニコリス[Παπανικολής (Papanikolis)] (Y2)
1925年ロワール造船所[Ateliers et Chantiers de La Loire]にて起工
1926年11月19日進水
1927年12月21日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発。アドリア海などで哨戒に従事
1940年10月28日〜(イタリアが侵攻開始)。アドリア海で戦闘行動を行う
1941年 4月〜(侵攻にドイツ軍が加わり、同月27日アテネが占領される)
同月アレキサンドリアへ脱出
       5月〜アレキサンドリアを拠点に地中海の哨戒に従事
1944年10月ギリシア解放により、本国へ凱旋する
1945年老朽化のため除籍。後に解体処分となる
司令塔部分はギリシア海事博物館に展示中


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