イドラ型 駆逐艦

"Hydra" Class Destroyers
Αντιτορπιλικά κλάσης Ύδρα


ギリシア海軍 ギリシア海軍


ΒΠ Ύδρα
「イドラ」(1932年)
スペックデータ(竣工時)
排水量:(基)1,389t ボイラー:Thornycroft罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油650t
全長:(全)94.3m
全幅:9.75m 主機:Parsons式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:3.3m
出力:44,000hp
武装:
50口径12cm単装砲4基、40mm単装ポンポン砲3基、
53cm魚雷3連装発射管2基、(大戦中に主砲1基と魚雷発射管1基を
撤去し、代わりに3inch単装高角砲1基、20mm対空機銃2基を追加)
Κουντουριώτης、Ύδραは機雷40個搭載可能)
最大速力:38.0kt
航続距離:20ktで5,800浬
乗員定数:156名

同型艦名(4隻)
イドラ[Ύδρα (Hydra)]コンドゥリオティス[Κουντουριώτης (Kountouriotis)]
スペツァイ[Σπέτσαι (Spetsai)]プサラ[Ψαρά (Psara)]

イドラ型 駆逐艦について
 ギリシアは1910年代のバルカン戦争や1920年代初頭の希土戦争により、トルコとの間の一進一退の争いに一応の区切りが付いた状況となったが、1920年代後半になって海軍戦力強化のためイタリアへ駆逐艦の建造を発注することにした。イタリア海軍の新鋭駆逐艦である「フレッチア」型(「ダルド」型第一グループ)をタイプシップとして設計された当クラスは、1930年から順次起工され、1932年〜33年に全艦が就役している。
 「フレッチア」型では艦の前後に1基ずつ連装砲塔の主砲を搭載していたが、当クラスでは艦の前後に背負い式で2基ずつ単装砲を搭載している(砲門数の合計は変わらない)。またビッカース社製の40ミリポンポン砲が3基搭載されているが、「フレッチア」型よりも1基多くなっている。機関出力は「フレッチア」型と同じため計画速力も同じ38ノットとされているが、「フレッチア」型では復原性改善のための追加工事で最高速度が低下しており、当クラスも同様の悩みを抱えていたようである。
 第二次大戦開戦時の時点では、ギリシア海軍の中核をなす艦艇の一部としてドイツ軍の侵攻に抵抗しているが、姉妹艦のうち2隻(「イドラ」「プサラ」)が戦没してしまっている。

イドラ型 駆逐艦の歴史
イドラ[Ύδρα (Hydra)] (D97)
1930年オデロ[Odero]造船所にて起工
1931年10月21日進水
1932年11月(1933年とする説あり)竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発。ギリシアは中立を保つ
1940年10月28日〜イタリアが国境を越え侵攻(ギリシア・イタリア戦争)
      11月14日オトラント海峡にて伊軍輸送船を襲撃する(第一次攻撃)
1941年 4月 6日〜ドイツ軍がギリシアへの侵攻を開始
       4月22日サロニカ湾ラゴウサ島付近にて独軍機の攻撃を受け沈没
コンドゥリオティス[Κουντουριώτης (Kountouriotis)] (D99)
1930年オデロ造船所にて起工
1931年 8月29日進水
1932年11月(1933年とする説あり)竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発。ギリシアは中立を保つ
1940年10月28日〜イタリアが国境を越え侵攻(ギリシア・イタリア戦争)
      12月15日オトラント海峡にて伊軍輸送船を襲撃する(第二次攻撃)
1941年 1月 4日オトラント海峡にて伊軍輸送船を襲撃する(第三次攻撃)
       4月〜ドイツ軍がギリシアへの侵攻を開始
当艦はアレクサンドリアへ脱出し、英海軍指揮下に入る(英海軍艦番号 H07)
       6月〜ボンベイにてオーバーホールを実施(完了は翌年春)
1942年 4月〜英海軍地中海艦隊に配属
1943年11月15日第一線を退き、予備役艦隊に配属
1944年10月ギリシア解放により、ギリシアへ帰還する
1946年除籍。後に解体処分
スペツァイ[Σπέτσαι (Spetsai)] (D98)
1931年オデロ造船所にて起工
1932進水
1933竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発。ギリシアは中立を保つ
1940年10月28日〜イタリアが国境を越え侵攻(ギリシア・イタリア戦争)
1941年 1月 4日オトラント海峡にて伊軍輸送船を襲撃する(第三次攻撃)
       4月〜ドイツ軍がギリシアへの侵攻を開始
当艦はアレクサンドリアへ脱出し、英海軍指揮下に入る(英海軍艦番号 H38)
       6月〜カルカッタにてオーバーホールを実施(完了は翌年春)
1942年 4月〜英海軍地中海艦隊に配属
1944年10月ギリシア解放により、ギリシアへ帰還する
1946年除籍。後に解体処分
プサラ[Ψαρά (Psara)] (D96)
1931年オデロ造船所にて起工
1932進水
1933竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発。ギリシアは中立を保つ
1940年10月28日〜イタリアが国境を越え侵攻(ギリシア・イタリア戦争)
      11月14日オトラント海峡にて伊軍輸送船を襲撃する(第一次攻撃)
      12月15日オトラント海峡にて伊軍輸送船を襲撃する(第二次攻撃)
1941年 1月 4日オトラント海峡にて伊軍輸送船を襲撃する(第三次攻撃)
1941年 4月 6日〜ドイツ軍がギリシアへの侵攻を開始
       4月20日サロニカ湾メガラ沖にて独軍機の攻撃を受け沈没


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