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スペックデータ(竣工時) | ||
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排水量:(常)9,450t | ボイラー:Belleville罐・石炭重油混焼×22基 | 燃料搭載量:石炭1,500t、重油 70t |
全長:(全)140.8m | ||
全幅:21.0m | 主機:直立型往復動蒸気機関(4気筒3段膨張式)×2基、2軸推進 | |
吃水 7.5m | ||
出力:19,000hp |
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最大速力:22.5kt | ||
航続距離:10ktで7,125浬 | ||
乗員定数:670名 |
イェロギオフ・アヴェロフ [Γεώργιος Αβέρωφ] |
装甲巡洋艦イェロギオフ・アヴェロフの歴史 | |
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イェロギオフ・アヴェロフ [Γεώργιος Αβέρωφ] | |
1909年 | 伊オルランド社[Orlando]にて建造中だった輸出用艦を購入 |
1910年 3月12日 | 進水 |
1911年 5月16日 | 竣工。就役後はギリシア海軍旗艦となる |
1912年10月17日 | バルカン戦争勃発。ダーダネルス海峡封鎖やレムノス島占領などに従事 |
12月16日 | ダーダネルス海峡にてオスマン艦隊を迎え撃ち勝利する(エリの海戦) |
1913年 1月18日 | レムノス島近海にてオスマン艦隊と交戦し勝利する(レムノスの海戦) |
1917年〜 | ギリシアは連合国側として第一次大戦に参戦 仏海軍指揮下にて船団護衛任務などに従事 |
1919年〜 | 希土戦争勃発。対地砲撃などに従事するが、撤退戦となり避難民輸送を実施 |
1925年〜 | フランスにて近代化改修を実施(完了は27年) |
1937年 | 英国王ジョージ6世戴冠記念観艦式に出席 |
1939年 9月〜 | 第二次大戦勃発 |
1941年 4月〜 | ドイツ軍がギリシアへ侵攻。独軍の接収をおそれギリシア海軍司令部から 自沈命令が出されるが、乗員は従わずギリシアを脱出 |
4月23日 | クレタ島を経由し、アレキサンドリアへ到着 |
8月〜 | 連合軍の指揮下でインド洋にて船団護衛などに従事 |
1943年〜 | 任務から外されポートサイドにて係留される |
1944年10月 | ギリシアへ英軍の上陸作戦が実施される 同月17日自由ギリシア海軍旗艦としてアテネへ凱旋 |
11月 | 独軍撤退により解放されたアテネへ亡命政府要人を輸送する |
1952年〜 | 退役。サラミスにて係留され、ギリシア海軍艦隊本部として使用される |
1984年〜 | 記念艦への改修工事を実施。86年から記念艦として公開される |