ヴェテヒネン型 潜水艦

"Vetehinen" Class Submarines
Vetehis-luokan sukellusvene


フィンランド海軍 フィンランド海軍


Vetehinen
「ヴェテヒネン」(1932年)
スペックデータ
排水量(水上):600t排水量(水中):716t全長:63.5m
出力(水上):1,160hp出力(水中):600hp全幅:6.10m
最大速力(水上):12.6kt最大速力(水中):8.5kt吃水:3.60m
航続距離(水上):10ktで1,575浬航続距離(水中):4ktで75浬乗員数:30名
燃料搭載量:重油 20t安全潜行深度:75m
主機関:Atlas式ディーゼル機関×2基+Brown Boveri式電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《魚雷6発搭載》53cm魚雷発射管4門(艦首2、艦尾2)、
48口径76mm単装砲1基、60口径20mm単装機関砲1基、
12.7mm単装機銃1基、機雷20個搭載可能

同型艦名(3隻)
ヴェテヒネン [Vetehinen]ヴェシヒイシ [Vesihiisi]イクトゥルソ [Iku-Turso]

ヴェテヒネン型 潜水艦について

 第一次大戦やロシア革命のゴタゴタの中でロシアから独立し、1920年代初頭にはスウェーデンとの領土問題などに悩まされたフィンランドだったが、20年代後半になって海軍力強化の一環として潜水艦の調達を行うこととなった。もちろん潜水艦設計のノウハウなどは無かったため、設計はオランダのIvS社([Ingenieurskantoor voor Scheepsbouw]。第一次大戦敗戦により兵器の製造を禁止されたドイツが、潜水艦建造技術の温存を目的にオランダへ設立した合弁会社)に依頼している。ただし潜水艦建造の経験を積むため、建造は国内のクライトン−バルカン社で行われている。
 第一次大戦時の独海軍沿岸用哨戒潜水艦(UB III 型)や沿岸用敷設潜水艦(UC III 型)をベースにして設計された当クラスは、1926年から27年にかけて起工され1930年代初頭に3隻が就役した。沿岸用ということであまり大型の船体ではなく、最高速力も水上で約13ノットと凡庸なものであったが、艦内に20個の機雷を搭載でき、また潜水深度も75メートルとまずまずの性能を持っていた。

 フィンランド海軍は建造に際してドイツ政府と秘密協定を結んでおり、当クラスは就役後の数年間をベルサイユ条約により潜水艦保有を禁じられていた独海軍の乗員養成訓練に使用された。1935年になって本格的にフィンランド海軍の任務に従事するようになったが、1939年11月末にソビエトとの戦争(冬戦争)が勃発するとバルト海で偵察任務や機雷敷設を行った。一度は休戦したものの1941年6月に戦争が再燃(継続戦争)するとエストニア沿岸などで機雷敷設を行っている。
 終戦後の講和条約(パリ平和条約)において、ソビエトへの一部領土割譲とともに潜水艦保有を禁じられたため、戦争を生き残った当クラス3隻は除籍され1950年代初頭に解体処分されている。


ヴェテヒネン型 潜水艦の歴史
ヴェテヒネン [Vetehinen]
1926年クライトン−バルカン[Crichton-Vulcan]社にて起工
1930年 6月 1日進水
      10月13日竣工。独海軍乗員の秘密訓練に提供される
1935年頃〜フィンランド海軍にて本格的に従事を開始
1939年11月30日〜(ソビエトとの戦争勃発(冬戦争))
      12月 4日リェパヤ(現ラトビア)沖にて座礁
曳航され離礁後は哨戒任務に従事
      12月12日再度、リェパヤ沖にて座礁
同日中に離礁し、船体の点検が行われる
1940年 3月 6日(停戦協定締結。同月12日モスクワ講和条約締結)
1941年 6月26日(独軍の攻勢にあわせ、ソビエトに対し宣戦布告(継続戦争))
       6月〜エストニア沿岸への機雷敷設やハンコ半島沖の哨戒に従事
1942年11月 5日オーランド海(ボスニア湾)にてソ連潜Щ-305(Shch-305)」と交戦
体当たりにて撃沈するも、船体に損傷を負う
1944年 9月19日(モスクワ休戦協定締結。継続戦争終了)
(国内の独軍を排除するための戦闘を開始(ラップランド戦争))
1946年退役
1947年(パリ平和条約締結により潜水艦保有を禁じられる)
1950年頃スクラップとして解体処分
ヴェシヒイシ [Vesihiisi]
1927年クライトン−バルカン社にて起工
1930年 8月 1日進水
1931年12月 2日竣工。独海軍乗員の秘密訓練に提供される
1935年頃〜フィンランド海軍にて本格的に従事を開始
1939年11月30日〜(ソビエトとの戦争勃発(冬戦争))
      12月初頭ハンコ半島沿岸にて座礁、船体を損傷する
      12月末〜パルティスキ(現エストニア)沿岸への機雷敷設を実施
1940年 3月 6日(停戦協定締結。同月12日モスクワ講和条約締結)
1941年 6月26日(独軍の攻勢にあわせ、ソビエトに対し宣戦布告(継続戦争))
       6月〜エストニア沿岸への機雷敷設やハンコ半島沖の哨戒に従事
1942年10月21日オーランド海(ボスニア湾)にてソ連潜С−7(S-7)」を雷撃、撃沈
1944年 9月19日(モスクワ休戦協定締結。継続戦争終了)
(国内の独軍を排除するための戦闘を開始(ラップランド戦争))
1946年退役
1947年(パリ平和条約締結により潜水艦保有を禁じられる)
1950年頃スクラップとして解体処分
イクトゥルソ [Iku-Turso]
1927年クライトン−バルカン社にて起工
1931年 5月 5日進水
      10月13日竣工。独海軍乗員の秘密訓練に提供される
1935年頃〜フィンランド海軍にて本格的に従事を開始
1939年11月30日〜(ソビエトとの戦争勃発(冬戦争))
      12月〜哨戒のためストックホルムを出撃
1940年 3月 6日(停戦協定締結。同月12日モスクワ講和条約締結)
1941年 6月26日(独軍の攻勢にあわせ、ソビエトに対し宣戦布告(継続戦争))
       6月〜エストニア沿岸への機雷敷設やハンコ半島沖の哨戒に従事
1942年10月27日ハンコ半島沖にて敵潜(視界不良のため未確認)と交戦
雷撃が外れた後、浮上砲戦により撃沈(ソ連潜Щ-308(Shch-308)」と推測
されているが、同じく未帰還の「Щ-320(Shch-320)」だったとする説もある)
1944年 8月24日ラヴァン島(現エストニア)近海にて防潜網に接触するも損傷なしで脱出
       9月19日(モスクワ休戦協定締結。継続戦争終了)
(国内の独軍を排除するための戦闘を開始(ラップランド戦争))
1946年退役
1947年(パリ平和条約締結により潜水艦保有を禁じられる)
1950年頃スクラップとして解体処分


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