Nr.V(クヴィントゥス)型 敷設艇

"Minekran Nr.5 (Kvintus)" Class Minelayer
Minelægger "Minekran Nr.V (Kvintus)" Klassen


デンマーク海軍 他 デンマーク海軍 ドイツ海軍 東ドイツ海軍


Sixtus
敷設艇「シクストゥス」(1930年代後半か?)
スペックデータ
排水量:(基)186t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油 搭載量不明
全長:27.0m
全幅:6.3m 主機:Bergsund式焼玉エンジン×2基+(メーカー不詳)電動モーター×2基、2軸推進
吃水:2.0m
出力:290hp
武装:
38口径37mm単装砲2基、機雷60個搭載
最大速力:8.0kt
航続距離:不明
乗員定数:26名

同型艦名(2隻)
Nr.V [Nr.5]
(後にクヴィントゥス[Kvintus])
Nr.VI [Nr.6]
(後にシクストゥス[Sixtus])

Nr.V(クヴィントゥス)型敷設艇について

 デンマーク海軍が第一次大戦末期に建造した機雷敷設艇。通常の敷設艦のように係留機雷や浮遊機雷を軌条(レール)に滑らせて投下することも可能であったが、基本的には前甲板にあるクレーンにより吊り下げて敷設を行う艇であった。そのためデンマーク海軍ではこの種の艇をミネカラン[Minekran](機雷クレーン)と呼称していた。

 第二次大戦ではドイツ軍による突然の侵攻を受けたデンマークは一日で降伏したため当クラスの出番は無かったが、ドイツ占領後もデンマーク政府が存続し、対独協力を行ったため、海軍の艦艇も存続を許されている。しかし戦局がドイツ不利になった1943年8月にデンマーク政府がドイツへの協力を拒否し、ドイツ軍による戒厳令が布告された際に、当クラスはサボタージュのため自沈した。
 その後、ドイツ軍により浮揚されたが終戦の際に再度自沈している。戦後は東ドイツにより浮揚・修理が行われ、1970年代まで哨戒艇兼練習船として使用されている。


Nr.V(クヴィントゥス)型敷設艇の歴史
Nr.V [Nr.5](後にクヴィントゥス[Kvintus])
1916年コペンハーゲン海軍工廠[Orlogsværftets]にて起工
1917年 2月16日進水
1917年竣工
1933年艇名を「クヴィントゥス」と改名
1940年 4月 9日ドイツ軍による侵攻が開始される(ヴェーザー演習作戦)
即日デンマークは降伏したため、戦闘への参加なし
 占領下でもデンマーク政府の保有艇として警備等に従事
1943年 8月29日ドイツ軍による戒厳令布告。直接統治が開始される
当艇はサボタージュのためホルメン[Holmen]にて自沈する
 ドイツ軍の手により浮揚・修理される
1945年 5月ドイツ降伏時にドイツ領内にて自沈
 戦後、東ドイツが浮揚・修理。哨戒艇兼練習船として再使用
艇名を「プレンツラウ」[Prenzlau]と改名
1973年頃除籍。廃船
Nr.VI [Nr.6](後にシクストゥス[Sixtus])
1917年?コペンハーゲン海軍工廠にて起工
1918年12月21日進水
1919年竣工
1933年艇名を「シクストゥス」と改名
1940年 4月 9日ドイツ軍による侵攻が開始される(ヴェーザー演習作戦)
即日デンマークは降伏したため、戦闘への参加なし
 占領下でもデンマーク政府の保有艇として警備等に従事
1943年 8月29日ドイツ軍による戒厳令布告。直接統治が開始される
当艇はサボタージュのためホルメンにて自沈する
 ドイツ軍の手により浮揚・修理される
1945年 5月ドイツ降伏時にドイツ領内にて自沈
 戦後、東ドイツが浮揚・修理。哨戒艇兼練習船として再使用
艇名を「フュルステンベルク」[Fürstenberg]と改名
1973年頃除籍。ピオネール(旧ソ連や共産圏諸国で組織された少年団活動)の練習船となり、艇名を「フロイントシャフト」[Freundschaft]と改名
1980年代?廃船


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