海防戦艦 デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン

Coastal defence ship"De Zeven Provinciën"
Pantserschip "De Zeven Provinciën"


オランダ海軍 オランダ海軍


De Zeven Provinciën
「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」(1910年):Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ(【 】内は近代化改修後)
排水量:(常)5,644t ボイラー:Yarrow罐・石炭専焼×8基
    【Yarrow罐・重油専焼×3基】
燃料搭載量:石炭 870t
       【重油 1,000t】
全長:(全)101.5m
全幅:17.1m 主機:三段膨張型往復動蒸気機関×2基、2軸推進
吃水:6.2m
出力:8,500hp【7,500hp】
武装:
42.5口径28.3cm単装砲2基、40口径15cm単装速射砲4基、55口径7.5cm
単装速射砲10基、23口径3.7cm単装砲4基、7.5cm単装臼砲1基
【最終的に速射砲を一部撤去し、40mm単装機関砲6、12.7mm連装機銃3を追加】
最大速力:16.0kt
航続距離:8ktで5,100浬
乗員定数:450名

同型艦名(1隻)
デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン[De Zeven Provinciën]

海防戦艦 デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェンについて
 19世紀後半から植民地防衛のため海防戦艦を建造し続けていたオランダ海軍が「ヤーコプ・ファン・ヘームスケルク」に続いて建造した海防戦艦。しかし列強各国の主力艦が高性能化してきたこともあり、低速力な海防戦艦では能力不足となったため、オランダでは当艦以降に海防戦艦の建造を行っていない。
 「ヤーコプ・ファン・ヘームスケルク」に比べ船体は一回り大きくなり、主砲も28センチと戦艦に匹敵する強力な砲が搭載されている。1930年代になって近代化改修が行われており、その際にボイラーを重油専用に変更したため煙突の数は1本に減っている。また航空機の発達もあって近代化改修の際には15センチ副砲や7.5センチ速射砲を一部撤去して、ボフォース機関砲などの対空兵装が搭載された。
 当艦は任務の大半を蘭領東インドで行っているが、1933年2月に艦上でオランダ人とインドネシア人水兵達の反乱がおきている(反乱の原因は給料引き下げによる不満とする説や、左翼(共産主義者)による手引き説などがある)。この反乱は幾日も経たないうちに鎮圧されたが、鎮圧の際に行われた航空機による爆撃(意図した爆撃ではなく、至近弾による警告のつもりが命中したとの説もある)により23名の犠牲者が出ている。その後1936年に練習艦へ類別変更され、太平洋戦争開戦時にはスラバヤにあったが、1942年2月に日本軍がジャワ攻略のため爆撃を行った際に被弾し大破、その後港湾の閉塞船として自沈している。

海防戦艦 デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェンの歴史
デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン[De Zeven Provinciën]
1908年 2月 7日アムステルダム造船所にて起工
1909年 3月15日進水
1910年10月 6日竣工
1911年〜蘭領東インドへ配備される
1912年 1月23日スマトラ沿岸で座礁。離礁後はシンガポールにて修理(4月復帰)
1919年 4月〜本国へ帰還。アムステルダムでオーバーホールを実施
1921年11月〜再度、蘭領東インドへ配備。砲術練習などに従事
1933年 2月 4日艦上にて水兵の反乱が起き、艦の制御を奪われる
       2月14日オランダ軍の航空爆撃により反乱鎮圧。犠牲者23名
1935年〜近代化改修を実施。ボイラー換装、対空機銃増設など
1936年練習艦となり、艦名を「スラバヤ」[Soerabaja]と改称
1941年12月〜太平洋戦争勃発。日本軍との交戦状態となる
1942年 2月18日スラバヤにて日海軍機の爆撃を受け大破
       3月 2日スラバヤの港湾閉塞船として自沈
 ジャワ島を占領した日本軍により浮揚され、浮き対空砲台として使用される
(再利用可能な装備を撤去後に再度自沈したとの説もある)
1943年(連合軍機の攻撃により沈没説あり)


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