バイーア型 防護巡洋艦

Protected Cruisers "Bahia" Class
Cruzadores "Bahia" Class


ブラジル海軍 Marinha do Brasil


Bahia

Rio Grande do Sul
(上段)「バイーア」(機関換装前:1925年頃)/(下段)「リオ・グランデ・ド・スル」(1942年)
スペックデータ(竣工時:【 】内は近代化改修後のデータ)
排水量:(常)3,100t ボイラー:Yarrow罐・石炭専焼×10基
      【Thornycroft罐・重油専焼×6基】
燃料搭載量:石炭850t【重油640t】
全長:(全)122.4m
全幅:11.9m 主機:Parsons式直結タービン×5基、3軸推進
   【Brown-Curtiss式ギヤードタービン×3基、3軸推進】
吃水 4.2m
出力:18,000hp
   【22,000hp】
武装:
50口径12cm単装砲10基、50口径4.7cm単装機関砲6基【2基を減じて23口径
3inch単装高角砲2基へ換装】(WW2時に残り4基を撤去)、60口径2cm単装機関砲
3基(WW2時に76口径20mm単装機関砲7基へ換装)、45cm魚雷単装発射管2基
【53cm魚雷連装発射管2基へ換装】
最大速力:25.0kt【27.0kt】
航続距離:10ktで3,500浬
      【10ktで6,600浬】
乗員定数:368名

同型艦名(2隻+キャンセル1隻)
バイーア[Bahia]リオ・グランデ・ド・スル[Rio Grande do Sul]セアラ[Ceara]

バイーア型防護巡洋艦について
 ブラジル海軍が20世紀初頭にイギリスへ発注して建造した防護巡洋艦(資料によっては偵察巡洋艦や通報艦としているものも見受けられるが、ブラジル海軍では単に巡洋艦[cruzador]と類別されている)。イギリス海軍の「アドヴェンチャー」型偵察巡洋艦の設計を基に建造されたため、準同型といってもよいほど似通った船体形状をしている。当初の計画では3隻の建造を予定していたが、1隻は予算難からキャンセルとなった。主砲の配置も「アドヴェンチャー」型と同様に、艦の左右対称に2門ずつが配置され、艦中央部には単装の魚雷発射管が装備された。また対水雷艇装備として、オチキス社製3ポンド(4.7センチ口径)機関砲やマドセン社製20ミリ機関砲が搭載されている。
 1910年に就役した2隻は当時世界最速クラスの巡洋艦であり、またブラジル海軍として初のタービン機関搭載艦であったが、列強各国の艦艇の進化スピードは速く、1920年代には効率の悪い石炭専焼ボイラーや直結タービンは時代遅れと見なされるようになったため、1920年代なかばに近代化改修が行われ、石油専焼ボイラーとギヤードタービンへ換装された。換装により機関の配置が替わったため煙突は2本から3本へ増加している。
 第一次大戦では大西洋での船団護衛に従事し、大戦間の1930年代にも革命騒ぎや近隣国の戦争(チャコ戦争:ボリビアとパラグアイ間の戦争)などに翻弄され、第二次大戦でも船団護衛や対潜哨戒に従事している。「バイーア」は欧州での戦争が終結した1945年7月に訓練中の事故により沈没してしまったが、「リオ・グランデ」は生き残り、終戦後に解体処分となった。

バイーア型防護巡洋艦の歴史
バイーア[Bahia]
1907年 8月19日英アームストロング・ホイットワース社にて起工
1908年 1月20日進水
1910年 5月21日竣工
      11月22日艦上にて水兵の反乱が起きる(ラッシュの反乱)。同月26日反乱は鎮圧される
1917年10月〜ドイツに宣戦布告し第一次大戦に参加
同年12月〜大西洋にて船団護衛に従事
1918年 9月艦上にてスペイン風邪が流行
95%以上の乗員が感染し、最終的に300名以上が病死した
1925年〜近代化改修を実施(完了は翌年)
1930年10月陸軍のクーデター勃発。警備のためサンタカタリーナ州沖へ進出
1932年護憲革命[Revolucao Constitucionalista]勃発
サンパウロ州サントスの封鎖などに従事
1934年〜オーバーホールを実施(完了は翌年)
1935年 5月チャコ戦争講和会議出席のブラジル大統領を警護する
      11月水兵がおこした反乱の監視のためナタールへ進出
1942年 8月枢軸国へ宣戦布告し第二次大戦に参加
大西洋にて船団護衛や対潜哨戒などに従事
1942年兵装の換装を実施(エリコン機関砲、ソナーなどを搭載)
1943年 7月10日リオデジャネイロ沖にて独潜水艦らしきものを探知するが取り逃がす
(7月末に航空機が撃沈した独潜「U-199」ではないかとの説がある)
1944年兵装の換装を実施(レーダーなどを搭載)
1945年 5月欧州戦線の戦闘終結により、欧州から太平洋戦線への輸送任務に従事
       7月 4日ブラジル北東沖にて対空射撃訓練中、機関砲の誤射により搭載していた
爆雷が誘爆し、沈没する
リオ・グランデ・ド・スル[Rio Grande do Sul]
1907年 8月30日英アームストロング・ホイットワース社にて起工
1909年 4月20日進水
1910年 5月14日竣工
1917年10月〜ドイツに宣戦布告し第一次大戦に参加
同年12月〜大西洋にて船団護衛に従事
1925年〜近代化改修を実施(完了は翌年)
1930年10月陸軍のクーデター勃発。警備のためサンタカタリーナ州沖へ進出
1932年護憲革命[Revolucao Constitucionalista]勃発
サンパウロ州サントスの封鎖などに従事
1935年 5月チャコ戦争講和会議出席のブラジル大統領を警護する
      11月水兵がおこした反乱の監視のためナタールへ進出
1942年 8月枢軸国へ宣戦布告し第二次大戦に参加
大西洋にて船団護衛や対潜哨戒などに従事
1942年兵装の換装を実施(エリコン機関砲、ソナーなどを搭載)
1944年兵装の換装を実施(レーダーなどを搭載)
1945年 5月欧州戦線の戦闘終結により、欧州から太平洋戦線への輸送任務に従事
1948年 6月除籍。後に解体処分される
セアラ[Ceara]
 資金難のため計画キャンセル


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