ミナス・ジェライス型 戦艦

Battleship "Minas Geraes" Class
Couraçado Classe "Minas Geraes"


ブラジル海軍 ブラジル海軍


Couraçado

Minas Gerais
「ミナス・ジェライス」(上段:1910年、下段:1942年 どちらもPhoto from Wikimedia Commons)
スペックデータ(【 】内は改修後(Minas Geraisのみ))
排水量:(常)14,700t
     【(常)19,281t】
ボイラー:Babcock&Wilcox罐・石炭専焼×18基
      【Thornycroft罐・重油専焼×6基】
燃料搭載量:石炭 870t
        【重油 1,000t】
全長:(全)165.5m
全幅:25.3m 主機:三段膨張型往復動蒸気機関×2基、2軸推進
    【Parsons式直結タービン×2基、2軸推進】
吃水:7.6m
出力:23,500hp
   【30,000hp】
武装:
45口径30.5cm連装砲6基、50口径12cm連装速射砲22基【12基】、
40口径7.6cm単装砲2基、43口径47mm単装機銃8基【一部撤去】、
【50口径7.6cm単装高角砲2基、37mm対空機銃4基】
最大速力:21.0kt
      【22.0kt】
航続距離:10ktで10,000浬
乗員定数:900名
      【1,100名】

同型艦名(2隻)
ミナス・ジェライス[Minas Geraes]サン・パウロ[São Paulo]

ミナス・ジェライス型 戦艦について

 1825年にポルトガルから独立したブラジル帝国は、19世紀末の革命により共和制へ移行した。20世紀初頭、ブラジル海軍は大規模な海軍拡張計画を策定し戦艦などの建造を予定していたが、その計画に着手しようとした矢先に、イギリスにおいて歴史を塗り替える新型戦艦「ドレッドノート」が就役した。ブラジル海軍は、この最先端を行く戦艦を保有できれば列強海軍にも劣らない戦力となると考え、即座に英アームストロング社へ戦艦の設計を依頼した。
 アームストロング社では、まだ計画中のイギリス戦艦にも採用されていなかった背負い式主砲塔を設計に盛り込み、艦の前後に2基ずつと両舷に1基ずつの砲塔を持つ艦として建造が行われた。この砲塔配置により艦の前後へは8門、左右舷へは10門もの砲を指向でき強力な火力を持つ戦艦となり、1910年に竣工した両艦は、竣工当時世界最強と言っても過言ではなく、ブラジルは英米に続いてド級戦艦を保有した世界で3番目の国となった。しかし、当クラスは強力な火力を持っていたが機関は旧式然としたレシプロ機関であり、また過大な兵装重量のために防御装甲が犠牲とされ同世代の戦艦の中では最も防御力が弱い艦であった。

 当クラスが竣工した頃、ブラジルは強硬な軍備拡張により経済的な疲弊を迎えており、海軍の水兵の多数が奴隷から解放された身分であったため軍内での差別などもあり、1910年11月に「ミナス・ジェライス」艦上にて水兵の反乱(ラッシュの反乱[Revolt of the Lash/Revolta da Chibata]:ラッシュ(英[lash])およびポルトガル語の[chibata]はどちらも鞭打ちを意味する。軽微な規則違反を犯した水兵への過剰とも言える鞭打ち罰則に対して待遇改善などを求める反乱)がおき、すぐさま僚艦である「サン・パウロ」などにも飛び火した。反乱はすぐに鎮静化したが、ブラジル海軍はある程度の改善を行うことを余儀なくされている。

 1920年代には国内政情の問題もあり反乱鎮圧などの任務に従事することが多かったが、1930年代になって「ミナス・ジェライス」は改修を行っている。この改修により機関はタービン化され、煙突も大型の1本に変化した。
 第二次大戦が始まった当初にはブラジルは中立を保っていたが、ドイツ潜水艦の無差別攻撃によりブラジル商船が被害を受けるようになると、ブラジルは連合軍側として参戦した。しかし、この時期には当クラスを含めブラジル海軍の主力艦は軒並み老朽化しており、ほとんど艦隊行動などは行えず、港湾の防備に専念することとなっている。
 第二次大戦終結後、当クラス両艦は相次いで退役し、スクラップとして売却されているが、「サン・パウロ」はイギリスの解体業者に曳航される途中に北アゾレス海で荒天のため遭難している。

ミナス・ジェライス型 戦艦の歴史
ミナス・ジェライス[Minas Geraes]
1907年 4月17日英アームストロング・ホイットワース社にて起工
1908年 9月10日進水
1910年 1月 5日竣工。同年4月18日就役
      11月22日艦上にて水兵の反乱が起きる(ラッシュの反乱)。同月26日反乱は鎮圧される
1917年 6月第一次大戦での中立を破棄。ただし宣戦布告は10月になってから
1920年 8月〜米ニューヨークにて兵装、防御装甲の改修を実施
1922年 7月青年将校の反乱[Revolução Tenentista]に際し鎮圧行動に従事
1924年11月反乱鎮圧の行動中、「サン・パウロ」の砲撃により損傷を負う
1931年 6月〜リオデジャネイロ海軍工廠にて機関換装工事を実施(1938年完了)
1939年〜対空兵装などの改修を実施
1942年 8月21日宣戦布告により連合国として第二次大戦に参戦
1943年〜バイーア州サルヴァドールの港湾防御に従事
1952年 5月16日退役。同年12月までブラジル海軍の係留司令部として利用される
      12月31日除籍。後にスクラップとして売却
1954年 4月イタリアにて解体される
サン・パウロ[São Paulo]
1907年 4月30日英ビッカース社にて起工
1909年 4月19日進水
1910年 7月12日就役
      11月22日艦上にて水兵の反乱が起きる(ラッシュの反乱)。同月26日反乱は鎮圧される
1917年 6月第一次大戦での中立を破棄。ただし宣戦布告は10月になってから
1918年 8月〜米ニューヨークにて兵装、防御装甲の改修を実施
1922年 7月青年将校の反乱[Revolução Tenentista]に際し鎮圧行動に従事
1924年11月「サン・パウロ」の一部乗員が反乱に参加
副砲から「ミナス・ジェライス」へ砲撃が行われる
(反乱兵士は11月10日に離艦し亡命)
1932年護憲革命[Revolução Constitucionalista]勃発
サンパウロ州サントスの封鎖などに従事
1934年〜オーバーホールを実施(35年完了)
1942年 8月21日宣戦布告により連合国として第二次大戦に参戦
1943年〜港湾防御や米駆逐艦との警備活動などに従事
1947年 8月 2日除籍。練習船として使用される
1951年後半イギリスの解体業者にスクラップとして売却される
      11月イギリスへ曳航される途中、北アゾレス海にて荒天のため遭難


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