グリエルモ・マルコーニ型 大型潜水艦

"Guglielmo Marconi" Class Large Submarines
Sommergibili Oceanici(SO) Classe "Guglielmo Marconi"


イタリア王国海軍 他 イタリア海軍 ドイツ海軍 日本海軍


Malaspina
Luigi Torelli
(上段)「アレッサンドロ・マラスピナ」/(下段)「ルイジ・トレリ」
スペックデータ
排水量(水上):1,191t排水量(水中):1,489t全長:(全)76.5m
出力(水上):3,600hp出力(水中):1,500hp全幅:6.82m
最大速力(水上):18.0kt最大速力(水中):8.0kt吃水:4.72m
航続距離(水上):8ktで10,550浬航続距離(水中):3ktで110浬乗員数:57名
燃料搭載量:重油118t安全潜行深度:100m
主機関:CRDA式ディーゼル機関×2基+Marelli製電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《魚雷12〜16発搭載》53.3cm魚雷発射管8門(艦首4、艦尾4)、
47口径10cm単装砲1基、13.2mm連装機銃2基
(Leonardo da Vinciは1942年に小型潜航艇の搭載テストのため甲板砲を撤去)

同型艦名(6隻)
グリエルモ・マルコーニ
[Guglielmo Marconi]
アレッサンドロ・マラスピナ
[Alessandro Malaspina]
レオナルド・ダ・ヴィンチ
[Leonardo da Vinci]
ルイジ・トレリ
[Luigi Torelli]
マッジオーレ・バラッカ
[Maggiore Baracca]
ミケーレ・ビアンキ
[Michele Bianchi]

グリエルモ・マルコーニ型大型潜水艦について

 「リウッツィ」型と同時期に建造された大型潜水艦。スペック的には「リウッツィ」型とほぼ同等であるが、「リウッツィ」型が一部複殻船体を持つのに対し、当クラスはサドルタンク付単殻船体(「マルチェロ」型の発展型)となっている。

 イタリアの第二次大戦参戦に前後して竣工・就役した当タイプは戦前イタリアが計画建造した航洋型潜水艦の中で最も優秀な能力を持つ艦であると言われており、その評価を裏切らない活躍を示しており、特に「レオナルド・ダ・ヴィンチ」はイタリア潜水艦最高の撃沈トン数を挙げている。
 しかし、優秀であるが故に大戦中は常に最前線にあり、建造された姉妹艦6隻のうち終戦まで生き残ることができたのは、イタリア休戦とともに日本軍に接収されドイツ海軍へ編入となった「ルイジ・トレリ」1隻のみだった。


グリエルモ・マルコーニ型大型潜水艦の歴史
グリエルモ・マルコーニ[Guglielmo Marconi]
1938年 9月19日CRDAモンファルコーネ(Cantieri Riuniti de l'Anreitico Monfalcone)にて起工
1939年 7月30日進水
1940年 2月 8日竣工
       6月〜第二次大戦に参加(通算戦果7隻(17,673t)撃沈、1隻損傷)
ジブラルタル方面の哨戒に従事
       7月11日ジブラルタル東方にて英駆「エスコート」を撃沈
       9月〜北大西洋方面へ転戦
1941年11月ジブラルタル周辺にて消息を絶つ(沈没原因不明、12月4日亡失認定)
アレッサンドロ・マラスピナ[Alessandro Malaspina]
1939年 3月 1日OTOムッジアーノ(Odero-Terni-Orlando Muggiano)造船所にて起工
1940年 2月18日進水
       6月20日竣工
       7月〜第二次大戦に参加(通算戦果3隻(16,383t)撃沈)。北大西洋方面で行動
1941年10月北大西洋にて消息を絶つ(沈没原因不明、11月18日亡失認定)
(英旧式駆「ヴィミィ」の攻撃説や英飛行艇攻撃説などがある)
レオナルド・ダ・ヴィンチ[Leonardo da Vinci]
1938年 9月19日CRDAモンファルコーネにて起工
1939年 9月16日進水
1940年 3月 8日竣工
       6月〜第二次大戦に参加(通算戦果17隻(120,243t)撃沈)。北大西洋方面で行動
1943年 5月23日アゾレス諸島北東沖にて英駆「アクティブ」及び英フリゲート「ネス」の攻撃を受け沈没
ルイジ・トレリ[Luigi Torelli]
1939年 2月15日OTOムッジアーノ造船所にて起工
1940年 1月 6日進水
       5月15日竣工
       6月〜第二次大戦に参加(通算戦果7隻(42,871t)撃沈)。北大西洋方面で行動
1941年 9月21日敵船団の護衛艦による爆雷攻撃により損傷?
1942年 6月艦内の爆発事故により損傷を負い、スペインに避難。スペインに抑留される
1943年初頭賠償金を支払いイタリアへ返還される。イタリア帰国後は輸送潜水艦へ改修
       6月〜極東への連絡任務に従事
       9月10日イタリア休戦に伴いシンガポールにて日本軍に接収され、ドイツへ譲渡
独海軍籍編入後は艦名を「UIT-25」と改名
1945年 5月10日ドイツ降伏に伴い日本軍が再接収
       7月15日日本海軍籍に編入、艦名を「イ−504」と改名
       8月15日日本降伏により米軍に接収。同年11月30日日本海軍籍除籍
1946年 4月16日紀伊水道にて自沈処分となる
マッジオーレ・バラッカ[Maggiore Baracca]
1939年 3月 1日OTOムッジアーノ造船所にて起工
1940年 4月21日進水
       7月10日竣工
       9月〜第二次大戦に参加(通算戦果2隻(8,553t)撃沈)。北大西洋方面で行動
1941年 9月 8日アゾレス諸島北東沖にて英護衛駆「クルーム」の攻撃を受け沈没
ミケーレ・ビアンキ[Michele Bianchi]
1939年 2月15日OTOムッジアーノ造船所にて起工
      12月 3日進水
1940年 4月15日竣工
       6月〜第二次大戦に参加(通算戦果2隻(8,553t)撃沈)。ジブラルタル方面の哨戒に従事
       9月〜北大西洋方面へ転戦
1941年 8月 7日ジブラルタル西方にて英潜「セヴァーン」の雷撃を受け沈没
(7月5日ボルドー沖にて英潜「ティグリス」の雷撃を受け沈没説もある)


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