リットリオ型 戦艦

"Littorio" Class BattleShips
Navi da battaglia della classe "Littorio"


イタリア王国海軍


Littorio
戦艦「リットリオ」(1942年頃)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
リットリオ
第25号(2014.01.07)
戦艦「リットリオ」1943年

スペックデータ
排水量:
(Littorio)(満)45,963t
(Veneto)(満)45,752t
(Roma&Impero)
(満)46,215t
ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×8基 燃料搭載量:重油4,000t
全長:
(Littorio&Veneto)(全)237.79m
(Roma&Impero)(全)240.67m
全幅:32.84m 主機:Belluzzo式ギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:10.46m
出力:140,000hp
武装:
50口径15inch3連装砲3基、55口径6inch3連装砲4基、
50口径90mm単装高角砲12基、54口径37mm連装高射機関砲10基
65口径20mm連装高射機関砲14基、
水偵3機もしくは直掩用のRe.2000戦闘機2機を搭載可能(射出機1基)
最大速力:30.0kt
航続距離:16ktで4,580浬
乗員定数:約1,900名

同型艦名(3隻+未竣工1隻)
リットリオ[Littorio]ヴィットリオ・ヴェネト
[Vittorio Veneto]
インペロ[Impero]ローマ[Roma]

リットリオ型戦艦について
 ワシントン海軍条約明けを狙って建造された戦艦。建造着手こそ欧州列強各国の中で最も早い時期だったが、竣工しなかった一隻を除き全艦とも就役はイタリアが第二次大戦に参戦した後となっている。
 これまでのイタリア戦艦と異なって主砲口径は15インチに拡大しており、また前後二基ずつを背負い式としていたこれまでの主砲塔を前部二基・後部一基に変更したので砲塔数は一基減となっている(全砲塔を三連装としたので砲門数は一門減で収まっている)。この主砲は砲身長が長く砲弾初速が速いため威力的には16インチ砲に匹敵しており、欧州列強海軍の保有する戦艦の中でも最強の部類に入るものであった。イタリア戦艦の特徴である短い航続距離はそのままであるが、最高速度は30ノットと他国戦艦に引けを取らない高速戦艦に仕上がっている。
 第二次大戦開戦直後に就役した「リットリオ」「ヴィットリオ・ヴェネト」、1942年に就役した「ローマ」の三隻(「インペロ」は休戦までに完成しなかった)は、イタリア海軍の中心として期待されたが、制空権は連合軍に握られており積極的攻勢に出なかった海軍当局の方針もあってあまり目立った活躍は示せなかった。
 イタリアが休戦した後、連合軍に投降するため「イタリア」(「リットリオ」から改名)を始めとした残存艦艇は英国の支配下にあるマルタへ向けて本国を出港したのだが、それを阻止せんとしたドイツ軍のDo217爆撃機による攻撃を受けて「ローマ」は撃沈され、「イタリア」も大破した。この攻撃はドイツが開発した誘導爆弾「フリッツX」の初陣であり、この大戦果を受けドイツ軍では「フリッツX」の増産に力を入れることになった。
 第二次大戦終結後、生き残った艦は連合国からイタリアへ返還されたが、維持コストの高さや航続距離の短さなどにより軍務に復帰することなく解体処分されてしまっている。

リットリオ型戦艦の歴史
リットリオ[Littorio]
1934年10月28日アンサルド[Ansaldo]社にて起工
1937年 8月22日進水
1940年 5月 6日竣工
      8月〜マルタ島への英軍補給線警戒行動を実施
     11月11日タラント軍港にて英海軍機の攻撃を受け大破
     12月〜修理を実施。完了は翌年4月
1941年 9月〜マルタ島への英軍補給線警戒行動を実施
     12月13日第一次シルテ湾海戦に参加
1942年 3月22日第二次シルテ湾海戦に参加
      6月15日マルタ島近海で英軍機の攻撃を受け損傷
      6月下旬〜修理・レーダー装備工事を実施。完了は同年10月
     12月ラ・スペーツィアへ転属
1943年 6月19日ラ・スペーツィアにて米軍機の爆撃を受け損傷
      7月 1日艦名を「イタリア」[Italia]に改名
      9月休戦に伴い、マルタへ向け出港
      9月 9日ドイツ空軍機の爆撃を受け大破
      9月11日マルタへ到着。そのままアレキサンドリアへ回航される
1943年10月17日〜スエズ運河南部に抑留される
1947年 2月イタリアへ返還される
1948年 6月 1日米国との和平条約に基づき除籍、51年解体処分される
ヴィットリオ・ヴェネト[Vittorio Veneto]
1934年10月28日CRDA[Cantieri Riuniti dell' Adriatico]社にて起工
1937年 7月25日進水
1940年 8月28日竣工
      8月〜マルタ島への英軍補給線警戒行動を実施
     11月12日タラント軍港にて英海軍機の攻撃を受ける
     11月27日スパルティヴェント岬沖海戦に参加
1941年 3月28日マタパン島沖海戦に参加。中破
      4月タラントにて修理を実施。完了は同年8月
      9月〜マルタ島への英軍補給線警戒行動を実施
     12月14日英潜水艦「アージ」の雷撃を受け損傷
1942年初頭修理・レーダー装備工事を実施。完了は同年春
      6月〜マルタ島への英軍補給線警戒行動を実施
     12月ラ・スペーツィアへ転属
1943年 6月 5日ラ・スペーツィアにて米軍機の爆撃を受け損傷
      9月休戦に伴い、マルタへ向け出港
      9月11日マルタへ到着。そのままアレキサンドリアへ回航される
1943年10月17日〜スエズ運河南部に抑留される
1946年 2月イタリアへ返還される
1948年 2月 1日英国との和平条約に基づき除籍、60年解体処分される
インペロ[Impero]
1938年 5月14日アンサルド[Ansaldo]社にて起工
1939年11月15日進水
1940年 6月フランスの攻撃をおそれイタリア南部のブリンディシへ移動
 鋼材の不足により工事が中断する
1942年 1月ヴェネツィアへ回航される。その後トリエステへ回航
1943年 9月休戦に伴いドイツ軍に接収され、標的艦兼実験艦として使用される
1945年 2月20日米軍機の爆撃を受け大破。その後ドイツ軍により爆破着底する
1947年浮揚後、ベネツィアへ回航され、49年解体処分
ローマ[Roma]
1938年 9月18日アンサルド[Ansaldo]社にて起工
1940年 6月 9日進水
1942年 6月14日竣工
      8月〜タラント、ナポリ等を拠点とする
     12月ラ・スペーツィアへ転属
1943年 6月 5日ラ・スペーツィアにて米軍機の爆撃を受け損傷
      9月休戦に伴い、マルタへ向け出港
      9月 9日ドイツ空軍機の爆撃を受け沈没


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