カピターニ・ロマーニ型 軽巡洋艦

"Capitani Romani" Class Light Cruisers
Incrociatore Leggero Classe "Capitani Romani"


イタリア王国海軍


Attilio Regolo
スペックデータ
排水量:(満)5,334t ボイラー:Thornycroft罐・重油専焼×4基 燃料搭載量:重油1,400t
全長:(全)142.90m
全幅:14.40m 主機:Belluzzo式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:4.87m(平均値)
出力:110,000hp
武装:
45口径13.5cm連装砲4基、54口径37mm連装機関砲4基、
21inch魚雷4連装発射管2基、機雷70個搭載、(水偵1機搭載
の予定はあったが搭載されず)
最大速力:40.0kt
航続距離:25ktで3,000浬
乗員定数:418名

同型艦名(4隻+未竣工8隻)
アッティリオ・レゴロ[Attilio Regolo]カイオ・マリオ[Caio Mario]
クラウディオ・ドルソ[Claudio Druso]クラウディオ・ティベリオ[Claudio Tiberio]
コルネリオ・シラ[Cornelio Silla]ジュリオ・ジェルマニコ[Giulio Germanico]
オッタヴィアーノ・アウグスト[Ottaviano Augusto]パオロ・エミリオ[Paolo Emilio]
ポンペオ・マーノ[Pompeo Magno]シピオーネ・アフリカーノ[Scipione Africano]
ウルピオ・トライアーノ[Ulpio Traiano]ヴィプサニオ・アグリッパ[Vipsanio Agrippa]

カピターニ・ロマーニ型軽巡洋艦について
 嚮導(コンドッティエリ)型軽巡は度重なる改良と強化により徐々に拡大して行き他国の同級艦(無条約 時代の軽巡)に対抗できるだけの能力を備えるに至ったが、建造の当初目的である駆逐隊を率いて敵国(主 に仮想敵国であるフランス)の大型駆逐艦を排除するという任務から考えると大型化しすぎて小回りのきか ない艦に成り果ててしまっていた。
 一方フランス海軍の大型駆逐艦は 「ル・ファンタスク」型が竣工 するなど更なる進化を遂げており、これに危惧感を抱いたイタリア海軍では 「ジュッサーノ」型軽巡の近 代化版とも言える軽巡の建造を計画し、1939年年度に12隻という大量発注をおこなった。
 対大型駆逐艦に任務を限定したため、主砲は13.5センチと小型化し、航空艤装も廃止(水偵は海面上 へ降ろしてから離水させる方式で搭載予定だったが、結局搭載されなかった)され、舷側装甲も廃止となる など攻撃力・防御力は縮小され、かわりに最高速度は40ノットと仏大型駆逐艦よりも優速とされている。
 12隻もの大量建艦が予定されたが、イタリア参戦により工事は遅れ、一部の艦を除いて建造中止や独軍 の接収などの憂き目にあい竣工できなかった。
 なお、同クラスは艦名にローマ時代の軍艦長の名前を付けたため、一般に「カピターニ・ロマーニ」(ロ ーマの艦長の意)型と呼ばれているが、資料によってはネームシップの名前から「アッティリオ・レゴロ」 型と呼ばれている場合もある。

カピターニ・ロマーニ型軽巡洋艦の歴史
アッティリオ・レゴロ[Attilio Regolo]
1939年 9月28日OTO[Odero Terni Orlando]リヴォルノ造船所にて起工
1940年 8月28日進水
1942年 5月14日竣工
      8月〜シシリー沖にて機雷敷設任務に従事
     11月 9日本国へ帰還中に英潜水艦「アンラッフルド」の雷撃を受け損傷
     11月〜パレルモにて修理を実施。完了は翌年
1943年 9月イタリア降伏のため連合軍指揮下に入り、哨戒任務などに従事
1948年 7月24日戦時賠償艦としてフランス海軍に引き渡される
      8月 1日フランス海軍籍に編入。艦名を「シャトールノー」[Chateaurenault]と改名
1962年 9月13日除籍。ブレストにて機関学校練習船となる
1960年代中頃スクラップとして解体処分される
カイオ・マリオ[Caio Mario]
1939年 9月28日OTOリヴォルノ造船所にて起工
1941年 8月17日進水
1943年 1月13日未竣工だが海軍へ引き渡される
      9月イタリア降伏。ドイツ軍の接収をおそれ、ラ・スペーツィアにて自沈
クラウディオ・ドルソ[Claudio Druso]
1939年 9月27日CdT[Cantieri del Tirreno]リヴァ・トリゴソ造船所にて起工
1940年イタリア参戦のため工事中断となる
1942年船台上でスクラップとして解体される
クラウディオ・ティベリオ[Claudio Tiberio]
1939年 9月16日OTOリヴォルノ造船所にて起工
1940年イタリア参戦のため工事中断となる
1942年船台上でスクラップとして解体される
コルネリオ・シラ[Cornelio Silla]
1939年10月12日アンサルド[Ansaldo]社にて起工
1941年 6月28日進水
1943年 9月進捗率84%の時点でイタリア降伏。ドイツ軍にジェノアにて接収される
1944年 7月連合軍機の爆撃によりジェノア港にて沈没
ジュリオ・ジェルマニコ[Giulio Germanico]
1940年 5月11日カステラマーレ・ディ・スタビア[Castellemare di Stabia]工廠にて起工
1941年 7月20日進水
1943年 9月イタリア降伏。ドイツ軍の接収をおそれ自沈
     11月ドイツ軍の手で浮揚され、接収される
1945年終戦のためイタリアの管理下に戻る
1953年〜嚮導駆逐艦として竣工させるため工事を実施
1955年嚮導駆逐艦として竣工。艦名を「サン・マルコ」[San Marco]と改名
1971年除籍。後にスクラップとして解体処分される
オッタヴィアーノ・アウグスト[Ottaviano Augusto]
1939年 9月23日CNR[Cantiere Navale Riuniti]アンコナ工廠にて起工
1942年 5月31日進水
1943年 9月イタリア降伏。未竣工の状態でドイツ軍により接収される
     11月 1日連合軍機の爆撃により沈没
パオロ・エミリオ[Paolo Emilio]
1939年10月12日アンサルド社にて起工
1940年イタリア参戦のため、進捗率58%の時点で工事中断となる
1942年船台上でスクラップとして解体される
ポンペオ・マーノ[Pompeo Magno]
1939年 9月23日CNR[Cantiere Navale Riuniti]アンコナ工廠にて起工
1941年 8月28日進水
1943年 6月24日竣工
      7月〜哨戒や機雷敷設任務に従事
      9月〜イタリア降伏のため連合軍指揮下に入り訓練任務や輸送任務に従事
1945年?イタリア海軍籍に復帰
1948年 5月 1日除籍。保管船となる
1951年 3月嚮導駆逐艦への改修工事を開始
1955年 7月 1日嚮導駆逐艦として竣工。艦名を「サン・ジョルジオ」[San Giorgio]と改名
1964年練習艦に類別変更される
1980年除籍。後にスクラップとして解体処分される
シピオーネ・アフリカーノ[Scipione Africano]
1939年 9月28日OTOリヴォルノ造船所にて起工
1941年 1月12日進水
1943年 4月23日竣工
      7月17日ジェノアからタラントへの航海途中にメッシーナ海峡にて英魚雷艇と遭遇、交戦となる
砲雷撃により英魚雷艇「MTB316」を撃沈する
      8月タラント港沖にて機雷敷設任務に従事
      9月イタリア降伏に際し、国王や元帥を降伏調印のためブリンディジやベスカラへ護衛する
1944年〜連合軍指揮下で訓練任務などに従事
1948年 8月 9日戦時賠償艦としてフランス海軍に引き渡される
      8月15日フランス海軍籍に編入。艦名を「ギッシェン」[Guichen]と改名
1961年 4月 1日退役。保管船となる
1976年 6月 1日除籍。後にスクラップとして解体処分される
ウルピオ・トライアーノ[Ulpio Traiano]
1939年 9月23日CNR[Cantiere Navale Riuniti]パレルモ工廠にて起工
1942年11月30日進水
1943年 1月 3日パレルモ港にて艤装中に英特殊潜航艇の攻撃により沈没
ヴィプサニオ・アグリッパ[Vipsanio Agrippa]
1939年10月CdTリヴァ・トリゴソ造船所にて起工
1940年イタリア参戦のため工事中断となる
1942年船台上でスクラップとして解体される


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2017,12,30(FirstUp 2004,01,24)