アルベルト・ディ・ジュッサーノ型 軽巡洋艦

"Alberto Di Giussano" Class Light Cruisers (Condottieri 1st Group)
Incrociatore Leggero Classe "Alberto Di Giussano" (Condottieri tipo1)


イタリア王国海軍


Bartolomeo Colleoni
スペックデータ
排水量:(満)6,844t ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×6基 燃料搭載量:重油1,150t
全長:(全)169.30m
全幅:15.50m 主機:Belluzzo式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:5.30m
出力:95,000hp
武装:
53口径6inch連装砲4基、47口径10cm連装砲3基、54口径
37mm連装機関砲4基、21inch魚雷連装発射管2基、水偵2機搭載、
(Giussano以外の艦は機雷敷設装備を持ち機雷96個を搭載可能)
最大速力:37.0kt
航続距離:18ktで3,800浬
乗員定数:521名

同型艦名(4隻)
アルベルト・ディ・ジュッサーノ
[Alberto Di Giussano]
アルベリコ・ダ・バルビアーノ
[Alberico da Barbiano]
バルトロメオ・コレオーニ
[Bartolomeo Colleoni]
ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネレ
[Giovanni Delle Bande Nere]

アルベルト・ディ・ジュッサーノ型軽巡洋艦について
 イタリア海軍が第一次大戦後に初めて建造した軽巡洋艦。フランスが建造した「ジャグアー」型「ゲパール」型などの大型駆逐艦に対抗するため、駆逐艦と同程度以上の高速発揮と駆逐艦よりも強力な兵装を搭載し、味方駆逐艦戦隊を導く艦としてコンドッティエリ(Condottieri:嚮導の意)型と呼ばれるようになる伊軽巡グループ最初のモデルである。
 日本海軍の「球磨」型などと比較すると船体寸法は1割以上大きいのに基準排水量は5,000トン程度と同程度で、いかに高速力を発揮するため船体を軽く設計されているかが判る。排水量を抑えるため装甲を減らすだけでなく推進軸を2軸に減らしたり、兵員居住区を簡素にするなど極限まで船体が軽く作られているため重心上昇がおこり、復原性や凌波性は低かったと言われている。
 公試時には過負荷出力で40ノット以上の速力を出したと言われているが、この速度は欧州艦にありがちなベストコンディション(軽装備状態・平穏な水面上などの状況)で出された数値であり、実際には機関の信頼性や船体安定性の問題から30ノット程度が最高だったとも言われている(伊海軍は設計値以上の速力を発揮できた場合、建造を請け負った造船所にボーナスを支給する制度を持っていたため、このような公試時の速度水増しが顕著だったと言われている)。
 第二次大戦では大型艦がパッとしなかったイタリア海軍の中にあって当クラスは各戦線で奮闘しており、その結果姉妹艦全艦が戦没している。

アルベルト・ディ・ジュッサーノ型軽巡洋艦の歴史
アルベルト・ディ・ジュッサーノ[Alberto Di Giussano]
1928年 3月29日アンサルド[Ansaldo]社にて起工
1930年 4月27日進水
1931年 2月 5日竣工
1936年スペイン内乱に際し、スペイン近海にて警戒任務に従事
1940年 6月〜第4巡洋艦戦隊に所属し、第二次大戦に参加
      7月 9日カラブリア岬沖海戦に参加
      8月〜パンテレリア島を拠点にシチリア海峡付近の機雷敷設任務に従事
1941年〜北アフリカへの補給船団護衛任務や物資輸送任務に従事
     12月 9日北アフリカへの物資輸送任務のためパレルモを出港するが英軍機に発見され帰還する
     12月12日再度、輸送任務のため出港するが、翌日英軍機に発見されたため針路反転する
     12月13日チュニジア沖にて英艦隊の迎撃を受け(ボン岬沖海戦)、英駆逐艦の雷撃により沈没
アルベリコ・ダ・バルビアーノ[Alberico da Barbiano]
1928年 4月16日アンサルド社にて起工
1930年 8月23日進水
1931年 6月 9日竣工
1936年スペイン内乱に際し、スペイン近海にて警戒任務に従事
1940年 6月〜第4巡洋艦戦隊に所属し、第二次大戦に参加
      7月 9日カラブリア岬沖海戦に参加
      9月〜練習艦として使用するため改修工事を実施。完了は翌年3月
1941年 3月〜練習任務に従事
     12月 9日北アフリカへの物資輸送任務のためパレルモを出港するが英軍機に発見され帰還する
     12月12日再度、輸送任務のため出港するが、翌日英軍機に発見されたため針路反転する
     12月13日チュニジア沖にて英艦隊の迎撃を受け(ボン岬沖海戦)、英駆逐艦の雷撃により沈没
バルトロメオ・コレオーニ[Bartolomeo Colleoni]
1928年 6月21日アンサルド社にて起工
1930年12月21日進水
1932年 2月10日竣工
 地中海方面にて任務に従事
1938年末〜極東艦隊に転属し、上海にて旗艦任務に従事
1939年10月〜第二次大戦勃発のため地中海へ帰還。第2巡洋艦戦隊に転属する
1940年 7月〜シチリア海峡付近の機雷敷設任務に従事
      7月17日〜エーゲ海にて海上通行遮断作戦に従事
      7月19日英艦隊と遭遇、交戦(スパダ岬沖海戦)
濠巡洋艦「シドニー」の砲撃を受け大破した後、英駆逐艦の雷撃を受け沈没
ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネレ[Giovanni Delle Bande Nere]
1928年10月31日カステラマーレ・ディ・スタビア[Castellemare di Stabia]工廠にて起工
1930年 4月27日進水
1931年 4月 1日竣工
1936年スペイン内乱に際し、スペイン近海にて警戒任務に従事
1940年 6月〜第2巡洋艦戦隊に所属し、第二次大戦に参加
      7月〜シチリア海峡付近の機雷敷設任務に従事
      7月17日〜エーゲ海にて海上通行遮断作戦に従事
      7月19日英艦隊と遭遇、交戦(スパダ岬沖海戦)。小破するが英駆逐艦を振り切って帰還する
     12月〜兵員輸送船団などの護衛任務に従事
1941年 5月〜トリポリ沖にて機雷敷設任務に従事
      7月〜シチリア海峡付近にて機雷敷設任務に従事
     10月〜特別任務部隊の旗艦となる(翌年1月まで)
1942年 2月〜北アフリカへの補給船団護衛任務に従事
      3月22日第二次シルテ湾海戦に参加
      3月23日戦闘終了直後に嵐に遭遇し、上部構造物に多大な損害を受ける
      4月 1日本国へ帰還し修理を行うためシドラ湾を出港
ストロンボリ島沖にて英潜水艦「アージ」の雷撃を受け沈没


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