エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ型 軽巡洋艦

"Emanuele Filiberto Duca D'Aosta" Class Light Cruiser (Condottieri 4th Group)
Incrociatore Leggero Classe "Emanuele Filiberto Duca D'Aosta" (Condottieri tipo4)


イタリア王国海軍


Eugenio Di Savoia
スペックデータ(数値はD'Aostaのもの)
排水量:(満)10,374t ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×6基 燃料搭載量:重油1,460t
全長:(全)186.90m
全幅:17.50m 主機:Parsons式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:6.10m
出力:110,000hp
武装:
53口径6inch連装砲4基、47口径10cm連装高角砲3基、
54口径37mm連装機関砲4基、21inch魚雷3連装発射管2基、
機雷146個搭載可能、爆雷投射機2基、水偵3基搭載
(後に水雷装備や航空艤装を撤去し20mm機関砲12門を追加)
最大速力:36.5kt
航続距離:14ktで3,900浬
乗員定数:694名

同型艦名(2隻)
エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ
[Emanuele Filiberto Duca D'Aosta]
エウジェニオ・ディ・サヴォイア
[Eugenio Di Savoia]

デュカ・ダオスタ型軽巡洋艦について
 「モンテクッコリ」型に続いて建 造された嚮導(コンドッティエリ)型軽巡洋艦の第4グループ。基本的には「モンテクッコリ」型の拡大改良型 であるため兵装などに変更は無いが、船体が大型化し排水量に余裕が出たので更に装甲が強化されている。
 スタイル的にも「モンテクッコリ」型とほぼ変化はないが、機関の配置が前後均等になったため2本の煙突の 太さが同じになっていたり、前部檣楼頂点部に上部艦橋が設けられているところなどが識別点となる。
 第二次大戦では大きな海戦などに参加せず、機雷敷設や北アフリカ方面への物資輸送が主任務であったためイ タリア降伏時に両艦とも生き残っており、戦後賠償艦としてソビエトとギリシアにそれぞれ引き渡されている。

エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ型軽巡洋艦の歴史
エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ[Emanuele Filiberto Duca D'Aosta]
1932年10月29日OTO[Odero Terni Orlando]リヴォルノ造船所にて起工
1934年 4月22日進水
1935年 7月13日竣工
 第7巡洋艦戦隊に所属し、任務に従事
1940年 6月〜第2戦隊に所属し、第二次大戦に参加
      7月 9日カラブリア岬沖海戦に参加
      夏以降〜北アフリカ方面への船団護衛任務に従事
     11月〜第8戦隊に転属
1941年 4月〜ボン岬沖やシドラ湾への機雷敷設任務や船団護衛任務に従事
     12月〜北アフリカへの船団護衛に従事。第1シルテ湾海戦に参加
1942年 6月〜マルタ島への英軍補給路妨害のため地中海で行動
     12月 4日ナポリにて米軍機の爆撃を受ける
1943年〜燃料不足のため活動停止状態となる
      8月パレルモ沖にてシシリーに上陸した連合軍への砲撃を実施
      9月〜イタリアの降伏を受けてマルタへ回航される
1944年〜連合軍指揮下で哨戒任務などに従事
1949年 3月ソビエトに戦時賠償艦として引き渡され、ソビエト軍艦Z15と改名する
1950年?艦名を「スターリングラード」[Сталинградская (Stalingrad)]と改名する
1950年代艦名を「ケルチ」[Керчь (Kerch)]と改名する
1957年除籍。スクラップとして解体処分される
エウジェニオ・ディ・サヴォイア[Eugenio Di Savoia]
1933年 7月 6日アンサルド[Ansaldo]社にて起工
1935年 3月16日進水
1936年 1月16日竣工
 第7巡洋艦戦隊に所属し、任務に従事
1940年 6月〜第2戦隊に所属し、第二次大戦に参加
      7月 9日カラブリア岬沖海戦に参加
      夏以降〜北アフリカ方面への船団護衛任務に従事
     12月コルフ海峡にてギリシア砲撃に参加
1941年 4月〜ボン岬沖やシドラ湾への機雷敷設任務に従事
1942年 3月トリポリへの船団護衛任務に従事
      6月15日パンテレリア沖海戦に参加
      8月マルタ島への英船団補足のため出撃
     12月 4日ナポリにて米軍機の爆撃を受け、中破する
1943年 1月〜カステラマーレ・ディ・スタビア工廠にて修理を実施。完了は同年春頃
      9月〜イタリアの降伏を受けてマルタへ回航される
1944年〜連合軍指揮下で哨戒任務などに従事
1947年 2月10日和平条約により連合軍管理下へ引き渡される
1951年 7月 1日ギリシアに戦時賠償艦として引き渡され、ギリシア軍艦「ヘレ」[Χελλε (Helle)]と改名する
1964年除籍。後にスクラップとして解体処分される


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