ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチ型 軽巡洋艦

"Luigi Di Savoia Duca Degli Abruzzi" Class Light Cruiser (Condottieri 5th Group)
Incrociatore Leggero Classe "Luigi Di Savoia Duca Degli Abruzzi" (Condottieri tipo5)


イタリア王国海軍


Giuseppe Garibaldi
スペックデータ(データはアブルッチのもの)
排水量:(満)11,575t ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×8基 燃料搭載量:重油1,650t
全長:(全)187.00m
全幅:18.9m 主機:Parsons式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:6.10m
出力:100,000hp
武装:
55口径6inch3連装砲2基、同連装砲2基、47口径10cm連装
高角砲4基、54口径37mm連装機関砲4基、21inch魚雷3連装
発射管2基、機雷146個搭載、爆雷投射機2基、水偵4基搭載
(後に20mm機関砲10門を追加)
最大速力:34.0kt
航続距離:13ktで4,120浬
乗員定数:640名

同型艦名(2隻)
ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチ
[Luigi Di Savoia Duca Degli Abruzzi]
ジュゼッペ・ガリバルディ
[Giuseppe Garibaldi]

ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチ型軽巡洋艦について
 「デュカ・ダオスタ」型軽 巡に続いて1932年度計画で建造された嚮導(コンドッティエリ)型軽巡。 「ジュッサーノ」型から続 いたコンドッティエリ型軽巡の最終モデルで、最初の「ジュッサーノ」型から比べると排水量は倍近くに 増えているが、装甲も3倍近くの厚さとなり防御力は比較にならない程強化されたものとなっている。
 基本的には「デュカ・ダオスタ」型の拡大改良型として計画されているが、主砲は 「リットリオ」型戦艦の副砲と 同じ最新型となり、1番及び4番砲塔は3連装とすることで砲門数も10門に増加している。また艦橋も 大型化したほか、水偵用カタパルトも2基に増やされている。
 これら上部構造の拡大による復原性能低下を防ぐため艦幅は大きくなり、おかげで余裕のある上部構造 配置となっているが、最高速度は若干低下した(既に駆逐艦と行動を共にする嚮導艦としての意義を失い つつあると言って良いだろう)。
 第二次大戦では「デュカ・ダオスタ」型と同様に護衛任務などに従事したため終戦まで生き残っており、 戦時賠償艦として他国へも引き渡されなかったため、戦後しばらくの間もイタリア海軍の中核として現役 生活を続けている。
 なおコンドッティエリ型としては1939年度に当クラスの改良型である「コスタンツォ・チアーノ」 [Costanzo Ciano]型が計画されているが、これはイタリア参戦のため着工されずに終わっている。

アブルッチ型軽巡洋艦の歴史
ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチ
[Luigi Di Savoia Duca Degli Abruzzi]
1933年12月28日OTO[Odero Terni Orlando]ラ・スペーツィア造船所にて起工
1936年 4月21日進水
1937年12月 1日竣工
1938年スペイン内乱に際し、スペイン近海にて作戦に従事
1939年第8戦隊旗艦となる
1940年 6月〜第二次大戦に参加。アレキサンドリア沖にて英補給路に対する妨害を実施
     12月〜コルフ海峡にてギリシア砲撃に参加
1941年 3月〜クレタ島沖にて任務に従事
      5月北アフリカへの船団護衛に従事。英潜水艦「アージ」の雷撃を受け損傷
     11月〜クレタ島への英補給船団阻止のため地中海方面へ展開する
1942年〜キレナイカへの輸送路警護などに従事
1942年末頃〜燃料不足のため行動不能状態になる
1943年 9月イタリア降伏のためマルタ島で連合軍指揮下に入る
 連合軍指揮下で哨戒や訓練任務に従事
1947年イタリア海軍籍に復帰
1961年 4月除籍。後にスクラップとして解体処分される
ジュゼッペ・ガリバルディ[Giuseppe Garibaldi]
1933年12月 1日CRDA[Cantieri Riuniti dell' Adriatico]社にて起工
1936年 4月21日進水
1937年12月20日竣工
1938年スペイン内乱に際し、スペイン近海にて作戦に従事
1939年 4月〜アルバニア侵攻に参加
1940年 6月〜第二次大戦に参加。アレキサンドリア沖にて英補給路に対する妨害を実施
     12月〜コルフ海峡にてギリシア砲撃に参加
1941年 3月〜クレタ島沖にて任務に従事
      7月27日リビア沖にて英潜水艦「アプホルダー」の雷撃を受け損傷
      8月〜ナポリにて修理を実施。完了は同年末
1942年〜キレナイカへの輸送路警護などに従事
1943年 8月〜パレルモ方面への攻撃のため出撃
      8月 9日英潜水艦「シムーン」の雷撃を受けるが命中せず
(同雷撃により伊駆逐艦「ヴィンセンツォ・ジョベルティ」が沈没した)
1943年 9月イタリア降伏のためマルタ島で連合軍指揮下に入る
 連合軍指揮下で哨戒や訓練任務に従事
1947年イタリア海軍籍に復帰
1960年代?誘導ミサイル巡洋艦に改修される
1972年 1月除籍。後にスクラップとして解体処分される


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