オスティア型 敷設艇

"Ostia" Class Minelayer
Posamine Classe "Ostia"


イタリア王国海軍 他 イタリア海軍 ベネズエラ海軍 日本海軍 中華民国海軍


Legnano
「レニャーノ」(1920〜30年代:Photo from Wikipedia)
スペックデータ(【 】内はCNT建造艇のデータ)
排水量:(基)615t ボイラー:水管罐・重油専焼×2基【石炭専焼×2基】 燃料搭載量:重油75t【石炭85t】
全長:(全)62.2m
全幅:8.69m 主機:直立型往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:2.59m
出力:1,500hp
武装:
35口径10.2cm単装砲2基、40口径76mm単装砲1基、
機雷80個搭載
最大速力:15.0kt
航続距離:10ktで3,500浬
乗員定数:66名

同型艦名(6隻)
オスティア [Ostia]ダルダネッリ [Dardanelli]ミラッツォ [Milazzo]
レニャーノ [Legnano]レパント [Lepanto]アツィオ [Azio]

オスティア型敷設艇について

 イタリア海軍が「ファザナ」型と同時期に建造した敷設艇。当クラスは海外植民地などでの権益保護にも使用できるよう設計されており、船体のサイズなどは「ファザナ」型と大きな差はないが、武装は10.2センチ砲2門と強化されているほか、航続距離も大きく延びている。
 トリエステ工廠([Cantiere Navale Triestino]。略してCNT)およびリウニーティ工廠([Cantieri Navali del Tirreno e Riuniti]。略してCNR)において全部で6隻の姉妹艦が建造されているが、CNTで建造された3隻には石炭ボイラー、CNRの3隻は重油ボイラーが搭載されている。

 1920年代後半に相次いで竣工した当クラスは、イタリアの海外植民地や中国大陸などで任務に従事した。1938年に2隻(「ダルダネッリ」「ミラッツォ」)がベネズエラに売却されたが、残る4隻は第二次大戦に参加した。
 「オスティア」は1941年4月に紅海のマッサワ守備隊が降伏した際に自沈した。「レパント」も1943年9月にイタリアが降伏した際に上海にて自沈したが、後に日本軍が浮揚して海軍籍に編入、日本海軍砲艦「興津」となった。「レニャーノ」と「アツィオ」はイタリア降伏後もレロス島にあったが、43年10月にドイツ軍機の攻撃を受け「レニャーノ」が沈没した。その後「アツィオ」は中立国のトルコへ逃れ、イタリアへ帰還できたのは戦後になってのことであった。


オスティア型敷設艇の歴史
オスティア [Ostia]
1925年 5月23日トリエステ工廠[Cantiere Navale Triestino]にて起工
      12月 3日進水
1926年11月17日竣工
1930年代初頭紅海などで水路測量(機雷敷設の事前調査)に従事
1930年代中盤〜紅海艦隊に転属。マッサワに駐留
1940年イタリア参戦後はマッサワを拠点に紅海への機雷敷設に従事
1941年初頭マッサワ港防備のため港湾閉塞に従事
       4月 8日マッサワ守備隊が連合軍に降伏。当艇はマッサワ港にて自沈着底
1941年末英軍により浮揚され、港外へ曳航の後に自沈処分
ダルダネッリ [Dardanelli]
1925年 5月14日トリエステ工廠にて起工
       9月29日進水
1926年 9月 4日竣工
1920年代末タラントを拠点にシルテ湾(シドラ湾)などの水路測量に従事
1937年〜ベネズエラへの売却が決まり改装を実施
1938年ベネズエラ海軍へ引き渡し。砲艦に類別。艇名を「ヘネラル・ウルダネタ」[General Urdaneta]と改名(艇名を「ヘネラル・ソウブレッテ」とする資料もある)
1939年ベネズエラ海軍就役。第二次大戦時は中立国だったが、米国で兵装の改修を実施
1945年 2月ベネズエラが連合国側として参戦(ただし交戦等は特に行っていない)
1950年(48年や51年とする説もあり)退役。後に解体処分
ミラッツォ [Milazzo]
1925年 5月19日トリエステ工廠にて起工
      11月18日進水
1926年10月 7日竣工
1920年代末タラントを拠点にシルテ湾(シドラ湾)などの水路測量に従事
1937年〜ベネズエラへの売却が決まり改装を実施
1938年ベネズエラ海軍へ引き渡し。砲艦に類別。艇名を「ヘネラル・ソウブレッテ」[General Soublette]と改名(艇名を「ヘネラル・ウルダネタ」とする資料もある)
1939年ベネズエラ海軍就役。第二次大戦時は中立国だったが、米国で兵装の改修を実施
1942年 2月16日ベネズエラ沖にて独潜に攻撃された輸送船団の救助に参加
1945年 2月ベネズエラが連合国側として参戦(ただし交戦等は特に行っていない)
1951年11月 7日(48年や50年とする説もあり)退役。後に解体処分
レニャーノ [Legnano]
1925年?リウニーティ工廠[Cantieri Navali del Tirreno e Riuniti]にて起工
1926年 3月14日(5月説あり)進水
1927年竣工
1930年代前半エーゲ海などで水路測量に従事
1930年代後半ロードス島を拠点に水路測量に従事
1940年イタリア参戦後はロードス島を拠点にエーゲ海への機雷敷設に従事
1941年 5月クレタ島侵攻を支援
1943年 9月 8日イタリアが連合軍へ降伏。当艦はレロス島に係留となる
       9月26日〜(ドイツ軍によるレロス島への攻撃が始まる)
      10月 5日独軍機の攻撃によりレロス島ラキ港にて沈没
レパント [Lepanto]
1925年 6月リウニーティ工廠にて起工
 以降の経歴については、日本海軍砲艦「興津」の項を参照
アツィオ [Azio]
1925年?リウニーティ工廠にて起工
1927年 5月 4日進水
1928年竣工
1930年代前半タラントを拠点にシルテ湾(シドラ湾)などの水路測量に従事
1930年代後半紅海艦隊に転属。マッサワに駐留
1940年イタリア参戦後はポーラを拠点にアドリア海への機雷敷設に従事
1943年 9月 8日イタリアが連合軍へ降伏。当艦はレロス島に係留となる
       9月26日〜(ドイツ軍によるレロス島への攻撃が始まる)
1943年末独軍の攻撃を逃れトルコへ避難
トルコは中立国だったため武装解除となり抑留される
1945年 5月終戦後、イタリアへ返還される
1946年水路測量船へ改修(非武装化は翌年実施という説あり)
1952年退役。57年解体処分


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