砲艦 セバスティアーノ・カボート

Gunboat "Sebastiano Caboto"
Cannoniere "Sebastiano Caboto"


イタリア王国海軍 イタリア海軍


Sebastiano Caboto
「セバスティアーノ・カボート」(撮影時期不詳)
スペックデータ
排水量:(基)877t ボイラー:円罐・石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭100t
全長:(全)63.4m
全幅:9.7m 主機:直立型往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:3.0m
出力:1,000hp
武装:
40口径76mm単装砲6基、6.5mm単装機銃4基
最大速力:13.2kt
航続距離:不明
乗員定数:107名

同型艦名(1隻)
セバスティアーノ・カボート [Sebastiano Caboto]

砲艦セバスティアーノ・カボートについて

 中国でのイタリア権益保護のために1910年に建造を計画された砲艦。19世紀の南京条約以降、列強各国は上海へ進出し自国の権益保護を行っていたが、上海の外港であるウースン[Woosung/呉淞]を超えて長江河口域へ入っていくことは大型の軍艦では不可能だったため、各国とも砲艦を上海へ配備するようになっており、イタリアもその例外ではなかった。
 当艦は河川だけでなく沿岸部などでの行動も可能な航洋型大型砲艦で、主砲に76ミリ単装砲が前後に各1門、両舷に各2門の計6門を搭載した強武装であった。

 当艦は竣工後、約4ヶ月もの期間をかけてイタリア本国から紅海、インド洋を経由して上海まで回航され、1914年春から任務に従事している。1930年代になって、敷設艇「レパント」が上海へ配備されると、当艦はイタリアへ戻ることとなり1935年からはエーゲ海などで行動している。
 イタリアが第二次大戦に参戦した時点でもエーゲ海にあり、クレタ島への侵攻などを支援した。1943年9月にイタリアが降伏した際、当艦はロードス島で自沈したが、その3日後にドイツ軍が捕獲している。しかしドイツ軍が当艦を使用することはかなわず、すぐに連合軍の爆撃により再度沈没してしまったという(43年10月に再度自沈説もある)。


砲艦セバスティアーノ・カボートの歴史
セバスティアーノ・カボート [Sebastiano Caboto]
1911年 3月ティレニア造船所[Cantieri Navali del Tirreno Riuniti]にて起工
1913年 7月20日進水
      11月23日竣工。同年12月上海へ向け出港
1914年 4月 2日上海へ到着。同年5月から任務に従事
       7月第一次大戦勃発。中国は中立国だったため当艦は上海に抑留となる
1917年12月中国参戦のため抑留解除となる
1924年ウラジオストクへの航海を実施
1934年 8月敷設艇「レパント」と交代し、地中海へ向け上海を出港
1935年エーゲ海にて任務に従事
1938年潜水艦母艦へ類別変更
1939年 9月(第二次大戦勃発)
1940年 6月イタリア参戦。ロードス島を拠点に潜水艦への支援を実施
1941年 5月独軍のクレタ島侵攻を支援
1943年 9月 9日イタリア降伏。ロードス島にて自沈
       9月12日ドイツ軍により捕獲される
 連合軍の爆撃により9月15日(9月19日説あり)に沈没
(10月に再度自沈したという説もある)


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