フレッチア型 駆逐艦

"Freccia" Class Destroyers
Cacciatorpediniere Classe "Freccia" ("Dardo" prima serie)


イタリア王国海軍


Dardo
スペックデータ
排水量:(基)1,205t ボイラー:Thornycroft罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油640t
全長:(全)96.15m
全幅:9.75m 主機:Parsons式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:4.3m
出力:44,000hp
武装:
50口径12cm連装砲2基、39口径40mm単装機関砲2基、
13.2mm連装機銃2基、21inch魚雷3連装発射管2基、
機雷60個搭載
最大速力:38.0kt(計画値)
    (実質は30kt程度)
航続距離:12ktで4,600浬
乗員定数:156名

同型艦名(4隻)
フレッチア[Freccia]ダルド[Dardo]サエッタ[Saetta]ストラレ[Strale]

フレッチア型駆逐艦について
 仮想敵国であるフランス海軍の大型駆逐艦に対抗してイタリア海軍が建造した 嚮導(コンドッティエリ)型軽巡と 行動を共にする艦隊駆逐艦として建造されたモデル。搭載兵装の数や配置はこれまでの艦と変化無いが、機 関出力の強化によって更なる高速化が図られており、また燃料搭載量を増やすことで航続距離の延伸も図ら れている。
 これまでの艦と異なり煙突は1本の集合煙突とされ、凌波性改善のため艦首部も傾斜した形状になってい るため一気に近代化した印象を与えるシルエットとなっている。しかしトップヘビー傾向があり復原性能は 低かったため竣工後にバラストの搭載やビルジ部拡大などの追加工事が行われており、最高速度は30ノッ ト程度まで落ち込み中途半端な艦となってしまった。さらに一部の艦は大戦中に後部魚雷発射管を廃止して 対空機関砲を増設している。
 なお一部資料(伊海軍公式サイト等)では「ダルド」型の第一シリーズと記述しているものも見受けられ るが、当サイトでは日本語資料や海外(主に英語圏)サイトの記述から「フレッチア」型と記述した。

フレッチア型駆逐艦の歴史
フレッチア[Freccia]
1929年 2月20日CdT[Cantieri del Tirreno]リヴァ・トリゴソ造船所にて起工
1930年 8月 3日進水
1931年10月21日竣工
1940年 6月〜第二次大戦参戦のため戦争状態へ突入
      7月 9日カラブリア岬沖海戦に参加
     11月11日タラント軍港にて英軍機の攻撃を受けるが損傷なし
     11月27日テウラダ岬沖にて英艦隊と交戦(スパルティヴェント岬沖海戦)
1942年 6月14日連合軍のマルタ輸送(ヴィガラス作戦)阻止のため交戦
      8月10日連合軍のマルタ輸送(ペデスタル作戦)阻止のため交戦
1943年 8月 8日イタリア沿岸にて連合軍機の攻撃を受け沈没
ダルド[Dardo]
1929年 1月23日オデロ[Odero]造船所にて起工
1930年 9月 6日進水
1932年 1月25日竣工
1940年 6月〜第二次大戦参戦のため戦争状態へ突入
      7月 9日カラブリア岬沖海戦に参加
      9月23日転覆事故を起こし死者51名を出す。復元後戦線復帰
     11月11日タラント軍港にて英軍機の攻撃を受けるが損傷なし
     11月27日テウラダ岬沖にて英艦隊と交戦(スパルティヴェント岬沖海戦)
1943年 9月 9日イタリア降伏のためジェノアでドイツ軍に接収される
     10月25日ドイツ軍へ編入。独水雷艇「TA.31」と改名
1945年 4月24日ドイツ降伏に伴いラ・スペーツィアにて自沈
サエッタ[Saetta]
1929年 5月27日CdTリヴァ・トリゴソ造船所にて起工
1932年 1月17日進水
      5月10日竣工
1940年 6月〜第二次大戦参戦のため戦争状態へ突入
      7月 9日カラブリア岬沖海戦に参加
     11月11日タラント軍港にて英軍機の攻撃を受けるが損傷なし
     11月27日テウラダ岬沖にて英艦隊と交戦(スパルティヴェント岬沖海戦)
1941年12月15日第一次シルテ湾海戦に参加
1942年 6月14日連合軍のマルタ輸送(ヴィガラス作戦)阻止のため交戦
      8月10日連合軍のマルタ輸送(ペデスタル作戦)阻止のため交戦
1943年 2月 3日チュニジア沖にて触雷沈没
ストラレ[Strale]
1929年 2月20日オデロ造船所にて起工
1931年 3月26日進水
1932年 2月 6日竣工
1940年 6月〜第二次大戦参戦のため戦争状態へ突入
      7月 9日カラブリア岬沖海戦に参加
     11月11日タラント軍港にて英軍機の攻撃を受けるが損傷なし
1942年 6月21日チュニジア沖にて座礁沈没


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