ドイッチュラント型 装甲艦

"Deutschland" Class Pocket Battleships
Panzerschiff der "Deutschland" Klasse


ドイツ海軍 ドイツ海軍


Admiral Scheer
装甲艦「アドミラル・シェーア」

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
アドミラル・グラフ・シュペー
第40号(2014.08.05)
装甲艦「アドミラル・グラフ・シュペー」1939年

スペックデータ
排水量:(満)
  (Deutschland)14,490t
  (A.Scheer) 15,440t
  (Graf Spee) 16,230t
ボイラー:−−−−−−− 燃料搭載量:不明
全長:(全)185.9m
(1941年修理後)187.8m
全幅:21.39m
 Deutschlandは20.69m
主機:MAN式ディーゼル機関×8基、2軸推進
吃水:7.25m
出力:
  (Deutschland)48,390hp
  (A.Scheer) 52,020hp
  (Graf Spee) 53,650hp
武装:
52口径28.3cm3連装砲2基、55口径15cm単装砲8基、
76口径88mm連装高角砲3基、83口径37mm連装高角砲4基、
53cm魚雷4連装発射管2基、(Graf Speeのみ上記の他に65口径
10.5cm連装砲3基)
最大速力:
  (Deutschland)28.0kt
  (A.Scheer) 28.3kt
  (Graf Spee) 28.5kt
航続距離:15ktで17,460浬
Deutschlandは15ktで18,650浬
乗員定数:約1,000名

準同型艦名(3隻)
ドイッチュラント
[Deutschland]
アドミラル・シェーア
[Admiral Scheer]
アドミラル・グラフ・シュペー
[Admiral Graf Spee]

ドイッチュラント型装甲艦について
 第一次大戦の敗戦によりドイツにはベルサイユ条約のもとで軍備に制限が課せられていた。戦闘艦の新造もその制限の一つで、条約により基準排水量1万トン未満、主砲口径も28センチまでという最大枠が限られていた。
 ベルサイユ条約により保有を認められていた旧式戦艦の代艦として建造が開始された当艦「ドイッチュラント」はその制限枠一杯を利用しており、列強各国の重巡洋艦よりも強力な武装を持った重巡洋艦と戦艦の中間を行く戦闘艦としてドイツでは装甲艦(Panzerschiff)と呼ばれるようになった。なおこの装甲艦は1940年に重巡洋艦へ類別されているが、当サイトでは戦艦の一種として扱った。また他国ではポケット戦艦(Pocket Battleship)の呼称が有名である。
 「ドイッチュラント」はドイツ海軍の戦略方針により通商破壊作戦を念頭に置いていたため、長大な航続力を発揮するディーゼル機関を持ち、想定される敵艦(主に英国の戦艦や巡洋艦)よりも速い最高速度を持っていた。また軽量化のため装甲は薄く、艦型をコンパクトにまとめるため極力小型化された艦橋など斬新なデザインが施されている。なお2番艦「アドミラル・シェーア」と3番艦「アドミラル・グラフ・シュペー」は「ドイッチュラント」の改良型として、若干強化された装甲を持っていた。
 各艦とも第二次大戦では開戦当初から通商破壊作戦に投入され、各地で戦果を挙げているが全艦とも戦没してしまっている。
 なお、「ドイッチュラント」は1940年にヒトラーが示した『ドイツの国名を冠した艦が沈没した場合、国民の士気に与える悪影響が心配である』との懸念を受けて「リュッツォウ」と改称されている。

ドイッチュラント型装甲艦の歴史
ドイッチュラント[Deutschland]
1929年 2月 9日ドイッチュ・ヴェルケ社(キール)にて起工(2月5日説あり)
1931年 5月19日進水
1933年 4月 1日竣工
1935年 3月耐久力試験を兼ねて南アメリカ方面へ航海
1936年〜スペイン内戦に際してスペイン沿岸の警戒活動に参加
1937年 5月29日スペイン・イビサ島沖にて共和国軍機の攻撃を受け損傷を負う
1939年〜第二次大戦に参加。通商破壊作戦に従事
1940年 2月艦名を「リュッツォウ」[Lützow]に改称(1939年12月説もある)。重巡洋艦に類別変更
      4月 9日オスロ攻略に従事中、ノルウェー沿岸砲台の砲撃を受け損傷
      4月10日スカゲラク海峡にて英潜水艦の攻撃を受け損傷。修理完了は翌年4月
1941年 6月ノルウェー沖にて英海軍機の雷撃を受け損傷。修理完了は同年末
1942年 1月〜バルト海にて習熟訓練を行う
      6月ノルウェー海域へ派遣される
     12月31日バレンツ海海戦に参加
1944年 2月士官学校の練習船として使用される
      6月〜スウェーデンからの輸送船団護衛に従事
      9月バルト海沿岸にて、退却する独陸軍部隊を支援するため対地砲撃を実施
1945年 4月16日シュバイネミュンデにて英軍機の爆撃を受け大破着底
 浮揚後、固定砲台として使用される
      5月英空軍の再度の爆撃により大破、戦闘不能のまま終戦を迎える
1946年春ソビエト軍に接収・浮揚される
      9月26日ソ連海軍籍へ編入され、予備艦としてモスボールされる
1947年 7月修復不可能と判断され除籍。同月22日標的艦としてバルト海にて沈没
アドミラル・シェーア[Admiral Scheer]
1931年 6月25日ヴィルヘムスハーフェン海軍工廠にて起工
1933年 4月 1日進水
1934年11月12日竣工
1935年〜北大西洋にて訓練任務に従事
1936年〜スペイン内戦に際してスペイン沿岸の警戒活動に参加
1937年 5月31日スペイン・アルメリア港を砲撃する
1939年〜第二次大戦に参加。通商破壊作戦に従事
      9月 4日ヴィルヘルムスハーフェンにて英軍機の爆撃を受けるも爆弾不発のため損傷軽微
1940年 1月〜オーバーホールのためドック入り。同年2月重巡洋艦に類別変更
      7月〜訓練のためバルト海へ派遣される
     10月23日〜通商破壊作戦に従事。母港キールへの帰還は翌年4月
1941年 9月〜バルト海艦隊に所属し、作戦に従事
1942年 2月〜ノルウェー海域へ派遣され、補給船団攻撃に従事
     11月キールへ帰還。翌年1月まで修理を実施
1943年 1月〜練習艦として使用される
1944年10月戦列艦として復帰。陸軍の支援としてソルブ半島沿岸海域で作戦行動
1945年 3月ピラウから難民を乗せキールへ帰還。修理のためドック入り
      4月 9日キール軍港内にて英軍機の爆撃を受け大破、転覆
1946年スクラップとして解体処分される
アドミラル・グラフ・シュペー[Admiral Graf Spee]
1932年10月 1日ヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠にて起工
1934年 6月30日進水
1936年 1月 6日竣工
     10月〜スペイン内戦に際してスペイン沿岸の警戒活動に参加
1937年 5月20日英国王ジョージVI世戴冠記念観艦式に出席
1939年〜第二次大戦に参加。通商破壊作戦に従事
     12月13日ラプラタ沖にて英艦隊と交戦(ラプラタ沖海戦)
     12月14日中立国ウルグアイへ入港。72時間の寄港を認められる
     12月17日英艦隊に追いつめられ、ラプラタ川にて自沈
2004年 2月〜民間投資家とウルグアイ政府の手により引き揚げを開始
2009年ウルグアイ大統領令により引き揚げ作業中止


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