軽巡洋艦 ライプチヒ

Light Cruiser "Leipzig"
Leichter Kryeuzer "Leipzig"


ドイツ海軍 ドイツ海軍


Leipzig
スペックデータ【 】内は巡航用ディーゼルのデータ
排水量:(満)8,380t ボイラー:Schulz-Thornycraft罐(改良型)・重油専焼×6基 燃料搭載量:重油1,253t
【別にディーゼル用348t】
全長:(全)177.01m
全幅:16.23m 主機:Germaniaギヤードタービン×2基、2軸推進
   【巡航用に7気筒ディーゼルエンジン×4基、1軸推進】
吃水:4.88m(平均値)
出力:60,000hp
【ディーゼル12,400hp】
武装:
60口径15cm3連装砲3基、76口径8.8cm連装高角砲4基、
69口径37mm連装機関砲4基、65口径20mm機関砲6門、
21inch魚雷3連装発射管4基、(後に水偵2機搭載設備を追加)
最大速力:32.0kt
航続距離:14.5ktで6,200浬
  【D巡航14.5ktで3,800浬】
乗員定数:850名前後

同型艦名(1隻)
ライプチヒ[Leipzig]

軽巡洋艦ライプチヒについて
 仮称”E”の名称で1928年度計画にて建造された軽巡洋艦(軽巡は第一次大戦後に初めて建造された軽巡「エムデン」に”A”、「ケーニヒスベルグ」型の3隻には”B”〜”D”の計画名を付けられているため、それに続く当艦は”E”のコードが振られた)。
 基本的には「ケーニヒスベルグ」型の改良型であるため兵装などに変更はないが、「ケーニヒスベルグ」型では2軸の推進軸をタービンと巡航用ディーゼル機関それぞれ1基ずつが受け持っていたのを、当艦では3軸推進とし左右2軸はタービン駆動、中央1軸をディーゼル駆動とされ、搭載されるディーゼル機関も高出力のものにして巡航時の速度低下を押さえている。このため機関部のレイアウトも変更となり、「ケーニヒスベルグ」型では2本煙突だったものが大きな集合煙突1本に改められたので、見た目の印象は全く異なった艦影となっている。また射角が干渉しないよう左右にずらして配置されていた後部砲塔は中心線上に配置しなおされている。なお水偵搭載設備は艦橋と煙突の間に後日追加という形で設置された(上の写真は水偵搭載設備設置後の姿である)。
 色々な改良を組み込まれた当艦だったが、第二次大戦では「ケーニヒスベルグ」型の3隻が戦場で奮闘したのとは対照的に開戦初頭に損傷し、修理後は練習艦として使用され、1944年に重巡「プリンツ・オイゲン」と衝突事故をおこし大破した後は修理もされずに敗戦となり、最後は北海に海没処分されてしまうという運命をたどっている。

軽巡洋艦ライプチヒの歴史
ライプチヒ[Leipzig]
1928年 4月18日ヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠にて起工
1929年10月18日進水
1931年10月 8日竣工
1932年〜水雷戦隊指揮の研究や訓練任務などに従事
1936年〜レーダー機器の搭載実験及び運用試験に従事
      8月〜スペイン内戦に際し、スペイン近海にて警戒任務に従事
1938年〜各種訓練任務に従事
1939年 8月末〜バルト海にて警戒任務に従事
     11月 7日砲術練習艦「ブレムゼ」と衝突。損傷は軽微
     12月12日英潜水艦「サーモン」の雷撃を受け損傷
     12月15日撤退中に英潜水艦「ウルスラ」の雷撃を受けるが命中せず
(同雷撃により独護衛艦「F9」が撃沈された)
     12月末〜修理を実施するが、破損したボイラー室は候補生居住室に改装され練習艦となる
1940年12月 1日練習艦として艦隊に復帰する
1941年 9月〜バルト海に進出。同月27日ソビエト魚雷艇「MTB-83」を撃沈する
     11月〜艦隊の練習艦として任務に従事
1944年10月15日ダンツィヒ湾にて独重巡「プリンツ・オイゲン」が艦中央部に衝突し大破
ゴーテンハーフェンに曳航されるが損傷大のため修理は行われなかった
1945年 3月ゴーテンハーフェンにて砲台として使用され、迫り来る連合軍に対し砲撃を実施する
      3月25日〜アペンラーデへ曳航され移動。その地で終戦を迎える
1946年12月16日連合軍の手によりヴィルヘルムスハーフェン沖にて自沈処分される


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