アドミラル・ヒッパー型 重巡洋艦

"Admiral Hipper" Class Heavy Cruisers
Schwerer Kreuzer der "Admiral Hipper" Krasse


ドイツ海軍 ドイツ海軍


Admiral Hipper
重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」(1939年)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
プリンツ・オイゲン
第70号(2015.09.29)
重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」1941年

スペックデータ(【 】内はPrinz Eugen以降の艦データ)
排水量:(満)18,500t
    【(満)19,000t】
ボイラー:La Mont罐・重油専焼×12基
     (Blücher以降はWagner罐・重油専焼×12基)
燃料搭載量:重油3,050t
全長:(全)205.84m
   【(全)207.65m】
全幅:21.26m
   【21.87m】
主機:Blohm&Voss式蒸気タービン×3基、3軸推進
   (Blücher以降はDeschimag式蒸気タービン×3基、3軸推進)
吃水:5.79m(平均)
   【6.33m(平均)】
出力:132,000hp
武装:
55口径8inch連装砲4基、65口径10.5cm連装砲6基、
83口径37mm連装機関砲6基、65口径20mm機関砲6門、
21inch魚雷3連装発射管4基、水偵4基搭載
最大速力:32.5kt
航続距離:17ktで6,500浬
      【15ktで5,050浬】
乗員定数:1,600名

同型艦名(3隻+空母へ流用1隻+譲渡1隻)
アドミラル・ヒッパー
[Admiral Hipper]
ブリュッヒャー
[Blücher]
プリンツ・オイゲン
[Prinz Eugen]
ザイドリッツ[Seydlitz]
(空母へ流用。未竣工)
リュッツオウ[Lützow]
(未竣工。ソ連へ譲渡)
 

アドミラル・ヒッパー型重巡洋艦について
 ドイツ海軍は第一次大戦の敗戦によって大型艦の新造保有を禁止されていたが、将来戦うおそれのある 英仏の艦艇に対抗できうる重巡洋艦の建造は、密かに軍備増強を図り始めた1930年代初頭からの悲願 であった。そこで1934年になって3つの条件を提示しその要件を満たす重巡洋艦の設計案を作成する ことにした。
 『フランスの 「ダンケルク」型戦艦よりも 優速で、重巡「アルジェリー」に 匹敵する攻撃力を持ち、かつ大西洋で作戦に従事できる航続距離を持つ』という3つの条件をもとに設計が開始されたが主砲に8イ ンチ砲を採用したため当初計画より船体は拡大することになった。またドイツらしく搭載機関にディーゼ ルや電気タービンなども考慮されたようだが、結局は蒸気タービン推進が採用されている。
 1935年のベルサイユ条約破棄により建造計画は本格化し、同年夏にネームシップである「アドミラ ル・ヒッパー」と2番艦「ブリュッヒャー」の建造が開始された。サイズや砲塔数こそ違うもの の比較的小さな艦橋や1本にまとめられた集合煙突の配置などは 「シャルンホルスト」型巡洋 戦艦に酷似している。他国の条約型重巡に比べると条約に縛られなかった当クラスは基準排水量が1万トン を越える大型のものであったが、主砲砲門数は8門と平均的なものであった。
 全部で5隻の建造が計画され、3番艦「プリンツ・オイゲン」以降は船体長を若干長くするなどの改良 が加えられている。しかし5番艦「リュッツオウ」は建造途中の状態でソビエトに物資の対価として 譲渡され、4番艦「ザイドリッ ツ」は大戦勃発により工事中止となり、最終的には 空母へ改装されることになったが完 成せずに終戦を迎えている。
 竣工した3隻は第二次大戦では通商破壊作戦やノルウェー攻略などに投入され、「ヒッパー」と「ブリ ュッヒャー」は戦没したが、「オイゲン」は終戦まで生き残り最期はビキニ環礁での原爆実験標的艦とし て使用され生涯を閉じた。

アドミラル・ヒッパー型重巡洋艦の歴史
アドミラル・ヒッパー[Admiral Hipper]
1935年 7月 6日ブローム・ウント・フォス社にて起工
1937年 2月 6日進水
1939年 4月29日竣工
       8月〜バルト海に展開し警戒任務・訓練任務などに従事
1940年 2月〜北海にて通商破壊作戦に従事するが交戦せず
       4月初頭〜ノルウェー侵攻(ヴェーゼル演習作戦)に参加
       4月 8日トロンヘイム沖海戦に参加。英駆逐艦の体当たりを受け小破
       6月初頭〜ノルウェー攻撃を実施(ユーノー作戦)に参加
       6月 8日ノルウェー海にて英掃海トローラ「ジュニパー」を砲撃撃沈する
       7月〜北海にて通商破壊作戦に従事
      12月〜大西洋にて通商破壊作戦に従事
1942年 3月〜ノルウェーへ進出。北海にて通商破壊作戦に従事
       7月 1日〜ソビエト向け輸送船団PQ17を全滅させる
      12月31日バレンツ海海戦に参加
1943年 2月〜ドイツ本国へ帰還するが、使用停止となる
1944年 3月 1日再就役。訓練任務に従事
1945年 1月末難民輸送船「ウィルヘルム・ガストロフ」[Wilhelm Gustloff]を護衛してキールへ向かう
輸送船はソビエト潜水艦に撃沈されたが当艦は無事にキールへ到着する
       4月 3日〜キールにて連合軍機の爆撃を受け大破。同月9日の空襲により被害拡大
       5月大破したまま終戦となり、英軍により捕獲される
1948年〜英軍の手によりスクラップとして解体処分される
ブリュッヒャー[Blücher]
1935年 8月15日ドイッチュ・ヴェルケ社にて起工
1937年 6月 8日進水
1939年 9月20日竣工
1940年 4月初頭〜ノルウェー侵攻(ヴェーゼル演習作戦)に参加
       4月 9日オスロ沖にて陸上砲台の砲撃を受け大破し、ノルウェー魚雷艇の攻撃を受け沈没
プリンツ・オイゲン[Prinz Eugen]
1936年 4月23日ゲルマニア造船所にて起工
1938年 8月22日進水
1940年 7月キール軍港内にて英軍機の爆撃を受け損傷を負う
       8月 1日竣工
1941年 1月〜バルト海にて訓練任務に従事
       5月18日〜戦艦「ビスマルク」と共に通商破壊作戦(ライン演習作戦)に着手
       5月29日「ビスマルク」沈没および機関トラブルのためブレストへ帰還する
       7月 2日ブレスト港内のドックに入渠中、連合軍機の爆撃を受け損傷する
1942年 2月11日〜ドーバー海峡突破作戦(ツェルベルス作戦)に参加
       2月23日ノルウェーのトロンヘイム沖にて英潜水艦「トライデント」の雷撃を受け損傷
       5月〜キール軍港にて修理を実施。戦線復帰は同年11月
1943年 1月ノルウェーへの輸送任務に従事する
       5月〜訓練任務に従事
1944年 7月〜フィンランドへ進出。同年10月のメーメル撤退などを支援
      10月15日独軽巡「ライプチヒ」の胴体中央部に衝突。「ライプチヒ」は大破する
      11月〜沿岸部にて独陸軍への支援を実施
1945年 5月コペンハーゲンにて終戦を迎え、英軍により捕獲される
      12月米海軍に譲渡され、非分類雑役船(IX300)として艦籍に編入される
1946年 7月 1日〜ビキニ環礁にて原爆実験の標的艦として使用される
       7月25日再度の原爆実験により浸水、後にクェゼリン環礁へ回航される
      12月22日クェゼリン環礁にて転覆、沈没する
ザイドリッツ[Seydlitz]
1936年12月29日デシマーグ社にて起工
1939年 1月19日進水。以降の経歴は空母「ヴェーザー」の項を参照
リュッツオウ[Lützow]
1937年 8月 2日デシマーグ社にて起工
1939年 7月 1日進水。以降の経歴はソ連重巡「ペトロパブロフスク」の項を参照


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