グラーフ・ツェッペリン型 航空母艦

"Graf Zeppelin" Class Aircraft Carriers
Flugzeugträger der "Graf Zeppelin" Klasse


ドイツ海軍 ドイツ海軍


Graf Zeppelin
スペックデータ
排水量:(満)28,100t ボイラー:Schulz罐・重油専焼×16基 燃料搭載量:不明
全長:(全)251.5m
全幅:(船)31.3m 主機:メーカー不詳蒸気タービン×4基、4軸推進
吃水:7.0m
出力:200,000hp
武装:
55口径15cm連装砲4基、同単装砲8基、65口径10.4cm連装
高角砲6基、83口径37mm連装高射機関砲11基、
航空機40機程度(Bf109T:22機、Ju87C:18機などを予定)
最大速力:32.0kt
航続距離:不明
乗員定数:2,400名以上 飛行甲板:240.7×26.97m、昇降機3基

同型艦名(1隻+計画中止1隻)
グラーフ・ツェッペリン[Graf Zeppelin](仮称)ペーター・ストラッセル[Peter Strasser]

グラーフ・ツェッペリン型航空母艦について
 ナチス党が政権を獲得し再軍備を目指すようになったドイツ軍は、装甲艦 「ドイッチュランド」型の 建造を行い、またベルサイユ条約の破棄に伴って潜水艦(Uボート)の建造も開始した。航空母艦建造 も同じ時期にスタートしたものであるが、経験のない新しい艦種ということで計画案の作成に時間がか かり、発注は1935年になってのことであった。
 一応の計画案を立てた後も、ドイツ造船官達は日本海軍の 「赤城」を視察 したり、艤装の参考とするため図面を譲って貰ったりと研究を重ね、翌36年末に1番艦(計画当初は 仮称「A」と呼ばれていたが後に「グラーフ・ツェッペリン」と命名された)の建造を開始、第二次大 戦直前の38年末に進水することができた。
 しかし第二次大戦に突入すると戦略方針から潜水艦の建造が優先されたため艤装工事は中止となって しまい、42年に工事は再開されたものの燃料タンクの大型化やバルジ装着などの改修も行われたため 工事は進まず、翌43年に大型艦建造の中止命令が出されたことにより再度工事は中止されてしまった。
 9割弱完成していた「グラーフ・ツェッペリン」はバルト海沿岸のステッチン(ポーランド北西部) に避難していたが、ソビエト軍の侵攻により捕獲をおそれ45年4月に自沈した。しかし終戦後ソビエ ト軍の手で浮揚させられ、他の捕獲Uボートなどを搭載しレニングラードへ回航された。以降の消息に ついては回航中沈没説など諸説があるが、現在は回航後の48年頃に標的艦として使用され沈没したと の説が有力視されている(下記年表は当説により記述した)。
 火薬式カタパルトの採用や対水上艦用の15cm砲を搭載するなど、初めて建造する空母として試行錯 誤している部分も見受けられる艦であり、もし完成して戦線に投入されたとしても有力な航空艦隊を持 つ英国海軍を相手にどれだけ戦えたかは疑問であろう。

グラーフ・ツェッペリン型航空母艦の歴史
グラーフ・ツェッペリン[Graf Zeppelin]
1936年12月28日ドイッチュ・ヴェルケ社にて起工
1938年12月 8日進水
1940年 6月建造の優先度低下により工事中止となる
1942年 5月工事が再開される。船体部分の改修やカタパルト追加の工事も同時進行される
1943年 1月大型艦建造の中止命令により工事中止となる
 爆撃被害を避けるためステッチンへ疎開する
1945年 4月25日ソビエト軍に捕獲されることをおそれ自沈する
1946年ソビエト軍の進駐により捕獲される
1947年 8月ソビエト軍により浮揚させられ、レニングラードへ回航される
 ソビエト海軍により「浮き船台101号」と命名される
1948年 8月?標的船として使用され沈没
(仮称)ペーター・ストラッセル[Peter Strasser]
1938年ゲルマニア造船所にて起工
1940年 3月建造計画キャンセルとなり、船台上で解体される


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