F1型 護衛艦

"F1" Class Escort Ships
Flottenbegleiter "F1" Klasse


ドイツ海軍 ドイツ海軍


F-8
スペックデータ(F7以降は後期型)
排水量:(基)712t ボイラー:La Mont罐もしくはHöchstdruckkessel罐
     重油専焼×2基
燃料搭載量:不明
全長:(全)75.94m
(後期型は80.2m)
全幅:8.8m 主機:Satz Brown, Boveri&Cie式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:2.59m
出力:14,000hp
武装:
45口径10.5cm単装砲2基、83口径37mm連装機関砲2基、
65口径20mm単装機関砲4基、爆雷搭載数不明(投射機4)、
機雷50〜62個搭載
最大速力:28.0kt
(後期型は26.0kt)
航続距離:13ktで1,995浬
乗員定数:121〜145名

同型艦名
F1[F1]F2[F2]F3[F3]F4[F4]F5[F5]
F6[F6]F7[F7]F8[F8]F9[F9]F10[F10]

F1型護衛艦について
 1934年計画で同型艦10隻が発注された艦。ドイツ語でFlottenbegleiter(フロッテンベグライター: 直訳すると艦隊随行者となるが通常は艦隊護衛艦と訳される)と呼ばれる艦種だが、艦隊の大型艦に 随行し護衛を行うのではなく、基本的には船団護衛のための艦として計画されているようだ。
 ドイツが今後建造を行う予定としていた駆逐艦や水雷艇に搭載される対潜兵器や高圧機関のテス トベッド的な計画もあって、小型の船体に強力な兵装が施されており、搭載機関も高温高圧のもの が搭載されている。そのため復原性の悪さや信頼性の低い機関部の故障などに悩まされることとなり、 また減揺装置や軽合金製の上部構造物など贅沢な設計もあって当クラス10隻以外の建造は行われず に終わっている。
 故障の多い当クラスは本来の目的である護衛任務にほとんど使用されず(大戦末期になって護衛艦 艇が不足すると当クラスも護衛任務に使用されるようになったが)、実際の船団護衛には駆逐艦や水 雷艇・魚雷艇、機動掃海艇などが使用されることになり、ドイツ海軍の目論みはアテが外れた形とな っている。

F1型護衛艦の歴史
F1[F1]
1934年 8月 2日ゲルマニア造船所にて起工
1935年 3月 1日進水
     12月15日竣工。護衛艦隊にて任務に従事
1939年 4月任務を解かれ、艦隊母艦への改修工事を開始
1941年 5月23日艦名を「リベレ」[Libelle]と改名
      6月 5日(訓練用)魚雷追尾艦として再就役。バルト海にて任務に従事
1942年 4月19日艦名を「ヤークト」[Jagd]と改名。駆逐艦母艦任務に従事
1942年 5月装甲艦「リュッツォウ」と共にノルウェー沿岸部に転戦
      9月バルト海方面へ転戦
1943年 2月26日北海にて爆撃を有受け小破。ヴィルヘルムスハーフェンにて修理を実施
      6月戦線へ復帰。バルト海方面で行動
1944年11月対空火器の増強を実施
1945年敗戦のためアメリカ軍へ引き渡し
1947年米国からフランスへ供与されるが、艦籍編入されずスクラップとなる
F2[F2]
1934年 8月 7日ゲルマニア造船所にて起工
1935年 4月 2日進水
1936年 2月27日竣工。護衛艦隊にて任務に従事
1939年 4月任務を解かれ、魚雷追尾艦への改修工事を開始
1940年 4月10日魚雷追尾艦として再就役(第23および第25潜水戦隊所属)
1944年 6月第5護衛艦隊に転属。護衛艦としてバルト海にて任務に従事
1945年敗戦のためイギリス軍へ引き渡し。翌年スカパフローにて浮標船となる
1946年12月30日荒天のため沈没。’67年浮揚後スクラップ
F3[F3]
1934年 8月22日ゲルマニア造船所にて起工
1935年 6月 1日進水
1936年 3月 7日竣工。護衛艦隊にて任務に従事
1938年 8月29日艦名を「ケーニギン・ルイーゼ」[Königin Luise]と改名
     10月任務を解かれ、艦隊母艦への改修工事を開始
1939年 4月15日艦名を「ハイ」[Hai]と改名
1940年 4月 1日艦隊母艦として再就役。バルト海やドイツ近海にて行動
1941年 2月スタヴァンゲル沿岸部の機雷敷設任務に従事
1942年 6月24日フィンランド湾にてソ連軍機の攻撃を受け損傷
同年12月からキールにて修理を実施
1943年 3月16日戦線に復帰。フィンランド湾などで行動
1944年 6月17日第6護衛艦隊に転属。フィンランド近海で行動
1945年 5月 3日キール沿岸にて英戦闘爆撃機の攻撃を受け沈没
1948年浮揚後スクラップとして処分
F4[F4]
1934年 8月22日ゲルマニア造船所にて起工
1935年 7月 2日進水
1936年 4月 5日竣工。護衛艦隊にて任務に従事
1939年 6月任務を解かれ、魚雷追尾艦への改修工事を開始
1940年 8月 1日魚雷追尾艦として再就役。潜水学校で訓練や実験任務に従事
1944年第7護衛艦隊に転属。バルト海にて護衛任務に従事
1946年 1月16日敗戦のためイギリス軍に引き渡し
1949年スクラップとして処分
F5[F5]
1934年 9月 6日ゲルマニア造船所にて起工
1935年 8月14日進水
1936年 5月 1日竣工。護衛艦隊にて任務に従事
1939年12月任務を解かれ、魚雷追尾艦への改修工事を開始
1940年 8月 1日魚雷追尾艦として再就役。潜水学校で訓練や実験任務に従事
1944年第7護衛艦隊に転属。バルト海にて護衛任務に従事
1945年 1月29日コペンハーゲン〜スヴィーネンミュンデ間にて触雷大破
曳航を試みるも曳船と衝突沈没
F6[F6]
1934年 9月 6日ゲルマニア造船所にて起工
1935年10月 1日進水
1936年 6月25日竣工。護衛艦隊にて任務に従事
1938年11月任務を解かれ、艦隊母艦への改修工事を開始
1939年 4月15日艦名を「ケーニギン・ルイーゼ」と改名
      9月20日機雷敷設母艦として再就役
1940年 4月ノルウェー侵攻(ヴェーゼル演習作戦)に参加
1941年 2月第4護衛艦隊に転属
1942年 4月第4掃海艦隊に転属
1943年 1月第6前哨艦隊に転属
      9月機関故障などの技術的問題のため任務から外される
     10月 5日退役扱いとなりヴィルヘルムスハーフェンにて繋留放置となる
1945年 3月30日ヴィルヘルムスハーフェンにて米軍機の爆撃を受け沈没
戦後浮揚されスクラップとして処分される
F7[F7]
1935年 1月10日ブローム&フォス社にて起工
1936年 5月25日進水
1937年 2月15日竣工。護衛艦隊にて任務に従事
1939年 6月17日ヴィルヘルムスハーフェン近海にて独駆「Z.4」と衝突損傷
1940年 4月任務を解かれ、魚雷追尾艦への改修工事を開始
      5月魚雷追尾艦として再就役。第25潜水戦隊などに所属
1944年 6月第6掃海艦隊に転属
1946年 1月15日戦時賠償としてソビエトに引き渡し。実験艦として赤軍艦籍に編入
      2月15日バルト海艦隊に配属。艦名を「ブラーン」[Буран (Buran)]と改名
1951年 5月 7日補給艦へ類別変更、艦名を「ドゥヴナ」[Дубна (Dubna)]と改名
1957年標的艦へ類別変更、艦名を「В-225(V-225)」と改名
1958年?ソ連海軍除籍。後にスクラップ
F8[F8]
1935年 1月29日ブローム&フォス社にて起工
1936年 7月27日進水
1937年 4月 8日竣工。護衛艦隊にて任務に従事
1940年 4月任務を解かれ、魚雷追尾艦への改修工事を開始
      5月魚雷追尾艦として再就役。第25潜水戦隊などに所属
1945年敗戦のためアメリカ軍へ引き渡し
1950年頃オランダにてスクラップとして処分される
F9[F9]
1934年11月12日ヴィルヘルムスハーフェン工廠にて起工
1936年 7月27日進水
1937年 4月 8日竣工。護衛艦隊にて任務に従事
1939年12月14日ヘルゴランド沖にて英潜「ウルスラ」の雷撃を受け沈没
F10[F10]
1934年11月12日ヴィルヘルムスハーフェン工廠にて起工
1936年 5月11日進水
1938年 3月12日竣工。護衛艦隊にて任務に従事
1940年 5月任務を解かれ、魚雷追尾艦への改修工事を開始
     10月魚雷追尾艦として再就役。バルト海などで行動
1944年護衛艦隊に転属し、護衛任務に従事
1945年敗戦のためアメリカ軍へ引き渡し
1950年頃オランダにてスクラップとして処分される


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