(特設)水上機母艦 ドラッヘ

(Auxiliary) Seaplane Tender "Drache"
Hilfsflugsicherungsschiff der "Drache"


ユーゴスラビア海軍 他 ユーゴスラビア海軍 ドイツ軍 ドイツ海軍


Zmaj
「ドラッヘ」(1941年末頃か?)
スペックデータ(当初の兵装は1930年代末頃のもの)
排水量:(常)1,870t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油 140t
全長:(全)83.0m
全幅:(船)12.7m 主機:MAN社製ディーゼル機関×2基、2軸推進
吃水:3.5m
出力:3,260hp
武装:
55口径8.4cm単装砲2基、67口径40mm連装機砲2基、70口径20mm単装機関砲2基
(独軍編入後42口径10.5cm単装砲2基(後に8.8cm高角砲2基へ換装)、80口径
37mm連装機関砲2基、同単装機関砲1基、65口径20mm単装機関砲6基などへ換装)
水上機2機搭載可能(ハインケル「He60」、アラド「Ar196」等)
最大速力:15.0kt
航続距離:15ktで4,000浬
乗員定数:145名

同型艦名(1隻)
ドラッヘ [Drache]

水上機母艦ドラッヘについて

 元はユーゴスラビア海軍がドイツに発注して建造した水上機母艦「ズマイ」[Змај (Zmaj)](セルビア・クロアチア語で「竜」の意)で、1930年代前半は水上機母艦として使用されていたが、1930年代後半には機雷敷設艦として運用されるようになっている。後甲板は水上機整備用の平甲板となっているが、機雷敷設時にはここに240個の機雷を搭載し、敷設レールで後方へ落とすようにしていた。なお、建造当時のドイツは第一次大戦敗戦によるベルサイユ条約の制限下にあり、外国の発注とは言え武装を施した戦闘艦艇の建造が行えなかったため、進水すると船体はユーゴスラビアへ回航され、その後に兵装などの艤装が行われている。

 1941年にドイツ軍がユーゴスラビアへ侵攻すると、当艦はクロアチア自治州の都市スプリトでドイツ軍に鹵獲された。ドイツ軍は当艦を航空機救難艇「ドラッヘ」(ドイツ語で「竜」の意)として空軍所管としたが、その後、海軍所管の「シッフ50」[Schiff 50]となり機雷敷設や輸送任務などに使用されている。なお、1942年末から43年初頭にかけて、フレットナー「Fl282」回転翼機の運用実験も行っている。
 1944年9月にサモス島(ギリシア)へ停泊中、英軍機の攻撃を受けて沈没した。


水上機母艦ドラッヘの歴史
ドラッヘ [Drache]
1928年ドイチュ造船所[Deutsche Werft]にて起工
1929年 6月22日進水。ユーゴスラビアへ回航途中に船内火災発生
修理のためハンブルグへ引き返す
1930年 8月20日修理完了。ユーゴスラビア海軍へ引き渡し
コトル(現モンテネグロ)へ回航され艤装を実施
1931年特務艦「ズマイ」として就役。水上機母艦として任務に従事
1936年頃機雷敷設艦への改修工事を実施
1937年〜機雷敷設などの任務に従事
1941年 4月17日独軍のユーゴスラビア侵攻を受け、スプリトにて独軍に鹵獲される
       8月 7日〜独空軍の所管となり艦名を「ドラッヘ」と改名。救難任務などに従事
1941年末〜エーゲ海などで兵員輸送任務に従事
1942年 4月〜機雷敷設艦への改装を実施
       8月20日〜海軍所管となり機雷敷設任務に従事
      11月 6日(26日説あり)艦名を「シッフ50」と改名
1942年末〜回転翼機「Fl282」の運用実験を実施
1943年 9月〜輸送任務などに従事
      10月コス島(ギリシア)攻略に参加
1944年中盤対空火器の増設を実施
       9月29日サモス島に停泊中、英軍機の攻撃を受け沈没
 戦後、解体処分される


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