デュゲイ・トルーアン型 軽巡洋艦

"Duguay Trouin" Class Light Cruisers
Croiseurs Légers Classe "Duguay Trouin"


フランス海軍 フランス海軍


Duguay Trouin
スペックデータ
排水量:(満)9,350t ボイラー:Guyot罐・重油専焼×8基 燃料搭載量:重油1,500t
全長:(全)181.59m
全幅:17.22m 主機:Parsons式ギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:6.17m
出力:102,000hp
武装:
50口径15.5cm連装砲4基、50口径7.5cm単装砲4基、
76口径13.2mmオチキス機関砲4門(後に56口径40mm
ボフォース連装機関砲3基に換装)、55cm魚雷3連装発射管4基、
水偵2機搭載
最大速力:33.0kt
航続距離:15ktで4,300浬
乗員定数:578名

同型艦名(3隻)
デュゲイ・トルーアン[Duguay Trouin]ラモット・ピケ[Lamotte Picquet]プリモゲ[Primaguet]

デュゲイ・トルーアン型軽巡洋艦について
 第一次大戦後にフランスで作られた最初の軽巡洋艦。1910年代末から5,000トンクラスの巡洋艦 として設計が開始されたが、予算難のおりから政府は難色を示し、海軍側は他国巡洋艦に匹敵する能力を求 めたため設計は困難を極めた。1920年代になってアメリカから 「オマハ」型軽巡の設計図提供を 受けたため兵装配置など基本部分はアメリカ式に設計され、1922年度から建造が開始された。
 基準排水量は7,000トンを超えるものとなったが、主砲は陸軍の主力重砲と同じ15.5センチ口径 のものを採用することで弾薬の共通化を図り、船体装甲も薄く(砲塔部でも30ミリしか無かった)するこ とでコストダウンにもこだわった設計となっていた。
 第二次大戦にもフランス最古参の軽巡洋艦として参戦したが姉妹艦それぞれが違った道を歩んでおり、 ネームシップである「デュゲイ・トルーアン」は自由フランス軍に所属し地中海で終戦まで戦い、「ラモッ ト・ピケ」はビシーフランス政府の極東艦隊旗艦としてサイゴンにあったため実戦投入はされず、最期はアメ リカ軍の攻撃により沈没、「プリモゲ」はビシーフランス政府の元で北アフリカ戦線に投入され戦没した。

デュゲイ・トルーアン型軽巡洋艦の歴史
デュゲイ・トルーアン[Duguay Trouin]
1922年 8月 4日ブレスト(Brest)海軍工廠にて起工
1923年 8月14日進水
1926年11月 2日竣工
1936年〜砲術練習艦とし第6巡洋艦隊に所属する
1939年 9月〜第二次大戦勃発のため、大西洋方面にて警戒任務に従事
1940年 5月拠点をレバントに移す
      7月フランス降伏により、アレキサンドリアで自由フランス軍に参加するが武装解除となる
1943年 7月〜連合軍指導下で対空兵装の強化が行われる(航空艤装や水雷艤装は撤去される)
1944年〜高速輸送任務に従事
      7月〜南フランスへの上陸作戦やジェノア攻撃を支援
1945年フランス海軍籍へ復帰。戦後は仏印へ進駐しベトナム独立同盟(ベトミン)と交戦
1952年 3月19日除籍。後にスクラップとして解体処分される
ラモット・ピケ[Lamotte Picquet]
1923年 1月17日ロリアン(Lorient)海軍工廠にて起工
1924年 3月21日進水
1927年 3月 5日竣工
〜1933年第3巡洋艦隊第2戦隊旗艦として任務に従事
1935年〜極東艦隊へ転属、サイゴンを基地とし極東艦隊旗艦となる
1939年〜インドネシア沖、東インド洋などで警戒任務に従事
1940年11月〜シャム(タイ)との国境問題により緊張が高まり、シャム湾へ進出する
1941年 1月17日コーチャン沖でシャム海軍艦艇と交戦。シャム海軍の海防艦・魚雷艇を沈める
1942年〜日本占領下のサイゴンにおいて活動が制限されたため、
ビシーフランス軍の停泊練習艦として使用される
1945年 1月12日サイゴン湾内において米海軍機の攻撃を受け沈没
プリモゲ[Primaguet]
1923年 8月16日ブレスト工廠にて起工
1924年 5月21日進水
1927年 4月 1日竣工
1932年〜極東艦隊に所属し、仏印近海で任務に従事
1936年 2月〜本国へ帰還しオーバーホールを実施。完了は翌年
1937年11月〜再度、サイゴンへ進出。極東艦隊で任務に従事
1939年 9月〜第二次大戦勃発のため大西洋方面へ転戦。警戒任務に従事
1940年 3月〜オランを基地とし、カナリア諸島の監視任務に従事
      4月〜哨戒任務のため西インド諸島へ移動
      6月〜ダカールへ帰還。7月には英海軍と交戦する
      9月〜ビシーフランスの指揮下でダカール増派作戦に従事
     11月燃料不足によりカサブランカで行動不能状態となる
1942年11月 8日連合軍の北アフリカ上陸(トーチ作戦)にて、連合軍の攻撃を受け沈没


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