ドゥダール・ド・ラグレ型 (河川)砲艦

"Doudart de la Grée" Class (River) Gunboat
Chaloupe Canonnière Classe "Doudart de la Grée"


フランス海軍 フランス海軍


Doudart de la Grée

Balny
(上段)「ドゥダール・ド・ラグレ」/(下段)「バルニィ」(どちらも撮影時期不詳)
スペックデータ(【 】内はBalnyのデータ)
排水量:(基)183t【201t】 ボイラー:Fouché罐・石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭45t【27t】
全長:(全)54.4m
全幅:6.7m 主機:直立型往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:1.0m
出力:900hp
武装:
20口径37mm単装砲6基
【35口径75mm単装砲1基、40口径37mm単装砲2基、8mm機銃4基】
最大速力:14.0kt
航続距離:不明
乗員定数:66名【59名】

同型艦名(2隻)
ドゥダール・ド・ラグレ [Doudart de la Grée]バルニィ [Balny]

ドゥダール・ド・ラグレ型(河川)砲艦について

 19世紀末から20世紀初頭にかけて、列強各国は中国の分割支配に乗り出しており、現地での権益確保やプレゼンス[presence](進駐を行うことで軍事的・経済的に影響力を持つこと)を行うために長江下流域(揚子江)へ砲艦を派遣していた。
 フランスも例外ではなく19世紀末の三国干渉以来、広州湾一帯の租借などで守るべき権益ができたため、20世紀になって河川砲艦を建造・派遣することにし、建造されたのが当クラスである。

 当クラスは1908年から建造が行われているが、ネームシップである「ドゥダール・ド・ラグレ」は1909年に竣工したものの、二番艦として計画された「バルニィ」は設計変更や第一次大戦のために竣工が遅れ、10年以上遅れて竣工している。設計変更を行ったため煙突の数や搭載兵装が異なっているが、船体の大きさや機関などに変わりがないため、大半の資料では同一クラスとして扱われている。
 1937年末に日中戦争の影響により上海から追い出されて漢口のフランス租界に滞在していたが、第二次大戦勃発後に上海へ移動して武装解除となった。


ドゥダール・ド・ラグレ型(河川)砲艦の歴史
ドゥダール・ド・ラグレ [Doudart de la Grée]
1908年 3月ブルターニュ造船所[Ateliers et Chantiers de Bretagne]にて起工
1909年 1月 5日進水
       8月16日竣工。仏領インドシナにて行動
1911年〜上海を拠点に長江などで行動
1937年末〜日中戦争の影響のため上海を出て漢口のフランス租界へ移動
1939年12月第二次大戦勃発に伴い、上海にて武装解除となる
1949年 6月除籍
バルニィ [Balny]
1908年ブルターニュ造船所にて起工
1914年 6月進水
1920年 2月26日竣工。上海を拠点に行動
1937年末〜日中戦争の影響のため上海を出て漢口のフランス租界へ移動
1939年12月第二次大戦勃発に伴い、上海にて武装解除となる
1944年除籍。解体処分


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