ダンケルク型 戦艦

"Dunkerque" Class BattleShips
Cuirassé de la Classe "Dunkerque"


フランス海軍 フランス海軍


Dunkerque
戦艦「ダンケルク」(1939年頃)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
ダンケルク
第43号(2014.09.16)
戦艦「ダンケルク」1939年

スペックデータ(【 】内は「Strasbourg」の数値)
排水量:(満)34,884t
    【(満)36,380t】
ボイラー:Indret罐・重油専焼×6基 燃料搭載量:重油6,500t
全長:(全)215.14m
   【(全)215.5m】
全幅:31.1m 主機:Rateau式ギヤードタービン×4基、4軸推進(Dunkerque)
   Parsons式ギヤードタービン×4基、4軸推進(Strasbourg)
吃水:9.60m
   【9.82m】
出力:130,000hp
武装:
52口径33cm4連装砲2基、45口径13cm4連装砲3基、同連装砲2基、
60口径37mm連装高射機関砲5基、76口径13.2mm4連装対空機銃8機、
水偵(竣工当初はGL-832HY、その後ロワール130に更新)最大4機搭載可能
最大速力:29.5kt
航続距離:15ktで7,500浬
乗員定数:約1,400名

同型艦名(2隻)
ダンケルク[Dunkerque]ストラスブール[Strasbourg]

ダンケルク型戦艦について
 ドイツ海軍が建造を開始した装甲艦「ドイッチュランド」型に対抗するため建造された戦艦。無条約時代をにらんで各国の新造計画艦は大型化をたどっていたが、この艦は それとは違ったスタンスから設計された中型戦艦である。(ワシントン海軍条約では7万トンの建造保有が認められていたフランスだったが、予算の関係からいたずらに艦を大型化しなかった)
 主砲は33センチ(約13インチ)と第一次大戦当時の主力である12インチ砲よりは拡大しているものの、列強各国はすでに15インチ砲を主流としていたため砲撃力不足であることは目に見えていた。しかし、この小型砲を採用したことにより四連装砲塔という特異な主砲塔を搭載することが可能となり、バイタルパートを短くしても多数の砲門を搭載できるという利点が生じている。
 当艦は四連装砲塔を二基とも艦前部に集中させており、艦後部には副砲と水上偵察機用のカタパルトのみを搭載している。このおかげで兵装を艦中央に集約でき、バイタルパートの縮小や搭載燃料の増加を実現している(ドイツ戦艦同様に通商破壊作戦も主任務としていたため長大な航続力が必要だった)。
 なお、二番艦「ストラスブール」は装甲の強化などが設計に盛り込まれたため、ネームシップである「ダンケルク」よりも排水量が増加している。
 第二次大戦では開戦初頭に独装甲艦の追撃作戦に参加しているものの、フランスが降伏してしまったためビシー政権の指揮下に入っている。しかし北アフリカにおいて英艦隊の攻撃を受け「ダンケルク」は大破着底(後に浮揚された)、「ストラスブール」は脱出に成功したものの大きな作戦に以後参加することもなく、1943年にドイツ軍の接収をおそれ自沈してしまった。

ダンケルク型戦艦の歴史
ダンケルク[Dunkerque]
1932年12月24日ブレスト[Brest]工廠にて起工
1935年10月 2日進水
1937年 4月15日竣工
      5月英国王ジョージVI世戴冠記念観艦式にフランス代表として参加
1938年 3月〜煙突部の改修、対空機関砲の換装を実施
      9月大西洋艦隊旗艦となる
1939年 4月「ストラスブール」と二隻で「襲撃部隊(Force de Raid)」を編成
      8月英海軍と共同(L部隊)で独装甲艦「グラフ・シュペー」追撃作戦に従事
     11月連合軍と共同で独戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」捜索に参加
1940年 4月北アフリカへ進出。メルセルケビールを根拠地とする
      6月フランスの降伏により、ビシー政権の指揮下に入る
      7月 3日メルセルケビール港にて英艦隊の攻撃を受け大破着底
1941年浮揚を実施。翌年2月ツーロンへ帰還する
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈する
1945年浮揚後、解体処分される
ストラスブール[Strasbourg]
1934年11月25日ロワール[Loire]造船所にて起工
1936年12月12日進水
1938年12月竣工
1939年 4月「ダンケルク」と二隻で「襲撃部隊(Force de Raid)」を編成
      8月英海軍と共同(X部隊)で独装甲艦「グラフ・シュペー」追撃作戦に従事
1940年 4月北アフリカへ進出。メルセルケビールを根拠地とする
      6月フランスの降伏により、ビシー政権の指揮下に入る
      7月 3日メルセルケビール港にて英艦隊の攻撃を受け損傷するも脱出に成功
1941年ツーロンにて修理を実施。修理完了後はビシー・フランス海軍旗艦となる
同年後半には対空レーダー等の搭載工事を実施
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈する
1943年 7月イタリア軍の手により浮揚されるも、損傷が激しく放置となる
1944年 8月18日連合軍機の爆撃を受けツーロン港内にて沈没
     10月ツーロン解放後、連合軍の手により再度浮揚される
浮揚後はジヤン半島(ツーロン南東)沖で連合軍の海中爆破実験に使用される
1955年スクラップとして売却、解体処分される


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2014,09,07(FirstUp 2003,08,29)