ル・アルディ型 駆逐艦

"Le Hardi" Class Destroyers
Torpilleur Classe "Le Hardi"


フランス海軍 フランス海軍


Le Hardi
スペックデータ(兵装は設計データ、【 】内は38年度計画艦のデータ)
排水量:(基)1,772t
    【(基)2,215t】
ボイラー:Sural-Norguet罐・重油専焼×4基 燃料搭載量:重油462t
全長:(全)111.6m
   【(全)118.6m】
全幅:11.1m【11.8m】 主機:Parsons/Rateau-Bretagne式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:4.2m
出力:58,000hp
   【60,000hp】
武装:
45口径13cm連装砲3基、50口径37mm対空機関砲2基、76口径13mm
連装機関砲2基【4基】、55cm魚雷3連装発射管1基、同連装発射管2基
【55cm魚雷3連装発射管2基】
最大速力:37.0kt
      【35.0kt】
航続距離:25ktで1,900浬
乗員定数:187名

同型艦名(8隻+未竣工4隻+キャンセル4隻:各艦名は竣工(もしくは計画)時のもの)
当初設計型(1932/1935〜1937年度計画艦)
ル・アルディ[Le Hardi]フルーレ[Fleuret]レペ[L'Epée]
カスク[Casque]ランスクネー[Lansquenet]マムリュク[Mameluk]
ル・コルセール[Le Corsaire]ル・フリビュスティエ[Le Flibustier]
改設計型(1938年度計画艦)
ラントレピード[L'Intrépide]ル・テメレール[Le Téméraire]ラヴァンテュリエ[L'Aventurier]
ロピニヤートル[L'Opiniatre]他に計画キャンセル4隻 

ル・アルディ型駆逐艦について
 戦艦や巡洋艦といった艦隊主力艦艇の性能が高くなり30ノットを超える最高速度を発揮し始めたため、 艦隊に随行する小型駆逐艦も見合っただけの速度性能(艦隊戦では先陣を務めることが多いため主力艦より も優速でなくてはならない)を持ったものが必要となってきた。そこで1932年度計画で1隻の新型駆 逐艦の建造が承認されたのだが、この新型駆逐艦は設計に手間取り1936年になってようやく起工する ことができた。半自動連装の主砲や連装と3連装の発射管を組み合わせた水雷兵装など 「モガドル」型大型駆逐艦の 縮小版とも言えるものとなっており、仏海軍内の類別こそ(小型)駆逐艦となっているが、計画当初の大 型駆逐艦(「ジャグアー」型) に引けを取らないサイズに仕上がっている。
 以降1935年度から37年度にかけて計8隻(1932年度計画の艦を含む)の建造が認められたが、 船体を拡大する改設計が完了したため1938年度計画では、この改設計型3隻(後に5隻が追加された がうち4隻は計画撤回)の建造が行われることとなった。
 起工が遅かったため第二次大戦開戦までに竣工した艦は無く、1940年6月にフランスが降伏した際 に進水済みだった艦は未竣工ながら強制的に就役させられている。就役後に配備地で最終艤装を行った艦 は搭載兵装などが設計と異なるものもあった。
 1938年度計画艦4隻はフランス降伏時点で進水していなかったので、建造中止となり解体処分され ている。

ル・アルディ型駆逐艦の歴史
ル・アルディ[Le Hardi]
1936年 5月20日ロワール[Loire]造船所にて起工
1938年 5月 4日進水
1940年 6月 1日就役。カサブランカへ配置となる
      9月23日ダカール上陸を狙う英艦隊と交戦
1941年ツーロンへ帰還。以降は係留となる
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈
1943年イタリア軍の手で浮揚され、イタリア海軍駆逐艦「FR.37」と改名
      9月 7日イタリア降伏のため、ジェノアにてドイツ軍に接収される
1945年 4月24日ジェノア港の閉塞船としてドイツ軍の手により自沈
フルーレ[Fleuret]
1936年 8月18日セイン[Seyne]造船所にて起工
1938年 7月28日進水
1940年 6月 1日就役。カサブランカへ配置となる
1941年 4月艦名を「フードロワイヤン(2代)」と改名。ツーロンへ帰還
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈
1943年イタリア軍の手で浮揚され、イタリア海軍駆逐艦「FR.36」と改名
      9月 9日イタリア降伏のため、ドイツ軍に接収される
1944年 8月ツーロン港の閉塞船としてドイツ軍の手により自沈
レペ[L'Epée]
1936年10月15日ジロンド[Gironde]鉄工所にて起工
1938年10月26日進水
1940年 6月 1日就役。カサブランカへ配置となる
1941年 4月艦名を「ラドロア(2代)」と改名
     10月ツーロンへ帰還。港湾防衛などの任務に従事
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈
1943年 4月20日イタリア軍の手で浮揚され、イタリア海軍駆逐艦「FR.33」と改名
      9月 9日イタリア降伏のため、ドイツ軍に接収される
1944年 5月フランス軍へ復帰するが、損傷大のため放棄となる
カスク[Casque]
1936年11月30日セイン造船所にて起工
1938年11月 2日進水
1940年 6月 1日就役。カサブランカへ配置となる
      7月 3日メルセルケビール海戦に参加。英軍の攻撃を逃れツーロンへ脱出
1943年イタリア軍の手で浮揚されるが、損傷大のため放棄となる
ランスクネー[Lansquenet]
1936年12月17日ジロンド鉄工所にて起工
1939年 5月20日進水
1940年 6月 1日就役。カサブランカへ移動後に最終艤装を続行する
1941年 4月艦名を「シクローヌ(2代)」と改名。ツーロンへ帰還
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈
1943年イタリア軍の手で浮揚され、イタリア海軍駆逐艦「FR.34」と改名
      8月31日イタリア降伏のため、ドイツ軍に接収される
1945年 4月24日ジェノア港の閉塞船としてドイツ軍の手により自沈
1946年 3月19日浮揚後フランスへ曳航されるが、損傷大のため修理は実施されず
1958年 9月22日除籍。スクラップとして解体される
マムリュク[Mameluk]
1937年 1月 1日ロワール造船所にて起工
1939年 2月18日進水
1940年 6月 1日就役。モロッコへ配置となる
1941年12月ツーロンへ帰還
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈
1943年イタリア軍の手で浮揚されるが、損傷大のため修理は実施されず
1944年 8月 6日連合軍機の爆撃を受け大破着底
1958年 1月 2日除籍。スクラップとして解体される
ル・コルセール[Le Corsaire]
1938年 3月31日セイン造船所にて起工
1939年11月14日進水
1940年 6月 1日就役。オランへ配置となる
      7月 3日メルセルケビール海戦に参加。英軍の攻撃を逃れツーロンへ脱出
1941年 4月艦名を「シロコ(2代)」と改名。港湾防衛などの任務に従事
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈
1943年イタリア軍の手で浮揚され、イタリア海軍駆逐艦「FR.32」と改名
      9月 9日イタリア降伏のため、ジェノアにてドイツ軍に接収される
1944年10月28日ジェノア港の閉塞船としてドイツ軍の手により自沈
ル・フリビュスティエ[Le Flibustier]
1938年 3月11日セイン造船所にて起工
1939年12月14日進水
1940年 6月 1日就役するも工事進捗率75%程度だったため艤装工事を続行
1941年 4月艦名を「ビゾン(2代)」と改名。港湾防衛などの任務に従事
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈
1943年イタリア軍の手で浮揚され、イタリア海軍駆逐艦「FR.35」と改名
      9月イタリア降伏のため、ドイツ軍に接収される
1944年 6月25日ツーロン港の閉塞船としてドイツ軍の手により自沈
ラントレピード[L'Intrépide]
1939年 8月16日セイン造船所にて起工
1941年 6月26日船台を空けるため進水。以降工事中止となる
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈
1943年ドイツ軍の手により浮揚、未完成ながら保管船となる
1944年 5月11日連合軍機の爆撃を受け大破。放棄される
ル・テメレール[Le Téméraire]
1939年 8月28日セイン造船所にて起工
1941年11月 7日船台を空けるため進水。以降工事中止となる
1942年11月27日ドイツ軍の接収をおそれ、ツーロンにて自沈
1943年ドイツ軍の手により浮揚、未完成ながら保管船となる
1944年 8月 1日連合軍機の爆撃を受け大破。放棄される
ラヴァンテュリエ[L'Aventurier]
1939年 8月 4日ジロンド鉄工所にて起工
1940年 6月〜ドイツ軍侵攻後は工事中止となる
1947年 4月20日船台を空けるため進水。以降は浮き桟橋として使用される
1960年 5月19日廃棄が決定。後にスクラップとして解体される
ロピニヤートル[L'Opiniatre]
1939年 8月 1日ジロンド鉄工所にて起工
1940年 6月〜降伏後ドイツ軍に接収され艦名を「ZF2」と改名
 ドイツ軍は工事継続の命令を出すが、サボタージュのため放置状態となる
1943年 7月工事中止を決定。終戦後、船台上で解体される


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