水上機母艦コマンダン・テスト

Seaplane Tender "Commandant Teste"
Transport d'hydravions "Commandant Teste"


フランス海軍 フランス海軍


Commandant Teste
「コマンダン・テスト」(1942年:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ(搭載機は第二次大戦時のもの)
排水量:(満)12,134t ボイラー:Yarrow-Loire罐・重油・石炭混焼×4基 燃料搭載量:石炭 720t
        重油 290t
全長:(全)167.0m
全幅:(船)27.0m 主機:Schneider-Zoelly式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:6.9m
出力:21,000hp
武装:
45口径10cm単装砲12基、50口径37mm単装機砲8基、76口径13.2mm連装機銃6基、
水上機26機搭載(射出機4基)(「ラテコエール298」12機+「ロワール130」14機)
最大速力:20.5kt
航続距離:10ktで6,000浬
乗員定数:644名

同型艦名(1隻)
コマンダン・テスト [Commandant Teste]

水上機母艦コマンダン・テストについて

 第一次大戦後、戦後の軍備立て直しを行っていたフランス海軍は、1926年度の海軍計画で大型の水上機母艦1隻を建造することにした。当時はワシントン海軍条約においてその他艦艇は排水量一万トン、最高速度20ノットなどの制限があったため、当艦も基準排水量一万トンで設計されている。
 自衛用の兵装として計画時には5.5インチ(13.8センチ)砲もしくは15.5センチ砲が予定されていたが、建造時に10センチ両用砲が完成したため、こちらに変更となっている。また対空兵装として37ミリ口径の機砲や13.2ミリ口径の機銃も複数搭載された。水上機は艦中央に設けられた格納庫に26機が搭載可能で、4基のカタパルトと5基のクレーンにより運用が行われている。

 1932年に竣工した当艦は地中海や大西洋にて任務に従事しており、1937年にはスペイン内戦に伴い、中立国として通商保護のための警備活動を行った。第二次大戦が勃発し、1940年にドイツがフランスへ侵攻した際、当艦は北アフリカにあり、フランス艦隊をドイツに渡さないために英海軍が行った攻撃(メルセルケビール海戦)を受けるも軽微な損傷で逃れている。その後、ヴィシーフランス指揮下で砲術練習艦として使用されていたが、1942年11月にドイツの接収をおそれフランス艦隊が自沈した際に、当艦もツーロンにて自沈した。
 ツーロンで自沈した当艦だったがイタリアの手により浮揚され、イタリアが休戦後はドイツにより捕獲されているが、1944年に連合軍の爆撃により再度沈没してしまった。戦後、浮揚して航空母艦へ改装するなどの計画が議論されたが、結局スクラップとして売却されている。


水上機母艦コマンダン・テストの歴史
コマンダン・テスト [Commandant Teste]
1927年 9月 6日ジロンド鉄工所[Forges et Chantiers de la Gironde]にて起工
1929年 4月12日進水
1932年 4月18日竣工。地中海にて任務に従事
1935年11月〜兵装の改修工事を実施(完了は翌年8月)
1937年 9月〜スペイン内戦のため大西洋にて通商保護任務に従事
1938年 2月ツーロンにてカタパルトの改修工事を実施
1938年中盤〜本国と北アフリカ植民地間で航空機輸送などに従事
1939年 9月〜第二次大戦勃発。オラン(アルジェリア)からツーロンへ帰還
搭載していた水上機部隊を陸上基地へ転属させる
1940年 6月フランス降伏に伴いヴィシーフランス指揮下となる
       7月 3日メルセルケビールに停泊中、イギリス艦隊の砲撃を受けるも損傷軽微
(メルセルケビール海戦)。海戦後しばらくしてツーロンへ向け脱出
      10月18日ツーロン到着。一時武装解除となる
1941年 6月〜兵装の再搭載を行い、砲術練習艦として任務に従事
1942年11月27日ドイツ軍による捕獲をおそれツーロンにて自沈
1943年 5月イタリアの手により浮揚
       9月イタリア休戦のため、ドイツ軍が再接収
1944年 8月19日連合軍のツーロン空襲により再度沈没
1945年 2月連合軍の手により再度浮揚。以降は係留倉庫船として米海軍が使用
1950年 5月15日スクラップとして売却。63年解体終了


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