第六潜水艇

Submarine No.6
[Dairoku Sensuitei]



第六潜水艇
「第六潜水艇」(1916年)
スペックデータ
 水上水中 
排水量:(常)57t63t全長:(全)22.50m
出力:250hp22hp全幅:2.13m
最大速力:8.5kt4.0kt吃水:2.04m
航続距離:8kt-184浬4kt-12浬乗員数:14名
燃料搭載量:ガソリン 1978リットル安全潜行深度:30.5m
主機関:スタンダード式ガソリン機関×1基、1軸推進
武装:
【魚雷1発搭載】45cm魚雷発射管1門(艦首)

同型艦名(1隻)
第六潜水艇"No.6"[Dairoku Sensuitei]

第六潜水艇について
 輸入したホランド型潜水艇(「第一潜水艇」から「第五潜水艇」までの五隻)を参考にして建造された国産初の潜水艇。基本的にはホランド型のコピーであるが、機関をオットー式ガソリンエンジンからスタンダード式に変更し出力を増加しており、また船体は一回り細くなっている。
 1904年(明治37年)から川崎造船所で建造が始まったが、参考になるものがホランド型の概略図だけであったため、ほとんど手探り状態での開発建造となり完成までに一年半ほどかかっている。
 完成した「第六潜水艇」および「第七潜水艇」は二隻で第二潜水艇隊を編成し訓練が行われたが、「第六潜水艇」は1910年にシュノーケルにより空気を取り入れガソリンエンジンを駆動させる潜行訓練を広島湾で実施中に機関故障で沈没。艇長の佐久間大尉以下14名が日本海軍潜水艦初の殉職者となった。このとき佐久間艇長が書いた遺書や乗員全員が配置についたまま死亡していたことなどが当時話題となり、海軍軍人の鑑として全世界に喧伝されている。

第六潜水艇の歴史
「第六潜水艇」 
1904年11月24日川崎造船所にて起工
1905年 9月28日進水
1906年 4月 5日竣工
 「第七潜水艇」と共に第二艇隊を編成
1910年 4月15日広島湾にて潜行訓練中の事故で沈没。事故から約50時間後に引き揚げ
 事故の調査・修理後、戦列に復帰
1919年 4月 1日「第六潜水艦」と改名
1920年12月 1日除籍。除籍後、呉の潜水学校に記念艦として展示
1945年敗戦のため米軍に接収され、解体


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