第一潜水艇型

"No.1" Class Submarines
[Daiiti Sensuitei] Class



第一潜水艇
「第一潜水艇」(1916年)
スペックデータ
 水上水中 
排水量:(常)103t124t全長:(全)20.42m
出力:180hp70hp全幅:3.63m
最大速力:8.0kt7.0kt吃水:3.12m
航続距離:8kt-264浬6.8kt-20浬乗員数:16名
燃料搭載量:ガソリン 2850リットル安全潜行深度:46.0m
主機関:オットー式ガソリン機関×1基、1軸推進
武装:
【魚雷2発搭載】45cm魚雷発射管1門(艦首)

同型艦名(5隻)
第一潜水艇"No.1"
[Daiiti Sensuitei]
第二潜水艇"No.2"
[Daini Sensuitei]
第三潜水艇"No.3"
[Daisan Sensuitei]
第四潜水艇"No.4"
[Daiyon Sensuitei]
第五潜水艇"No.5"
[Daigo Sensuitei]
 

第一潜水艇型について
 1875年にアメリカのホランド[John Philip Holland]が近代潜水艦の設計提案を行い、さらに改良を加えた結果、アメリカ海軍は1900年にホランド潜水艦(当時は潜水艇)を導入した。
 同時期に列強各国も潜水艦に興味を示しており、日本海軍も1900年(明治33年)に導入を検討したが、当時日露戦争に備えた海軍拡張計画のさなかであったため、水上艦艇の増強が優先され潜水艦導入計画は中断してしまった。
 しかし1904年(明治37年)5月に戦艦「初瀬」「八島」が沈没し、急遽戦力を増強する必要が生じたために潜水艇購入計画が復活、アメリカ海軍が導入したホランド潜水艇と同じものを発注することになった。これが「第一潜水艇」型である(ちなみに、この戦艦触雷沈没は当初ロシアの潜水艦による被害ではないかと考えられており、この点も潜水艦の導入に拍車をかけた一因であると思われる)。
 アメリカのエレクトリック・ボート社に五隻の制作を発注、1904年11月22日にパーツの形で横須賀に到着して、12月5日から横須賀工廠で組み立てが行われた。アメリカから招いた技師や工員以外の日本人関係者は、誰も潜水艇というものを理解できていない中での組み立て工事は難航し、最初の潜水艇となる「第一潜水艇」が完成したのは翌1905年の7月末であった。この頃にはロシア太平洋艦隊は壊滅状態であり、潜水艇の出番は残されていなかった。
 結局は実戦には参加しなかったものの、ロシア海軍は日本が潜水艇を所有していると考えていたため余計な判断を強いることになり、思い切った作戦を実行できなくさせる抑止力としての効果があったと言えよう。

第一潜水艇型の歴史
「第一潜水艇」 
1905年 7月31日アメリカのエレクトリック・ボート社で建造後、分解して輸入。横須賀工廠にて竣工
       9月29日水雷艇に類別
      12月12日潜水艇に類別
1916年 8月 4日二等潜水艦に類別
1919年 4月 1日三等潜水艦に類別。第一潜水艦と改名
1921年 4月30日除籍
「第二潜水艇」 
1905年 9月 5日アメリカのエレクトリック・ボート社で建造後、分解して輸入。横須賀工廠にて竣工
       9月29日水雷艇に類別
      12月12日潜水艇に類別
1916年 8月 4日二等潜水艦に類別
1919年 4月 1日三等潜水艦に類別。第二潜水艦と改名
1921年 4月30日除籍
「第三潜水艇」 
1905年 9月 5日アメリカのエレクトリック・ボート社で建造後、分解して輸入。横須賀工廠にて竣工
       9月29日水雷艇に類別
      12月12日潜水艇に類別
1916年 8月 4日二等潜水艦に類別
1919年 4月 1日三等潜水艦に類別。第三潜水艦と改名
1921年 4月30日除籍
「第四潜水艇」 
1905年10月 1日アメリカのエレクトリック・ボート社で建造後、分解して輸入。横須賀工廠にて竣工
      12月12日潜水艇に類別
1916年 8月 4日二等潜水艦に類別
1919年 4月 1日三等潜水艦に類別。第四潜水艦と改名
1921年 4月30日除籍
「第五潜水艇」 
1905年10月 1日アメリカのエレクトリック・ボート社で建造後、分解して輸入。横須賀工廠にて竣工
      12月12日潜水艇に類別
1916年 8月 4日二等潜水艦に類別
1919年 4月 1日三等潜水艦に類別。第五潜水艦と改名
1921年 4月30日除籍


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