ロ−60型 潜水艦(L4型)

"Ro-60" Class Submarines (Type L4)


ロ−62
「ロ−62潜水艦」(撮影時期不詳)
ロ−64
「ロ−64潜水艦」(撮影時期不詳)
スペックデータ
 水上水中 
排水量:(常)1,060.3t1,301t全長:(全)76.20m
出力:2,400hp1,200hp全幅:7.38m
最大速力:15.7kt8.6kt吃水:3.96m
航続距離:10kt-5500浬4kt-80浬乗員数:48名
燃料搭載量:重油 搭載量不明安全潜行深度:60.0m
主機関:ビッカース式ディーゼル機関×2基、2軸推進
武装:
【魚雷12発搭載】53cm魚雷発射管6門(艦首6)
40口径7.6cm単装砲1基(「ロ−60」のみ45口径12cm単装砲1基)

同型艦名(9隻)
ロ−60"Ro-60"ロ−61"Ro-61"ロ−62"Ro-62"ロ−63"Ro-63"ロ−64"Ro-64"
ロ−65"Ro-65"ロ−66"Ro-66"ロ−67"Ro-67"ロ−68"Ro-68" 

ロ−60型潜水艦(L4型)について
 イギリスのビッカース社のライセンスで生産されたL型潜水艦の最終改良型がこのL4型である。海大型の代用として使用することを前提に建造されたため、艦内冷却装置や魚雷発射管などが増強されており排水量は増大しているが、機関は以前のままの物を使用していたので速力は低下している。またL型の欠点であったスクリューの取り付け位置がこのL4型でようやく改善されている。
 L3型までのビッカース型潜水艦は太平洋戦争開戦までに第一線を退いていたが、当型は北から南までの広い戦域で太平洋戦争緒戦を戦っている。ただし監視任務や哨戒任務が主であったため、「ロ−61」を除いて敵艦との交戦は行っていない。

ロ−60型潜水艦(L4型)の歴史
「ロ−60」 
1921年12月 5日三菱神戸造船所にて起工
1922年12月20日進水
1923年 9月17日竣工。「第五九潜水艦」と命名
1924年11月 1日艦名を「呂号第六〇潜水艦(ロ−60)」と改称
1941年12月18日〜ウェーキ攻略作戦に参加
1941年12月29日クェゼリン環礁外北側で座礁。行動不能となる
(乗員は潜水母艦「迅鯨」により救助された)
1942年 1月10日除籍。船体は後に解体処分
「ロ−61」 
1922年 6月 5日三菱神戸造船所にて起工
1923年 5月19日進水
1924年 2月 9日竣工。「第七二潜水艦」と命名
1924年11月 1日艦名を「呂号第六一潜水艦(ロ−61)」と改称
1941年12月12日〜ウェーキ攻略作戦に参加
1942年 1月15日〜マーシャル防備部隊に転属。同年3月末、本土へ帰還
       5月〜南太平洋方面での哨戒任務に従事
       8月〜キスカ島を拠点に哨戒任務に従事
       8月31日アトカ島ナザン湾にて米飛行艇母艦「カスコ」(USS Casco/AVP-12)を雷撃。
大破着底させるも発見され、米駆「レイド」の攻撃を受け浮上砲戦の後に沈没
      10月20日除籍(同年9月1日喪失認定)
「ロ−62」 
1922年 9月 8日三菱神戸造船所にて起工
1923年 9月29日進水
1924年 7月24日竣工。「第七三潜水艦」と命名
1924年11月 1日艦名を「呂号第六二潜水艦(ロ−62)」と改称
1941年12月14日〜ウェーキ攻略作戦に参加
      12月17日作戦行動中、「ロ−66」と衝突損傷
1942年 1月15日〜マーシャル防備部隊に転属。同年3月末、本土へ帰還
       5月〜南太平洋方面、北方方面での哨戒任務に従事
       8月〜キスカ島を拠点に哨戒任務に従事
      11月15日〜本土へ帰還。呉潜水戦隊に所属し練習潜水艦として使用される
1945年 8月15日舞鶴にて終戦を迎える
      11月20日除籍。翌年5月伊予灘にて海没処分
「ロ−63」 
1923年 4月 2日三菱神戸造船所にて起工
1924年 1月24日進水(このときは「第八四潜水艦」)
      11月 1日艦名を「呂号第六三潜水艦(ロ−63)」と改称
      12月20日竣工
1941年12月14日〜ラバウル攻略作戦に参加
1942年 1月末〜南太平洋方面での哨戒任務に従事
       8月〜キスカ島を拠点に哨戒任務に従事
      11月 8日〜本土へ帰還。呉潜水戦隊に所属し練習潜水艦として使用される
1945年 4月10日〜奄美大島へ移動し、特殊潜航艇母艦としての任務に従事
       8月15日終戦を迎える
      11月20日除籍。翌年5月伊予灘にて海没処分
「ロ−64」 
1923年10月15日三菱神戸造船所にて起工
1924年 8月19日進水(このときは「第七九潜水艦」)
      11月 1日艦名を「呂号第六四潜水艦(ロ−64)」と改称
1925年 4月30日竣工
1941年12月 9日〜ハウランド島(ハワイ南西)周辺の哨戒任務に従事
      12月11日ハウランド島への浮上砲撃を実施
1942年 1月〜南太平洋方面での哨戒任務に従事
       8月〜キスカ島を拠点に哨戒任務に従事
      11月 8日〜本土へ帰還。呉潜水戦隊に所属し練習潜水艦として使用される
1945年 4月12日広島湾で潜行訓練中に触雷。沈没
       8月10日除籍
「ロ−65」 
1924年11月15日三菱神戸造船所にて起工
1925年 9月19日進水
1926年 6月30日竣工
1941年12月 6日〜ウェーキ攻略作戦に参加
1942年 1月〜南太平洋方面での哨戒任務に従事
       9月〜キスカ島を拠点に哨戒任務に従事
       9月28日キスカ島にて敵機の攻撃を受け軽微な損傷を負う
      11月 4日キスカ島にて敵機の攻撃を受け浸水。後に沈没
1943年 8月 1日除籍
「ロ−66」 
1925年12月 1日三菱神戸造船所にて起工
1926年10月25日進水
1927年 7月28日竣工
1941年12月 6日〜ウェーキ攻略作戦に参加
      12月17日作戦中「ロ−62」と衝突。沈没
1942年 1月15日除籍
「ロ−67」 
1925年 3月 5日三菱神戸造船所にて起工
1926年 3月18日進水
      12月15日竣工
1941年12月 5日〜ウェーキ攻略作戦に参加
1942年 1月16日〜ラバウル攻略作戦に参加
       2月〜南太平洋方面での哨戒任務に従事
       9月26日キスカ島へ進出
       9月28日キスカ島にて敵機の攻撃を受けモーターおよび潜望鏡破損
潜航不能となったため、即日本土へ向けて出港(10月12日横須賀へ到着)
      11月15日〜修理完了の後、呉潜水戦隊に所属し練習潜水艦として使用される
1944年 8月15日呉防備隊に編入。警備任務に従事
1945年 3月19日呉にて入渠中、敵機の攻撃を受け損傷を負う
       7月20日除籍。除籍後は佐世保工廠内で桟橋として使用
       8月15日呉にて終戦を迎える。後に解体処分
「ロ−68」 
1924年 2月 6日三菱神戸造船所にて起工
1925年 2月23日進水
     10月29日竣工
1941年12月 4日〜ハウランド島(ハワイ南西)周辺の哨戒任務に従事
      12月11日ベーカー島(北太平洋にある米領の無人島)を浮上砲撃
1942年 1月15日〜ラバウル攻略作戦に参加
       5月〜南太平洋方面での哨戒任務に従事
       8月〜キスカ島を拠点に哨戒任務に従事
1942年11月 8日〜本土へ帰還。呉潜水戦隊に所属し練習潜水艦として使用される
1945年 8月15日舞鶴にて終戦を迎える
      11月30日除籍。翌年4月30日、若狭湾にて海没処分


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