潜水艦 ロ−500(さつき1号)

Submarine "Ro-500" (Satuki-1gou)
("U-511")



ロ−500
「ロ−500潜水艦」(1943年)
スペックデータ
 水上水中 
排水量:(常)1,137t1,232t全長:(全)76.76m
出力:4,000hp1,000hp全幅:6.75m
最大速力:18.3kt7.3kt吃水:4.70m
航続距離:10kt-13000浬2kt-130浬乗員数:48名
燃料搭載量:重油 搭載量不明安全潜行深度:100.0m
主機関:MAN式ディーゼル機関×2基、2軸推進
武装:
【魚雷22発搭載】53cm魚雷発射管6門(艦首4、艦尾2)
45口径10.5cm単装砲1基、20mm単装機銃2基

同型艦名(1隻)
ロ−500"Ro-500"

潜水艦 ロ−500(さつき1号)について
 昭和18年(1943年)5月にドイツを出発し8月7日に呉へ到着したドイツ海軍の潜水艦「U−511」はドイツ総統ヒトラーから日本へ送られたもので、ドイツはこの潜水艦を元に日本海軍でも通商破壊作戦用の潜水艦量産を望んでいた。
 日本海軍ではこの艦を調査研究し、電気溶接とブロック工法・無音航行対策に大きな参考となったものの、建造に使用されている鋼材や工作技術は当時の日本では再現できないほど高度なものであったため、量産化については実施困難との結果であった。調査終了後はその静粛性をいかして対潜訓練の目標艦任務に従事したため、戦線へ出ることはなかった。
 当艦はドイツ海軍の通商破壊作戦用に量産された大型潜水艦IXC型で、ドイツ海軍の同型艦は中型のVII型と共に大西洋での作戦に従事している(建造数は中型のVII型3隻に対しXI型1隻の割合だった)。

潜水艦 ロ−500(さつき1号)の歴史
「ロ−500」 
1941年12月 8日ドイツのドイチェ造船所にて竣工(独海軍「U−511」)
1943年 5月10日〜ドイツ海軍乗員の手により、ロリアンを出港し日本へ回航される
(回航中、インド洋にて米商船2隻を撃沈する戦果を挙げている)
       8月 7日呉に到着。仮称「さつき1号」と命名
       9月16日日本海軍籍に編入。「呂号第五百潜水艦(ロ−500)」と改名
呉鎮守府所属の警備潜水艦に指定される
 調査研究を実施
1944年 7月 1日〜呉防備隊に編入され、対潜訓練の目標艦となる
1945年 8月15日舞鶴にて終戦を迎える
      11月30日除籍。翌年4月若狭湾で海没処分


潜水艦 ロ−501(さつき2号)

Submarine "Ro-501" (Satuki-2gou)
("U-1224")



U-805
終戦時、米軍に降伏した「U-805」(当クラスの同型艦)(1945年)
スペックデータ
 水上水中 
排水量:(常)1,144t1,545t全長:(全)76.76m
出力:4,400hp1,000hp全幅:6.86m
最大速力:18.3kt7.3kt吃水:4.67m
航続距離:10kt-13850浬4kt-63浬乗員数:48名
燃料搭載量:重油 214t安全潜行深度:100.0m
主機関:MAN式ディーゼル機関×2基、2軸推進
武装:
【魚雷22発搭載】53cm魚雷発射管6門(艦首4、艦尾2)
45口径10.5cm単装砲1基、37mm単装機関砲1基、20mm4連装機銃1基

同型艦名(1隻)
ロ−501"Ro-501"

潜水艦 ロ−501(さつき2号)について
 「ロ−500」潜と同じくドイツから譲渡された潜水艦であるが、「ロ−500」潜より竣工が2年遅いため対空兵装などが増強されている。「ロ−500」はドイツ人乗員がドイツからの回航を行ったが、この「ロ−501」は日本人要員をドイツへ派遣して回航を行った。しかし不運にもキール軍港を出航後、中部大西洋で米護衛駆逐艦「フランシス・M・ロビンソン」の攻撃を受け沈没、日本へたどり着くことはなかった。
 UボートのIXC40型はIXC型の後期生産型で、対空兵装強化のため20ミリ四連装機関砲や37ミリ連装機関砲を司令塔後部に装備していた。
 余談だが、日本海軍の公文書では艦番などの数字を漢字表記する場合、『123』→『百二十三』もしくは『一二三』と記述にブレがあることが多いが、ドイツから供与された両艦については「ロ−500」→『呂号第五百潜水艦』、「ロ−501」→『呂号第五百一潜水艦』との表記のみで、五〇〇や五〇一の表記は行われていないようである。

潜水艦 ロ−501(さつき2号)の歴史
「ロ−501」 
1943年10月20日ドイツのドイチェ造船所にて竣工(独海軍「U−1224」)
1944年 2月15日日本海軍籍に編入。「呂号第五百一潜水艦(ロ−501)」と命名
       3月30日〜日本へ向けてキール軍港を出港
       5月11日中部大西洋にて位置報告の通信後消息不明となる
(5月14日米護衛駆「フランシス・M・ロビンソン」の攻撃を受け沈没)
      10月10日戦没と認定。除籍


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