㊃(マル4)型 潜水艦

Submarine MARU-4 Class(UC-90 & UC99)


マル4
「㊃(マル4)潜水艦」(1919年)
マル5
「㊄(マル5)潜水艦」(1919年)
スペックデータ
排水量(水上):(基)491t排水量(水中):571t全長:(全)56.5m
出力(水上):600hp出力(水中):770hp全幅:5.5m
最大速力(水上):11.5kt最大速力(水中):6.6kt吃水:3.8m
航続距離(水上):7ktで9,850浬航続距離(水中):4.5ktで40浬乗員数:32名
燃料搭載量:重油 67t安全潜行深度:75.0m
主機関:MAN製6気筒ディーゼル機関×2基
     +Siemens-Schuckertwerke (SSW)製電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《魚雷7発搭載》50cm魚雷発射管3門(舷側2、艦尾1)、
45口径10.5cm単装砲1基、機雷14個搭載

同型艦名(2隻)
㊃ "Maru-4"㊄ "Maru-5"

㊃(マル4)型潜水艦について

 「㊀(マル1)」と同様に第一次世界大戦で敗戦したドイツからの戦利艦。元はドイツ海軍潜水艦「UC−90」(㊃(マル4)) と「UC−99」(㊄(マル5))で、どちらもUC III 型と呼ばれる小型の機雷敷設潜水艦である。
 通常の潜水艦では艦首に魚雷発射管を搭載していることが多いが、本クラスは機雷用の敷設筒が船体内にあったため、左右舷側外側に前向きの発射管を搭載している(上掲写真では艦橋(司令塔)の脇にチューブ上のものが見えている)。そのため水上航行の際には発射管が波をかぶり、白い航跡を残して被発見率が高くなったり、また航行速度の低下を招いたりしたという。

 他の第一次大戦における戦利潜水艦同様に艦籍編入はされず、国内各地を巡回して戦勝報告のための一般公開されたのち、参考とするための解体調査が行われたが、日本海軍は沿岸部での機雷戦を考えていなかったのであまり参考にはならなかったという。


㊃(マル4)型潜水艦の歴史
「㊃(マル4)」 
1918年 1月19日ドイツのブローム・ウント・フォス社にて進水
       7月15日竣工。独海軍潜水艦「UC−90」として就役
      12月 1日連合軍に降伏
      12月19日英国ハリッジにて戦利艦として日本海軍に引き渡し
1919年 6月日本へ回航され横須賀へ到着
 戦利艦として日本各地で展示される
1921年呉工廠にて解体調査が行われる
1924年12月〜潜水学校に教材として展示される
1926年12月(スクラップとして)売却処分
「㊄(マル5)」 
1918年 3月17日ドイツのブローム・ウント・フォス社にて進水
       9月20日竣工。独海軍潜水艦「UC−99」として就役
      11月22日連合軍に降伏
      12月19日英国ハリッジにて戦利艦として日本海軍に引き渡し
1919年 6月日本へ回航され横須賀へ到着
 戦利艦として日本各地で展示される
1921年 3月〜横須賀工廠にて解体調査が行われる
      10月東京湾にて実艦標的として使用され沈没


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