㊁(マル2)型 潜水艦

"Maru-2" Class Submarines (U-46 & U-55)


マル2
「㊁(マル2)潜水艦」(1919年)
マル3
「㊂(マル3)潜水艦」(1919年)
スペックデータ(【 】内は「U−55」の数値)
排水量(水上):(基)725t【715t】排水量(水中):940t【902t】全長:(全)65.0m【65.2m】
出力(水上):2,000hp【2,400hp】出力(水中):1,200hp全幅:6.2m【6.4m】
最大速力(水上):15.2kt【17.1kt】最大速力(水中):9.7kt【9.1kt】吃水:3.7m
航続距離(水上):8ktで11,400浬【9,400浬】航続距離(水中):5ktで51浬【55浬】乗員数:36名
燃料搭載量:重油 132t【103t】安全潜行深度:50.0m
主機関:MAN式ディーゼル機関×2基
       +Siemens-Schuckertwerke (SSW)製電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《魚雷6発【7発】搭載》50cm魚雷発射管4門(艦首、艦尾各2)、
45口径10.5cm単装砲1基、【30口径8.8cm単装高角砲1基】

同型艦名(2隻)
㊁ "Maru-2"㊂ "Maru-3"

㊁(マル2)型潜水艦について

 「㊀(マル1)」と同様に第一次世界大戦で敗戦したドイツからの戦利艦で、元はドイツ海軍潜水艦「U−46」(㊁(マル2))と「U−55」(㊂(マル3))である。
 ドイツ海軍お得意の通商破壊作戦用量産型中型潜水艦で、やはり日本回航後に詳しく調査されているが、他の第一次大戦における戦利潜水艦同様に日本海軍籍へは編入されなかった。

 第一次大戦では「U−46」は53隻(約14万トン)、「U−55」は64隻(約13万3千トン)もの輸送船(商船)を撃沈(註)している殊勲艦であったが、日本海軍は大型航洋潜水艦による太平洋での敵艦隊漸減作戦を戦略と考えていたため、中型潜水艦の当クラスはあまり参考にならないと判断されている。ただし技術的には進んだ艦だったため、以降の日本海軍潜水艦建造に少なからぬ影響を与えたことは間違いない。((註)撃沈隻数および撃沈総トン数については諸説あり)
 なお、「㊁(マル2)」は最終的に「㊀(マル1)」と同様の沈錘船へ改造されているが、大正14年に呉へ回航のため曳航中に荒天のため遭難し行方不明となり、二年後にハワイ沖で発見され自沈処分されている。


㊁(マル2)型潜水艦の歴史
「㊁(マル2)」 
1915年 5月18日ドイツのダンチッヒ工廠にて進水
      12月17日竣工。独海軍潜水艦「U−46」として就役
1918年11月26日連合軍に降伏
      12月19日英国ハリッジにて戦利艦として日本海軍に引き渡し
1919年 6月日本へ回航され横須賀へ到着
 戦利艦として日本各地で展示される
1921年 4月〜呉工廠にて解体調査が行われる
1924年頃〜沈錘船への改造を実施
1925年 4月21日呉へ回航中、荒天のため遭難、行方不明となる
(公式には廃艦、解体処分されたことになっている)
1927年 8月 5日ハワイ西方沖を漂流しているところを米国商船に発見される。後に自沈処分された
「㊂(マル3)」 
1916年 3月18日ドイツのゲルマニア造船所にて進水
       6月 8日竣工。独海軍潜水艦「U−55」として就役
1918年11月26日連合軍に降伏
      12月19日英国ハリッジにて戦利艦として日本海軍に引き渡し
1919年 6月日本へ回航され横須賀へ到着
 戦利艦として日本各地で展示される
1921年 3月〜佐世保工廠にて解体調査が行われる
1923年11月30日橋船に改造され、雑役船に類別。「公称第2538号」と改称


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