イ−21(初代)型 潜水艦(機雷潜型)

"I-21(1)" Class (Minelayer) Submarines (Type"Kiraisen")


イ−21
「イ−21潜水艦」(1930年頃)
スペックデータ
 水上水中 
排水量:(常)1,383t1,768t全長:(全)85.20m
出力:2,400hp1,100hp全幅:7.52m
最大速力:14.5kt7.0kt吃水:4.42m
航続距離:8kt-10500浬4.5kt-40浬乗員数:51名
燃料搭載量:重油 搭載量不明安全潜行深度:75.0m
主機関:ラウシェンバッハ式1号ディーゼル機関×2基、2軸推進
武装:
【魚雷12発搭載】53cm魚雷発射管4門(艦首4)
40口径14cm単装砲1基、機雷42発搭載(機雷敷設筒2基)

同型艦名(4隻)
イ−21(初代)"I-21(1)"イ−22(初代)"I-22(1)"イ−23(初代)"I-23(1)"イ−24(初代)"I-24(1)"

イ−21(初代)型潜水艦について
 第一次世界大戦の戦利艦としてドイツから接収した「U−125」(日本海軍名「O−1(マル1)」)は、通商破壊の他に機雷敷設任務のための装備が施されており、このような敵の後方攪乱任務に向いた潜水艦を日本海軍も欲していたことから同型艦を日本でも建造することとした。
 兵装を日本式に換えた他は「U−125」と同じ設計で、技術者をドイツから招き建造に着手したが、太平洋南方方面でも使用できるように冷却設備だけは大型の物を搭載している。装備された機雷は八八式機雷と呼ばれる物で、炸薬量180キログラム、最大水深270メートルまでの場所に設置できる係留機雷であった。
 潜水艦が水中でバランスを保つことは必須事項であったが、敷設潜水艦は機雷を敷設すると艦尾がその分だけ軽くなるのでバランスを取るためタンクに水を入れる必要があり、また艦内にある敷設前の機雷を移動させるだけでも艦のバランスがくずれるのでタンク内の水を艦の前後に移すなど、敷設作業には細心の注意が必要であった。当クラスは潜舵の利きが悪かったので水中で艦を水平に保つことも難しく、一定の場所に一定の間隔で機雷を敷設することが困難だったため、乗員達からは「嫌い潜」と呼ばれていたと言われる。
 太平洋戦争緒戦には戦略的に重要となる海峡などで機雷敷設を行ったが、戦争中期以降は老朽化のため第一線を退き、飛行艇への給油任務や練習艦として使用されるようになっている。

イ−21(初代)型潜水艦の歴史
「イ−21」(初代) 
1924年10月20日川崎造船所にて「第四八潜水艦」として起工
      11月 1日艦名を「伊号第二一潜水艦(イ−21)」と改称
1926年 3月30日進水
1927年 3月31日竣工
1938年 6月 1日艦名を「伊号第一二一潜水艦(イ−121)」と改称
1941年12月〜太平洋戦争開戦時はシンガポール方面にて機雷敷設に従事
1942年 1月〜オーストラリア北部沖にて機雷敷設や偵察任務に従事
       3月〜本土へ帰還。飛行艇の長距離偵察支援のため機雷庫などを給油設備に改修
       8月〜ラバウル方面へ進出。ガダルカナル島砲撃や偵察任務などに従事
      12月〜ニューギニア方面にて輸送任務などに従事
1943年 9月〜本土へ帰還。以降は潜水学校の練習艦として使用
1945年 8月15日舞鶴にて終戦を迎える
      11月30日除籍。1946年4月若狭湾にて海没処分
「イ−22」(初代) 
1925年 2月28日川崎造船所にて起工
1926年11月 8日進水
1927年10月28日竣工
1938年 6月 1日艦名を「伊号第一二二潜水艦(イ−122)」と改称
1941年12月〜太平洋戦争開戦時はシンガポール方面にて機雷敷設に従事
1942年 1月〜オーストラリア北部沖にて機雷敷設や偵察任務に従事
       3月〜本土へ帰還。飛行艇の長距離偵察支援のため機雷庫などを給油設備に改修
       8月〜ラバウル方面へ進出。偵察任務や水偵への給油任務などに従事
1943年 3月〜ニューギニア方面にて輸送任務などに従事
      9月〜本土へ帰還。以降は潜水学校の練習艦として使用
1945年 4月20日第33潜水隊に編入。日本海北方哨戒のため6月4日に舞鶴へ移動
       6月10日石川県禄剛崎付近で米潜水艦「スケート」の雷撃を受け沈没
       9月15日除籍(同年6月10日戦没認定)
「イ−23」(初代) 
1925年 6月12日川崎造船所にて起工
1927年 3月19日進水
1928年 4月28日竣工
1938年 6月 1日艦名を「伊号第一二三潜水艦(イ−123)」と改称
1941年12月〜太平洋戦争開戦時はボルネオ方面にて機雷敷設に従事
1942年 1月〜オーストラリア北部沖にて機雷敷設や偵察任務に従事
       3月〜本土へ帰還。飛行艇の長距離偵察支援のため機雷庫などを給油設備に改修
       8月〜トラック方面へ進出。ガダルカナル島砲撃や偵察任務などに従事
       8月29日インディスペンサブル海峡にて米敷設駆「ガンブル」の攻撃を受け沈没
      10月 5日除籍(同年9月1日戦没認定)
「イ−24」(初代) 
1926年 4月17日川崎造船所にて起工
1927年12月12日進水
1928年12月10日竣工
1938年 6月 1日艦名を「伊号第一二四潜水艦(イ−124)」と改称
1941年12月〜太平洋戦争開戦時はフィリピン方面にて機雷敷設に従事
1942年 1月〜オーストラリア北部沖にて機雷敷設や偵察任務に従事
       1月20日ティモール海にて米駆「エドサル」及び濠コルベット「デロレーヌ」「カトゥーンバ」「リスゴー」の攻撃を受け沈没
       4月30日除籍(同年1月20日戦没認定)


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,07,26(First Up 1999,05,16)