特攻兵器 回天

Special Attack Submarine (manned torpedo) "Kaiten"


回天
特攻兵器「回天」(1944年:呉工廠)
スペックデータ(型)
排水量:8.3t(水中)全長:(全)14.75m
出力:550hp全幅:1.0m
最大速力:30.0kt全高:1.0m(胴体のみ)
航続距離:30kt−23,000m、20kt−43,000m乗員数:1名
燃料搭載量:灯油 搭載量不明潜行深度:150.0m
主機関:2気筒斜板機関×1基、同軸反転推進
武装:
艦首部に火薬1.55t

建造数
回天約420隻(諸説あり)

特攻兵器 回天について
 日本海軍では、長大な射程距離と高速な推進速度を持つ大型の酸素魚雷の開発に成功していた。しかし、当時の魚雷は誘導装置などが無かったため命中精度については今ひとつであった。
 昭和18年頃になって、戦局が日本不利になってくると下級士官達の間から「劣勢を挽回するためには、必中必殺の肉弾攻撃しかない」との意見が出されるようになり、無誘導だった魚雷に兵士が搭乗して誘導を行う『人間魚雷』の案が上申されるようになった。当局(軍令部や連合艦隊、果ては陸軍軍務局など)では、兵の命を使い捨てにする人間魚雷を却下していたが、戦局がますます悪化していったため昭和19年2月末に呉海軍工廠魚雷実験部へ有人誘導魚雷(搭乗者脱出装置つき)の研究試作が命ぜられることになった。
 同年7月には試作艇が完成したが脱出装置の開発は難航しており、脱出装置なしの状態で8月1日に兵器として制式採用となった。この人間魚雷は「回天」と名付けられ、呉工廠にて量産が開始され、同時に搭乗員の募集が魚雷艇訓練所学生や予科練生などに対して行われた(回天部隊の士官については、通常どおりの命令により選抜された)。また、回天部隊の根拠地として、昭和19年9月には大津島基地、11月には光基地、翌年3月には平生基地(いずれも山口県)、4月には大神基地(大分県)が設置され、ここで搭乗員の訓練が行われている。
 昭和19年11月からは回天を使用した奇襲作戦が実行に移され、ウルシー泊地への攻撃を皮切りに翌年8月の敗戦まで多大な損害を出しながら作戦が繰り返された。最終的に83名(87名説あり)の搭乗員戦死者を出しており、また訓練中に殉職した者や敗戦後に自決した者を含めると145名の犠牲があった。さらに、母艦となった潜水艦も無事に帰還できたものが少なく、回天の作戦だけで812名もの潜水艦将兵が帰らぬ人となっている。

特攻兵器 回天が参加した作戦(日付は出撃日)
特別攻撃隊「菊水隊」
1944年11月 8日ウルシー泊地攻撃のため出撃(回天4基。母艦「イ−36」
1隻のみ発進(故障等のため3隻は発進できず)。戦果未確認
     〃パラオ方面攻撃のため出撃(回天4基。母艦「イ−37」
同月19日に米護衛駆の攻撃により母艦ごと沈没
     〃ウルシー泊地攻撃のため出撃(回天4基。母艦「イ−47」
4隻とも発進。米油槽艦「ミシシネワ」撃沈
特別攻撃隊「金剛隊」
1944年12月21日アドミラリティ諸島マヌス島攻撃のため出撃(回天4基。母艦「イ−56」
警戒が厳しく発進の機会を得られず、帰投
1944年12月25日ホーランディア方面攻撃のため出撃(回天4基。母艦「イ−47」)
4隻とも発進。貨物潜1隻を損傷させる
1944年12月30日ウルシー泊地攻撃のため出撃(回天4基。母艦「イ−36」)
4隻とも発進。戦果未確認
     〃パラオ方面攻撃のため出撃(回天4基。母艦「イ−53」
3隻発進(うち1隻は発進直後に火災のため自沈)
(1隻は搭乗員負傷のため発進せず)。戦果未確認
     〃グアム島攻撃のため出撃(回天4基。母艦「イ−58」
4隻とも発進。戦果未確認
1945年 1月 9日ウルシー泊地攻撃のため出撃(回天4隻。母艦「イ−48」
同月23日にヤップ島沖にて米護衛駆の攻撃により母艦ごと沈没
特別攻撃隊「千早隊」
1945年 2月20日硫黄島方面攻撃のため出撃(回天5隻。母艦「イ−368」
同月27日に硫黄島南方にて米艦載機の攻撃により母艦ごと沈没
     〃硫黄島方面攻撃のため出撃(回天5隻。母艦「イ−370」
同月26日に硫黄島南方にて米護衛駆の攻撃により母艦ごと沈没
1945年 2月21日硫黄島方面攻撃のため出撃(回天5隻。母艦「イ−44」
警戒が厳しく発進の機会を得られず、帰投
特別攻撃隊「神武隊」
1945年 3月 1日硫黄島方面攻撃のため出撃(回天4隻。母艦「イ−58」)
作戦変更のため発進させず(行動の支障となるため回天2隻を投棄)、帰投
1945年 3月 2日硫黄島方面攻撃のため出撃(回天4隻。母艦「イ−36」)
発進海域到着前に作戦中止となり帰投
特別攻撃隊「多々良隊」
1945年 3月28日沖縄方面攻撃のため出撃(回天6隻。母艦「イ−47」)
作戦海域へ向かう途中に米駆の攻撃を受け損傷、攻撃断念し帰投
1945年 3月31日沖縄方面攻撃のため出撃(回天6隻。母艦「イ−56」)
4月5日に久米島沖にて米駆の攻撃により母艦ごと沈没
     〃沖縄方面攻撃のため出撃(回天4隻。母艦「イ−58」)
警戒が厳しく発進の機会を得られず、帰投
1945年 4月 3日沖縄〜マリアナ方面攻撃のため出撃(回天4隻。母艦「イ−44」)
同月17日に米駆の攻撃により母艦ごと沈没
特別攻撃隊「天武隊」
1945年 4月16日(22日出撃説あり)沖縄方面攻撃のため出撃(回天6隻。母艦「イ−36」)
回天4隻発進。戦果未確認(残り2隻は故障のため発進できず)
1945年 4月20日沖縄〜マリアナ方面攻撃のため出撃(回天6隻。母艦「イ−47」)
5月2日に回天3隻発進。米貨物潜1隻損傷
5月7日に回天1隻発進。戦果未確認(残り2隻は故障のため発進できず)
特別攻撃隊「振武隊」
1945年 5月 5日沖縄〜サイパン方面攻撃のため出撃(回天5隻。母艦「イ−367」
回天2隻発進。戦果未確認(残り3隻は故障のため発進できず)
(出撃中止)1945年5月6日、母艦「イ−366」が触雷損傷したため出撃中止となる
特別攻撃隊「轟隊」
1945年 5月23日沖縄方面攻撃のため出撃(回天5隻。母艦「イ−361」
5月30日に沖縄沖にて米艦載機の攻撃を受け母艦ごと沈没
1945年 5月28日沖縄方面攻撃のため出撃(回天5隻。母艦「イ−363」
警戒が厳しく発進の機会を得られず、帰投
1945年 6月 4日マリアナ方面攻撃のため出撃(回天6隻。母艦「イ−36」)
回天3隻発進。戦果未確認(残り3隻は故障のため発進できず)
1945年 6月15日マリアナ方面攻撃のため出撃(回天2隻。母艦「イ−165」
同月27日にサイパン沖にて米海兵隊機の攻撃を受け母艦ごと沈没
特別攻撃隊「多聞隊」
1945年 7月 9日(14日説あり)西太平洋方面攻撃のため出撃(回天6隻。母艦「イ−53」)
同月21日、回天1隻発進。米護衛駆「アンダーヒル」撃沈
同月27日、回天3隻発進。戦果未確認(残り2隻は爆雷攻撃により損傷、発進できず)
1945年 7月18日西太平洋方面攻撃のため出撃(回天6隻。母艦「イ−58」)
同月28日、回天2隻発進するも戦果未確認。8月9日、回天2隻発進するも戦果未確認
8月12日、回天1隻発進するも戦果未確認(残り1隻は機関始動できず)
1945年 7月19日沖縄〜パラオ方面攻撃のため出撃(回天6隻。母艦「イ−47」)
同月30日、台風暴風圏に入り回天1隻を喪失
8月6日、帰投命令が出され、帰投
     〃沖縄〜グアム方面攻撃のため出撃(回天5隻。母艦「イ−367」)
8月9日、帰投命令が出され、帰投
1945年 8月 8日(1日説あり)沖縄〜ウルシー方面攻撃のため出撃(回天5隻。母艦「イ−366」)
回天3隻発進。戦果未確認(残り2隻は故障のため発進できず)
     〃沖縄〜パラオ方面攻撃のため出撃(回天5隻。母艦「イ−363」)
同月12日、目的地を日本海へ変更するよう命令される。14日帰還


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