イ−74型 潜水艦(海大6型b)

"I-74" Class Submarines (Type"Kaioo6b")


イ−75
「イ−75潜水艦」(1941年)
スペックデータ
 水上水中 
排水量:(常)1,810t2,564t全長:(全)105.0m
出力:9,000hp1,800hp全幅:8.20m
最大速力:23.0kt8.2kt吃水:4.60m
航続距離:16kt-10000浬3kt-65浬乗員数:68名
燃料搭載量:重油 442t安全潜行深度:85.0m
主機関:艦本式1号甲8型ディーゼル機関×2基、2軸推進
武装:
【魚雷14発搭載】53cm魚雷発射管6門(艦首4、艦尾2)
45口径12cm単装砲1基、13mm連装機銃2基(機銃は実際には13mm単装1、
7.7mm機銃1しか搭載されなかったとの説がある)

同型艦名(2隻)
イ−74"I-74"イ−75"I-75"

イ−74型潜水艦(海大6型b)について
 1934年(昭和9年)度に計画建造された艦で、基本的には海大6型aと同設計であるが若干の改良を加えられ、安全潜行深度の拡大や航続距離の延長などが図られている(ただし資料として残されている航続距離は6型aとbでは基準速度が異なり正確な比較が難しい)。また搭載砲は5型や6型aに搭載された10センチ砲では対商船砲撃に威力不足であるとして12センチ砲に戻されている。
 この海大6型bは太平洋戦争開戦前に竣工した最後の海大型潜水艦でもあったため、開戦時から第一線で作戦に従事していたが、姉妹艦二隻とも戦局が悪化していた昭和19年に戦没してしまった。

イ−74型潜水艦(海大6型b)の歴史
「イ−74」 
1934年10月16日佐世保工廠にて起工
1937年 3月28日進水
1938年 8月15日竣工
1941年12月〜太平洋戦争に参加。ハワイ攻撃に参加
1942年 1月〜北方海域へ転戦。アリューシャン方面で作戦に従事。同年2月本土へ帰還
       4月〜クェゼリンへ進出。不時着機救難や哨戒任務に従事
       5月20日〜艦名を「伊号第一七四潜水艦(イ−174)と改称
同日クェゼリンを出港し、ミッドウェー海戦に参加
       7月〜オーストラリア東方海域の通商破壊を実施
       8月〜米軍のガダルカナル上陸を受けソロモン方面へ転戦
      11月〜本土へ帰還。修理や艦長交代を実施
1943年 5月〜トラックへ進出。オーストラリア東方海域の通商破壊を実施
       6月16日シドニー沖で米軍輸送船団を攻撃。貨物船1撃沈、揚陸艦(LST)1撃破
       8月〜ラバウル〜ラエ間の輸送任務に従事
      11月〜トラックへ移動。ギルバート方面で作戦に従事。同年12月本土へ帰還
1944年 4月 2日パラオ方面の哨戒任務のため呉を出港
       4月10日パラオ諸島東方で位置報告後に消息不明となる
(4月29日カロリン諸島近海で米空母機および駆逐艦の攻撃を受け沈没との説あり)
       6月10日除籍(同年4月13日戦没認定)
「イ−75」 
1934年11月 1日三菱重工神戸にて起工
1937年 9月16日進水
1938年12月18日竣工
1941年12月〜太平洋戦争に参加。ハワイ攻撃に参加
      12月18日ハワイ沖にて米貨物船を撃沈
同月24日にはパルミラ島を浮上砲撃
1942年 1月〜北方海域へ転戦。アリューシャン方面で作戦に従事。同年2月本土へ帰還
       5月10日クェゼリンへ進出
       5月20日艦名を「伊号第一七五潜水艦(イ−175)」と改称
同日クェゼリンを出港し、ミッドウェー海戦に参加
       7月〜オーストラリア東方海域の通商破壊を実施
       8月〜米軍のガダルカナル上陸を受けソロモン方面へ転戦
      11月20日トラックにて輸送船「日進丸」と接触事故をおこし損傷を負う
      12月〜本土へ帰還。修理や艦長交代を実施
1943年 4月〜北方海域へ進出。アッツ方面の偵察やキスカからの撤退輸送などに従事
       9月〜トラックへ転戦。ハワイ方面やギルバート諸島方面の作戦に従事
      11月24日マキン島西方にて米護衛空母「リスカム・ベイ」を雷撃、撃沈する
1944年 1月31日ウォッゼ方面へ出撃。その後消息不明となる
(2月17日ウォッゼ島東方で米駆「ニコラス」の攻撃を受け沈没との説がある)
       7月10日除籍(同年3月26日戦没認定)


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