イ−61型 潜水艦(海大4型)

"I-61" Class Submarines (Type"Kaioo4")


イ−64
「イ−64潜水艦」(1930年)
スペックデータ
排水量(水上):(常)1,720t排水量(水中):2,300t全長:(全)97.70m
出力(水上):6,000hp出力(水中):1,800hp全幅:7.80m
最大速力(水上):20.0kt最大速力(水中):8.5kt吃水:4.83m
航続距離(水上):10ktで10,800浬航続距離(水中):3ktで60浬乗員数:58名
燃料搭載量:重油 230t安全潜行深度:60.0m
主機関:ラウシェンバッハ式2号ディーゼル機関×2基+電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《魚雷14発搭載》53cm魚雷発射管6門(艦首4、艦尾2)、
45口径12cm単装砲1基、機銃1基

同型艦名(3隻)
イ−61"I-61"イ−62"I-62"イ−64"I-64"

イ−61型潜水艦(海大4型)について

 これまで建造された海大型潜水艦をベースとした改良型(計画は海大3型bと同時期)で、徳川武定造船官の耐圧構造研究の結果から内殻断面を真円構造に変更され船体強度が高められている。しかし内殻断面の変更のため艦首魚雷発射管は4門に減じられ、艦内スペースも減少したことから搭載魚雷数も二発減の14発となっている。
 また機関もスイス製ズルサー式からドイツのMAN社製の信頼性が高いディーゼル機関(製造ライセンスはスイスのラウシェンバッハ社が保有していたため、海軍ではラ式機械と呼称される)に変更されている。

 全部で三隻の姉妹艦が建造され、太平洋戦争開戦前に事故で喪われた「イ−61」を除き戦時中は通商破壊などに従事した。「イ−64」は緒戦で戦没したが、「イ−62」は従前の海大型と同様に戦争後半は訓練任務にまわされたため終戦まで生き残っている。


イ−61型潜水艦(海大4型)の歴史
「イ−61」 
1926年11月15日三菱造船神戸にて起工
1927年11月12日進水
1929年 4月 6日竣工
1939年 3月11日三田尻(山口県)沖にて駆逐艦「矢風」と衝突事故。損傷を負う
1941年 1月 8日足摺岬沖にて貨物船「杭州丸」と衝突事故。損傷を負う
      10月 2日壱岐水道烏帽子島灯台沖で特設砲艦「木曾丸」と衝突事故。沈没
1942年 1月引き揚げ後に解体処分。同年4月1日除籍
「イ−62」 
1927年 4月20日三菱造船神戸にて起工
1928年11月29日進水
1930年 4月24日竣工
1941年12月〜太平洋戦争に参加。南方方面に進出しマレー作戦等に参加
1942年 1月〜インド洋方面にて通商破壊に従事。同年4月本土へ帰還
       5月20日艦名を「伊号第一六二潜水艦(イ−162)」と改称
       5月28日ミッドウェー海戦に参加
       8月〜インド洋方面へ進出。通商破壊に従事。翌年3月本土へ帰還
1943年10月〜インド洋方面へ進出。通商破壊に従事。翌年4月本土へ帰還
1944年 4月〜呉防備隊所属となり内海で訓練任務に従事
1945年 4月 1日第34潜水隊へ編入。回天の輸送任務などに従事
       8月15日呉港にて終戦を迎える
      11月30日除籍
1946年 4月 1日五島沖にて海没処分
「イ−64」 
1927年 3月28日呉工廠にて起工
1929年10月 5日進水
1930年 8月30日竣工
1941年12月〜太平洋戦争に参加。南方方面に進出しマレー作戦等に参加
1942年 1月〜インド洋方面にて通商破壊に従事。同年4月本土へ帰還
       5月16日ミッドウェー作戦参加のため佐世保を出港。以降消息不明となる
(5月17日、四国沖にて米潜水艦「トライトン」の攻撃を受け沈没)
       5月20日艦名を「伊号第一六四潜水艦(イ−164)」と改称
1942年 7月14日除籍(同年5月25日戦没認定)


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