イ−15(初代)型潜水艦の年表の続き

「イ−28」 
1939年 9月25日三菱重工神戸にて起工
1940年12月17日進水
1942年 2月 6日竣工
       4月末〜トラックを拠点に南太平洋方面で行動
       5月11日トラックへの帰投命令を受領。ガダルカナル南西から移動開始
       5月16日ラバウル北方にて連絡後に消息不明となる(5月17日トラック島へ帰投中、
米潜水艦「タウトグ」の雷撃を受け沈没。先日の帰投命令暗号が米軍に
解読されていたため待ち伏せ攻撃を受けたもの)
       6月15日除籍(5月16日戦没認定)
「イ−29」 
1939年 9月20日横須賀工廠にて起工
1940年 9月29日進水
1942年 2月27日竣工
       4月末〜トラックを拠点にオーストラリア東岸で通商破壊に従事
       5月23日搭載水偵によるシドニーの飛行偵察を実施
       6月 2日〜ブリスベーン沖にて通商破壊に従事。7月21日本土へ帰還
       7月末〜ペナンを経由しインド洋にて通商破壊に従事。9月末シンガポールへ帰還
      10月23日〜ペナンを経由しインド洋にて通商破壊に従事。翌年1月末シンガポールへ帰還
1943年 2月 7日〜ペナンを経由しベンガル湾方面へ進出。3月ペナンへ帰還
       4月 5日〜特殊任務のためペナンを出港。4月28日マダガスカル島沖にて
独潜「U−180」と会合し、ドイツ亡命中だったインド独立運動家チャンドラ・ボース氏の
移乗と各種物資の交換を行う。5月13日シンガポールへ帰還
       5月29日〜ペナンを経由しアラビア半島沿岸で通商破壊を実施。8月19日本土へ帰還
      11月 5日〜訪独任務の特命を受け、ドイツへ向け出港
      11月14日シンガポール到着。戦略物資や便乗者(遣独使節)を乗せ12月16日出港
      12月23日インド洋にて独油槽艦と会合し燃料補給を実施
1944年 2月〜3月2月13日アゾレス諸島南方にて独潜水艦と合流、3月11日ロリアンへ到着
       4月16日〜ドイツから提供された兵器設計図や便乗者を乗せロリアンを出港
       7月14日シンガポール到着。便乗者はここで退艦する
       7月22日日本本土へ向けシンガポールを出港。その後消息を絶つ
      10月10日除籍(同日戦没認定)
(7月26日バシー海峡にて米潜水艦「ソーフィッシュ」の雷撃を受け沈没)
「イ−30」 
1939年 6月 7日呉工廠にて起工
1940年 9月17日進水
1942年 2月28日竣工
       4月20日〜ペナンに進出。アラビア海方面の偵察任務に従事
       5月 7日〜アデン湾の飛行偵察を実施。その後も8日ジブチ、19日ザンジバル・ダルエス
サラームの飛行偵察を実施。19日着水時に水偵が損傷、飛行不能となる
       5月20日モンバサの偵察を実施。その後はマダガスカル島近海で哨戒任務に従事
       6月18日〜訪独任務の特命を受け、インド洋からドイツへの輸送任務に出発
       8月 5日大西洋にて独掃海艇と会合、翌日ロリアンへ到着
       8月23日〜ロリアンを出港。10月8日ペナンへ到着
      10月10日ペナンを出港。ドイツで乗せたエニグマ暗号機引き渡しのためシンガポールへ向かう
      10月13日シンガポール到着。暗号機を降ろし、夕刻にはシンガポールを出港
出港直後、シンガポール港東方にて機雷に接触。沈没
1944年 4月15日除籍(1959年8月引き揚げ後解体処分される)
「イ−31」 
1939年12月 6日横須賀工廠にて起工
1941年 3月13日進水
1942年 5月30日竣工
       9月11日ヌデニ島を偵察。翌12日にはヌデニ島を浮上砲撃
米水上機母艦二隻からの反撃(砲撃)を受け撤退
       9月13日バルコロ島の飛行偵察を実施。10月6日トラックへ帰還
      11月 4日スヴァ(フィジー)の飛行偵察を実施。11日にはパゴパゴ島を飛行偵察
11月20日ショートランドへ帰還
      11月末〜ガダルカナル輸送任務に従事。翌年1月13日本土へ帰還
1943年 2月〜北方部隊へ編入。アッツ・キスカ輸送作戦に従事
       5月12日キスカへの輸送に従事中、米軍上陸の報を受けアッツ島方面へ移動。消息を絶つ
(13日、艦砲射撃中だった米戦艦「ペンシルバニア」を雷撃するも命中せず。
米飛行艇に発見され、アッツ島ホルツ湾外にて米駆「エドワード」 「ファラガット」
攻撃を受け、浮上砲戦の後に沈没)
       8月 1日除籍(5月14日戦没認定)
「イ−32」 
1940年 1月20日佐世保工廠にて起工
      12月17日進水
1942年 4月26日竣工
       6月〜ポートヴィラ偵察や濠州方面の通商破壊に従事。10月14日本土へ帰還
      12月〜ラバウルへ進出。ブナ方面への輸送任務に従事。翌年6月本土へ帰還
1943年 7月末〜ラバウルへ進出。ラエ方面への輸送任務に従事
      10月20日ヌーメアの飛行偵察を実施。12月20日本土へ帰還
1944年 2月末〜ウオッゼ島への輸送任務やマーシャル東方での通商破壊に従事
       3月23日ウォッゼ輸送作戦に従事中、敵機動部隊発見の報を最後に消息不明
(3月24日ウォッゼ島付近で米護衛駆「マンラブ」及び米駆潜艇「PC-1135」の攻撃を
受け沈没。暗号が解読されたことによる待ち伏せであった)
       6月10日除籍(3月24日戦没認定)
「イ−33」 
1940年 2月21日三菱重工神戸にて起工
1941年 5月 1日進水
1942年 6月10日竣工
       9月25日トラックへ進出
       9月26日トラックにて魚雷発射管の修理中、後部メインタンク注水の失敗から沈没着底
(33名殉職)。第4艦隊の手により引き揚げ作業が行われる
      12月29日〜引き揚げ完了。艦内清掃後、呉に回航し修理が行われる
1944年 4月 1日修理完了。呉鎮守府に配属となる
       6月 1日〜第11潜水隊に所属し、訓練に従事する
       6月13日伊予灘にて急速潜航訓練中、ベント故障により沈没(102名殉職)
       8月10日戦局に余裕がなく、沈没深度が深かったことから放棄が決定。除籍となる
1953年 7月戦後、引き揚げに成功。日立造船で解体工事が行われたが、解体前の調査を
行った浦賀ドックの作業員が艦内に発生したメタンガスにより死亡する事故が
発生した(3名殉職)
「イ−34」 
1941年 1月 9日佐世保工廠にて起工
       9月24日進水
1942年 8月31日竣工
      11月〜北方部隊に編入。キスカ輸送作戦や哨戒任務に従事。翌年3月本土へ帰還
1943年 4月25日〜横須賀出港。大湊経由でキスカへ向かう。キスカ撤退作戦に従事
       7月29日〜横須賀へ帰還。修理と休養を行う
      10月13日〜訪独任務の特命を受け呉を出港。22日シンガポール到着
      11月11日物資および便乗者を乗せシンガポール出港
      11月13日ペナン沖で英潜「トーラス」の雷撃を受け沈没
1944年 1月 5日除籍
「イ−35」 
1940年 9月 2日三菱重工神戸にて起工
1941年 9月24日進水
1942年 8月31日竣工
      11月〜北方部隊に編入。キスカ輸送作戦や哨戒任務に従事。翌年2月本土へ帰還
1943年 3月27日〜横須賀出港。大湊経由でキスカへ向かう。キスカ輸送作戦に従事
       5月13日〜キスカへの輸送に従事中、米軍上陸の報を受けアッツ島方面へ移動するも敵駆
逐隊の追跡・攻撃を受ける。16日敵軽巡(実際は戦艦「ペンシルバニア」を誤認)を
雷撃するも命中せず。幌筵経由で6月2日呉に帰還)
       6月15日〜先遣部隊に編入。ウェーキ、ハワイ方面の偵察任務などに従事
      11月19日〜ギルバート諸島タラワ、マキン方面へ移動するよう指令を受ける
翌20日タラワ島南西で米機動部隊を発見するも攻撃できず
      11月22日ギルバート諸島方面にて敵部隊発見の報を最後に消息不明となる
(11月23日タラワ島南方で米駆「ミード」「フレイジャー」と浮上交戦、最期は
「フレイジャー」の体当たりを艦尾に受け転覆沈没)
1944年 4月30日除籍(1月10日戦没認定)
「イ−36」 
1940年12月 4日横須賀工廠にて起工
1941年11月 1日進水
1942年 9月30日竣工
      12月末〜トラックへ進出。ガダルカナルやラエ、ブナなどへの輸送任務に従事
1943年 3月 7日横須賀へ帰還。修理と休養を行う
       4月 6日〜トラックへ向け横須賀を出港するも、洲埼沖にて台風に遭遇。荒天のため
艦内に浸水し機関故障となったため、9日横須賀へ帰投
       5月13日〜修理後、北方部隊に編優。運貨筒の曳航試験に協力後、6月13日幌筵へ進出
       6月14日〜キスカ輸送に出発するが、敵の警戒が厳重で近寄れず撤退。8月横須賀へ帰還
       9月 8日〜ハワイ方面の偵察に出撃
      10月17日ハワイ島の飛行偵察を実施。在泊艦艇の無電報告後に水偵は消息を絶つ
      11月 1日カントン島を浮上砲撃する
      12月末〜南東方面部隊に編入。ニューブリテン島への輸送任務に従事
翌年1月16日本土へ帰還
1944年 3月末〜マーシャル方面へ出撃
       4月22日メジュロ島を飛行偵察。敵の猛攻を受けるが待避に成功
7月16日本土へ帰還
       9月〜回天部隊と共同訓練を行う
      11月 8日〜ウルシー泊地の回天攻撃に参加。回天菊水隊(4基)を搭載して出撃
      11月20日ウルシー泊地へ回天1基を出撃させるも、戦果不明
当艦は11月30日に呉へ帰還
      12月30日〜ウルシー環礁ソロン島の回天攻撃に参加。回天金剛隊(4基)を搭載して出撃
1945年 1月12日ソロン島へ回天隊を出撃させるも、戦果不明
当艦は1月21日に呉へ帰還
       3月 2日〜回天神武隊を搭載して出撃するも作戦中止となり帰還
       4月16日〜(22日説あり)沖縄近海の敵輸送船団攻撃のため回天天武隊(6基)を搭載して出撃
       4月27日敵輸送船団を発見、回天4基を出撃させる(輸送船3隻撃沈と報告)
当艦は5月1日に呉へ帰還
       6月 4日〜マリアナ近海の敵船団攻撃のため回天轟隊(6基)を搭載して出撃
       6月24日フィリピン沖で米LSTを雷撃、撃沈する
       6月28日回天隊3基を出撃させる。当艦は7月6日に呉へ帰還
       8月15日小破状態で呉にて終戦を迎える
      11月30日除籍。翌年4月1日五島沖にて海没処分
「イ−37」 
1940年12月 7日呉工廠にて起工
1941年10月22日進水
1943年 3月10日竣工
       5月末〜ペナン経由でマダガスカル島北東からペルシャ湾にて通商破壊に従事
      10月〜モザンビーク海峡方面へ進出。11日にディエゴスワレスの飛行偵察を実施
      11月17日モンバサの飛行偵察を実施。12月ペナンへ帰還
1944年 2月10日ペナンを出港し、マダガスカル方面で通商破壊に従事
       4月27日修理のためシンガポールに回航中、ペナン海峡にて触雷。損傷を負う
       9月 9日呉へ帰還。修理および回天搭載の改修を実施
      11月 8日回天菊水隊(4基)を搭載して呉を出航後消息不明となる(11月19日パラオ諸島
北方にて米護衛駆「コンクリン」「マッコイ・レイノルズ」の攻撃を受け沈没)
1945年 3月10日除籍(前年12月6日戦没認定)
「イ−38」 
1941年 6月19日佐世保工廠にて起工
1942年 4月15日進水
1943年 1月31日竣工
       5月〜トラック経由でラバウルに進出。ラエ、サラモアへの輸送任務に従事
1944年 1月 7日〜呉に帰還。修理と休養を行う
       4月〜ニューギニア方面への輸送任務に従事。27日呉に帰還
       5月17日〜マーシャル方面へ進出
       6月28日サイパンの第6艦隊司令部救出に従事するが不成功に終わる
1944年11月 7日ルソン島東方にて敵艦隊発見の報を最後に消息不明
(11月12日ヤップ島近海で米駆「ニコラス」の攻撃を受け沈没)
1945年 3月10日除籍(前年12月6日戦没認定)
「イ−39」 
1941年 6月19日佐世保工廠にて起工
1942年 4月15日進水
1943年 4月22日竣工
       8月〜トラックを経由しニューヘブライズ諸島方面へ展開。9月27日トラックへ帰還
      11月20日〜トラックを出撃しタラワ方面へ向かう
      11月25日タラワ方面にて敵艦攻撃後に消息不明となる
(11月26日マキン島西方で米駆「ボイド」の攻撃を受け沈没)
1944年 4月30日除籍(2月20日戦没認定)


前画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,08,11(First Up 1999,05,30)