イ−40型 潜水艦(巡潜乙型改1)

"I-40" Class Submarines (Type"Jyunsen-Otu mod 1")


イ−44
「イ−44潜水艦」(1944年)
スペックデータ
 水上水中 
排水量:(常)2,624t3,700t全長:(全)108.70m
出力:11,000hp2,000hp全幅:9.30m
最大速力:23.5kt8.0kt吃水:5.20m
航続距離:16kt-14000浬3kt-96浬乗員数:94名
燃料搭載量:重油 814t安全潜行深度:100.0m
主機関:艦本式1号甲10型ディーゼル機関×2基、2軸推進
武装:
【魚雷17発搭載】53cm魚雷発射管6門(艦首6)
40口径14cm単装砲1基、25mm連装機銃2基
水偵1機搭載(射出機1基)

同型艦名(6隻)
イ−40"I-40"イ−41"I-41"イ−42"I-42"
イ−43"I-43"イ−44"I-44"イ−45"I-45"

イ−40型潜水艦(巡潜乙型改1)について
 1941年の戦時建造計画(マル急計画)で計画建造された巡潜乙型ベースの潜水艦。基本設計はすでに建造された「イ−15」型と同じであるが、太平洋戦争開戦後の起工となったため機関を艦本2号式から製造の容易な1号式に改められており、船体の材質等も変更されるなど戦時急造対策がとられている。機関の変更により出力は一万二千四百馬力から一万一千馬力へ減少しているが、最高速力や航続距離は同等の能力を維持している。また戦争末期に「イ−44」は回天搭載艦に改造(上甲板砲や航空艤装の撤去など)され、回天四基を搭載できるようになっている。
 全部で六隻の姉妹艦が建造され戦争中盤以降に順次就役したが、全艦とも戦没してしまっている。なお、「イ−41」がフィリピン沖で敵艦載機に発見された際、当時の最新兵器である航空機投下型ソノブイが太平洋戦線で初めて使用されたと説がある。

イ−40型潜水艦(巡潜乙型改1)の歴史
「イ−40」 
1942年 3月 8日呉工廠にて起工
      11月10日進水
1943年 7月31日竣工
      11月13日〜トラックに向け横須賀を出港。19日トラックへ到着
      11月22日〜敵艦艇攻撃任務のためトラック島を出撃。マキン島方面で消息不明となる
(11月25日マキン近海にて米駆「ラドフォード」の攻撃を受け沈没説あり)
1944年 4月30日除籍(2月21日戦没認定)
「イ−41」 
1942年 3月18日呉工廠にて起工
      11月10日進水
1943年 9月18日竣工
      12月29日〜トラックに向け横須賀を出港。翌年1月4日トラック到着
1944年 1月 5日〜砲や艦載機を陸揚げし、ラバウルへの輸送任務に従事
浮上航行中、米爆撃機の奇襲を受けるも艦長の機転(甲板上の乗員達に「敵機に
向かって帽振れ」を命令)により味方艦と勘違いさせ難を逃れる。19日ラバウル到着
       1月下旬〜ラバウルからニューブリテン島やブインなどへの輸送任務に従事
       4月25日〜横須賀へ帰還。呉に回航後、特殊任務(「龍巻作戦」:メジュロ環礁の米軍泊地に
対する特四式内火艇による奇襲攻撃)の準備を行うが、作戦中止となる
       5月15日〜グアム南方海域に向け呉を出港
       6月24日グアム残留の搭乗員106名を収容。30日大分に到着、翌日呉へ帰還
      10月19日〜比島東方海域に向け呉を出港
      11月 3日レイテ沖にて米軽巡「リノ」を雷撃、損傷を負わせる
      11月12日フィリピン東方にて行動報告を発信後、消息不明となる
(11月18日フィリピン東方で敵艦載機に発見され、米護衛駆「ローレンス・C・
テイラー」
の攻撃を受け沈没)
1945年 3月30日除籍(44年12月2日戦没認定)
「イ−42」 
1942年 3月18日呉工廠にて起工
      11月10日進水
1943年11月 3日竣工
1944年 2月12日〜トラックへ向け横須賀を出港。サイパン経由で3月7日トラック到着
       3月中旬〜トラックからパラオへの輸送任務に従事。19日パラオ到着
       3月23日ラバウルに向けパラオを出航後、消息不明となる
(同日アンガウル島沖で米潜水艦「タニー」の雷撃を受け沈没)
       4月30日除籍(4月27日戦没認定)
「イ−43」 
1942年 4月27日佐世保工廠にて起工
      10月25日進水
1943年11月 5日竣工
1944年 2月 9日〜サイパンに向け横須賀を出港。13日サイパン到着
       2月14日〜特別陸戦隊輸送任務のためサイパン出撃。消息不明となる
(2月15日トラック島北方で米潜水艦「アスプロ」の雷撃を受け沈没)
       4月30日除籍(4月8日戦没認定)
「イ−44」 
1942年 6月11日横須賀工廠にて起工
1943年 3月 5日進水
1944年 1月31日竣工
       3月31日〜パラオへ向け横須賀を出港するも、4月5日緊急命令により呉へ帰還
       4月〜特殊任務(「龍巻作戦」)の準備を行うが、作戦中止となる
       5月15日〜「あ号作戦」(マリアナ海戦)のためニューアイルランド北東海域へ向け呉を出撃
       5月27日ニューアイルランド海域にて敵機・敵駆逐艦の攻撃を受け損傷を負う
修理のため6月5日呉へ帰還
      10月18日〜比島東方海域へ向け呉を出撃するも、22日耐圧タンク爆発事故のため引き返す
      10月下旬〜耐圧タンク修理に際し、回天搭載艦への改装工事を実施
1945年 2月21日〜回天千早隊(4基)を搭載して硫黄島方面へ出撃するも、敵の警戒が厳重で
回天発進の機会を得られず、3月6日帰投命令が出される。11日呉へ帰還
       4月 3日〜回天多々良隊(4基)を搭載して沖縄へ出撃。消息不明となる
(4月17日沖縄東方にて米駆「ヒーアマン」「ウールマン」などの攻撃を受け沈没)
(4月29日南大東島付近で米空母機の攻撃を受け沈没説もあり)
       6月10日除籍(5月2日戦没認定)
「イ−45」 
1942年 7月15日佐世保工廠にて起工
1943年 3月 6日進水
      12月28日竣工
1944年 3月末〜マーシャル方面へ向け呉を出撃
       4月 5日マーシャル島東方にて米艦載機の攻撃を受け損傷。修理のため14日横須賀へ帰還
       6月28日〜グアム輸送任務のため横須賀を出撃。揚陸は不成功。7月28日横須賀へ帰還
      10月13日〜レイテ東方海域へ向け呉を出撃
      10月27日レイテ島東方で敵情報告を発信後、消息不明となる
(10月28日スリガオ海峡にて米護衛駆「エバゾール」と交戦、これを雷撃撃沈するも
増援の米護衛駆「ホワイトハースト」の攻撃を受け沈没)
1945年 3月10日除籍(44年11月21日戦没認定)


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2015,08,15(First Up 1999,07,05)