イ−15(初代)型 潜水艦(巡潜乙型)

"I-15(1)" Class Submarines (Type"Jyunsen-Otu")


イ−26
「イ−26潜水艦」(1941年)
スペックデータ
排水量(水上):(常)2,524t排水量(水中):3,654t全長:(全)108.70m
出力(水上):12,400hp出力(水中):2,000hp全幅:9.30m
最大速力(水上):23.6kt最大速力(水中):8.0kt吃水:5.14m
航続距離(水上):16ktで14,000浬航続距離(水中):3ktで96浬乗員数:94名
燃料搭載量:重油 774t安全潜行深度:100.0m
主機関:艦本式2号10型ディーゼル機関×2基+電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《魚雷17発搭載》53cm魚雷発射管6(艦首6)、
40口径14cm単装砲1基、25mm連装機銃1基
水偵1機搭載(射出機1基)

同型艦名(20隻)
イ−15(初代)
"I-15(1)"
イ−17"I-17"イ−19"I-19"イ−21(2代)
"I-21(2)"
イ−23(2代)
"I-23(2)"
イ−25"I-25"イ−26"I-26"イ−27"I-27"イ−28"I-28"イ−29"I-29"
イ−30"I-30"イ−31"I-31"イ−32"I-32"イ−33"I-33"イ−34"I-34"
イ−35"I-35"イ−36"I-36"イ−37"I-37"イ−38"I-38"イ−39"I-39"

イ−15(初代)型潜水艦(巡潜乙型)について

 対米戦略「漸減作戦」用に計画建造された巡潜の乙型である。戦隊旗艦となる甲型をサポートするため索敵能力強化が施されており、水偵を一機搭載できるようになっている。
 「漸減作戦」を実施する機会は得られなかったので想定された任務へ従事することはできなかったが、太平洋戦争時には日本海軍潜水部隊の中核をなし、太平洋戦争中の商船撃沈数は乙型の戦果だけで日本潜水艦全体の42パーセントを占めている。
 水偵は九六式小型水偵もしくは零式小型水偵が搭載された。なお「イ−27」と「イ−28」は甲標的搭載母艦に改造(後部甲板の備砲を撤去)され、「イ−36」および「イ−37」は回天搭載艦に改造(後部甲板の備砲を撤去。「イ−36」は前部甲板の航空機格納庫や射出機も撤去し回天6基を搭載できるよう改造)されている。

 20隻という日本海軍最多の姉妹艦を持っており、米空母「ワスプ」を撃沈した「イ−19」や米軽巡「ジュノー(初代)」を撃沈した「イ−26」、米本土を艦載機により空襲した「イ−25」や米本土を砲撃した「イ−17」、日本海軍潜水艦の中で最も多くの商船(合計8万2千トン以上)を沈めた「イ−27」など、後世に残るような戦果を挙げた艦もあったが、終戦まで生き残れたのは「イ−36」一隻のみであった。
 丙型と同様、昭和17年の改⑤(マル5)計画において量産(32隻)が計画されていたが、戦局の悪化により取りやめとなっている。


注意!「このページは同型艦が多いため年表を2ページに分けております。このページの一番下に
2ページ目へのリンクを貼ってありますので「イ−28」以降の艦についてはそちらをご覧ください。」
潜水艦 イ−15(初代)型(巡潜乙型)の歴史
「イ−15」(初代) 
1938年 1月25日呉工廠にて起工
1939年 3月 7日進水
1940年 9月30日竣工
1941年12月〜太平洋戦争に参加。ハワイ沖や米西岸で作戦行動
1942年 2月〜ラバウル北方海域へ進出
       3月 4日フレンチフリゲート礁にてハワイ爆撃に向かう飛行艇隊への給油を実施
       5月20日〜北方部隊へ編入。アリューシャン列島付近で哨戒任務に従事
       6月19日ダッチハーバーを偵察
       9月〜横須賀を経由しソロモン方面へ転戦。トラックへ進出
      10月〜インディスペンサブル環礁にて航空部隊への補給を実施
      11月 3日ソロモン群島東方にて通信後、消息不明となる
(サンクリストバル島付近で米掃海艇隊の攻撃を受け沈没説がある)
      12月24日除籍(12月5日戦没認定)
「イ−17」 
1938年 4月18日横須賀工廠にて起工
1939年 7月19日進水
1941年 1月24日竣工
     12月〜太平洋戦争に参加。ハワイ沖や米西岸で作戦行動
1942年 2月24日カリフォルニア州エルウッド精油所を砲撃。同年3月本土へ帰還
       5月15日〜北方部隊へ編入。アリューシャン列島付近で哨戒任務に従事
       8月〜横須賀を経由しソロモン方面へ転戦。トラックへ進出
      11月ガダルカナルへの輸送任務に従事。同年12月本土へ帰還
1943年 1月〜トラック方面へ進出。ガダルカナルやニューギニアへの輸送任務に従事
       5月23日ヌーメア沖で米タンカーを攻撃。舶送中だった米魚雷艇(六隻中二隻)を含め撃沈
(日本海軍の潜水艦が米魚雷艇を沈めた唯一の事例)
       7月25日〜エスピリットサント島、ヌーメア方面の偵察に出撃
       8月10日エスピリッツサント島飛行場を偵察後、消息不明となる
(8月19日ヌーメア湾沖にてニュージーランド艦「トゥイ」の攻撃を受け沈没)
      12月 1日除籍(10月24日戦没認定)
「イ−19」 
1938年 3月15日三菱重工神戸にて起工
1939年 9月16日進水
1941年 4月28日竣工
      12月〜太平洋戦争に参加。ハワイ沖や米西岸で作戦行動
1942年 3月 4日フレンチフリゲート礁にてハワイ爆撃に向かう飛行艇隊への給油を実施
       5月20日〜北方部隊へ編入。アリューシャン列島付近で哨戒任務に従事
       5月29日ダッチハーバーを偵察
       8月〜横須賀を経由しソロモン方面へ転戦。トラックへ進出
       9月15日サンクリストバル島南東にて米空母「ワスプ」を雷撃、撃沈する
外れた魚雷も「ワスプ」から10キロ離れた米戦艦「ノースカロライナ」、米駆逐艦
「オブライエン」に命中、戦艦1大破、駆逐艦1撃破(後に沈没)の戦果を挙げた
      10月〜トラックを拠点にヌーメア方面偵察やガダルカナル輸送などに従事
1943年 1月25日〜本土へ帰還。修理などを実施
       3月末〜トラックへ進出。南太平洋で通商破壊に従事
      11月17日搭載水偵による真珠湾の飛行偵察に成功
      11月19日タラワ方面で通信後消息不明となる
(11月26日タラワ島西南沖にて米駆逐隊の攻撃を受け沈没説がある)
1944年 4月30日除籍(2月2日戦没認定)
「イ−21」(2代) 
1939年 1月 7日川崎重工にて起工
1940年 2月24日進水
1941年 7月15日竣工
      12月〜太平洋戦争に参加。ハワイ沖や米西岸で作戦行動
1942年 4月〜ポートモレスビー攻略を支援
       5月ヌーメアの監視任務や敵船団攻撃、敵拠点への飛行偵察などを実施
       6月 8日ニューカッスル島への浮上砲撃を実施。7月12日本土へ帰還
       8月23日〜ソロモン南東方面の哨戒任務や偵察任務に従事
      12月21日〜トラックを拠点にガダルカナルやブナへの輸送任務に従事
1943年 1月〜オーストラリア東岸の通商破壊に従事。3月3日本土へ帰還
       5月〜北方部隊へ編入。キスカ撤退作戦に従事。8月5日本土へ帰還
      10月〜トラックに進出。偵察任務や哨戒任務に従事
      11月27日タラワ方面にて状況報告後に消息不明となる
(タラワ南方で米哨戒機の攻撃を受け沈没との説あり)
1944年 4月30日除籍(前年12月24日戦没認定)
「イ−23」(2代) 
1938年12月 8日横須賀工廠にて起工
1939年11月24日進水
1941年 9月27日竣工
      12月〜太平洋戦争に参加。ハワイ沖や米西岸で作戦行動
1942年 2月 1日クェゼリン礁にて米機動部隊の空襲を受け軽微な損傷を負う
       2月 8日オアフ島南方にて状況報告後に消息不明となる
(米側に該当資料なしのため原因は不明)
       4月30日除籍(2月28日戦没認定)
「イ−25」 
1939年 2月 3日三菱重工神戸にて起工
1940年 6月 8日進水
1941年10月15日竣工
      12月〜太平洋戦争に参加。ハワイ沖や米西岸で作戦行動
1942年 2月17日搭載水偵によるシドニーの飛行偵察を実施
(「イ−25」は日本海軍潜水艦のうち最も多くの飛行偵察を行った艦で、その生涯に
11回の飛行偵察(米本土爆撃を含む)を成功させている)
       6月22日米オレゴン州アストリアを浮上砲撃する
       9月 9日オレゴン州の森林を搭載水偵により爆撃。森林火災を発生させる
同月29日にも再度爆撃を実施している
(日本軍機による唯一の米本土空襲)
      10月10日米本土500浬沖にてソ連潜「L−16」を雷撃し撃沈する。10月24日本土へ帰還
(当時、日ソは中立条約により交戦状態になかったが、攻撃した側も沈没した側も
相手の正体を正確に知ることができなかったため問題は表面化しなかった)
      12月 1日〜ラバウルへ進出。ブナへの輸送任務に従事
1943年 2月〜南太平洋方面にて偵察や通商破壊などに従事
       8月24日〜エスピリットサント島やスパへの偵察任務に出撃
9月16日の指令受領連絡以降に消息を絶つ
(米側に該当資料なしのため原因は不明)
      12月 1日除籍(10月24日戦没認定)
「イ−26」 
1939年 6月 7日呉工廠にて起工
1940年 4月10日進水
1941年11月16日竣工
     12月〜太平洋戦争に参加。北方海域や米西岸で作戦行動
1942年 3月 4日フレンチフリゲート礁にてハワイ爆撃に向かう飛行艇隊への給油を実施
       5月末〜シアトル沖に進出し、通商破壊を実施
       6月21日バンクーバー島(カナダ)の無線羅針局を浮上砲撃。7月7日本土へ帰還
       8月15日〜ソロモン方面へ出撃
       8月31日サンクリストバル島東方にて米空母「サラトガ」を雷撃、損傷を負わせる
      11月13日サンクリストバル島西方にて米軽巡「ジュノー」を雷撃、撃沈する
1943年 1月〜トラックを拠点にガダルカナルへの輸送任務に従事。8月本土へ帰還
      11月〜ペナン経由でアラビア半島沿岸へ進出。オマーン湾などで通商破壊を実施
翌年1月ペナン経由でシンガポールへ帰還
1944年 2月27日〜「よ輸送」(インド独立運動支援のための秘密工作員輸送任務)実施のためペナンを出港
工作員をカラチ(パキスタン)に上陸させたあとは、アラビア海で通商破壊に従事
5月に本土へ帰還
       6月〜サイパン島への輸送任務やグアム島からの人員輸送などに従事
      10月25日レイテ沖海戦に参加。敵空母発見の報を最後に消息不明となる
(11月17日フィリピン海にて米空母機および護衛駆逐艦の攻撃を受け沈没)
1945年 3月10日除籍(前年11月21日戦没認定)
「イ−27」 
1939年 7月 5日佐世保工廠にて起工
1940年 6月 6日進水
1942年 2月24日竣工
       4月15日〜呉を出港。5月17日トラックにて甲標的を搭載
       5月31日シドニー湾への甲標的攻撃を実施。6月25日クェゼリンへ帰還
       8月末〜ベンガル湾などにて通商破壊に従事
1943年 3月〜ペナンを拠点にインド洋などで通商破壊に従事。8月ペナンへ帰還
       9月〜再度インド洋などで通商破壊に従事。12月ペナンへ帰還
1944年 2月 4日通商破壊のためペナンを出港
       2月12日マルティブ諸島南西で英駆「パラディン」の攻撃を受け、浮上砲戦後沈没
       7月10日除籍(5月15日戦没認定)
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