敷設艦 八重山(2代)

Minelayer "Yaeyama(2)"


八重山
敷設艦「八重山」(1932年)
スペックデータ(竣工時)
排水量:(公)1,380t ボイラー:ロ号艦本式罐・石炭重油混焼×2基 燃料搭載量:石炭 255t
        重油  80t
全長:85.50m
全幅:10.65m 主機:直立型往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:2.84m
出力:4,800hp
武装:
45口径12cm単装砲2基、6号機雷185個搭載
最大速力:20.0kt
航続距離:14ktで3000浬
乗員定数:180名

同型艦名(1隻)
八重山(2代)"Yaeyama(2)"

敷設艦 八重山(2代)について
 軍縮条約時代に作られた新造敷設艦で、戦時における前進基地への急速な展開のため高速力の発揮が可能で、また浚せつ等を行われていない港湾や大河川河口などでの敷設作業のため、低吃水であることを念頭に設計建造された。そのため艦内スペースが限られることになり機雷搭載量は少なくなっている。
 敷設艦は単艦で建造する場合が多いため、いろいろな新技術実用化の実験にも用いられることが多いがこの「八重山」も、船体を全溶接ブロック式構造とされ建艦方式の実験的側面を持っていた。
 機関はレシプロ式で石炭・重油の混燃缶を装備しており燃料搭載量も少なかったので、航続距離は短かったが、太平洋戦争中は第三南遣艦隊旗艦として東南アジア方面で活躍している。

敷設艦 八重山(2代)の歴史
「八重山」(2代)「八重山」=沖縄県南西部の八重山列島から取った名称
石垣島・西表島と少数の小島からなり日本最西端の地である
1930年 8月 2日呉工廠にて起工
1931年10月15日進水
1932年 8月31日竣工
1930年代中盤友鶴事件を受けて復原性改善工事などを実施
1937年日中戦争勃発のため、中支方面へ進出
1941年12月太平洋戦争に参加。フィリピン攻略作戦等に従事
1942年 1月第三南遣艦隊旗艦となり、比島方面で行動
1944年 9月24日ミンドロ島南方にて米軍機の攻撃を受け沈没
      11月10日除籍


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