測量艦 筑紫(2代)

Survey Ship "Tukusi(2)"


筑紫
測量艦「筑紫」(1941年)
スペックデータ
排水量:(公)1,600t ボイラー:ホ号艦本式・重油専焼×2基(補助用) 燃料搭載量:重油 255t
全長:79.30m
全幅:10.60m 主機:MAN式3号10型ディーゼル機関×3基、3軸推進
吃水:3.60m
出力:5,700hp
武装:
40口径12.7cm連装高角砲2基、25mm連装機銃2基
小型水偵1機搭載
最大速力:19.7kt
航続距離:16ktで8000浬
乗員定数:128名+水測部65名

同型艦名(1隻)
筑紫(2代)"Tukusi(2)"

測量艦 筑紫(2代)について
 昭和12年度の第3次補充計画(マル3計画)にて建造された測量艦。日本海軍が計画当初から専用の測量艦として建造した最初で最後の艦である。
 機関には戦艦「大和」「武蔵」で使用するはずだったディーゼル機関が計画の変更に伴い流用されている。敵地での強行偵察も任務だったため対空兵装が他の測量艦に比べ強化されており、他にも航空測量のための小型水偵(12試潜偵。後の零式小型水上偵察機)も搭載された。
 太平洋戦争開戦直後に竣工した当艦は、緒戦から測量任務や輸送任務に従事しているが、艦の大きさに比べ乗員数が多く(運用要員だけでなく測量や調査を担当する人員も乗艦したため)かなり居住性は悪かったようだ。
 同型艦の建造も計画されているが戦局の悪化により計画は全て中止となっている。

測量艦 筑紫の歴史
「筑紫」(2代)「筑紫」=古い国名。広くは九州全体を指し、狭義には筑前と
筑後を合わせた国名。現在の福岡県地方
1940年 1月三菱横浜にて起工
      11月29日進水
1941年12月17日竣工
      12月末〜太平洋戦争に参加。フィリピン攻略作戦などの南方作戦に参加
1942年 3月〜スラバヤ、ダバオ等の測量任務に従事
      10月〜トラック経由でタラワへ進出
      10月15日タラワにて米重巡「ポートランド」の砲撃を受けるも損傷なし
1943年 3月末トラック経由で横須賀へ帰還。帰還後は修理を実施
       6月〜トラック経由でラバウルに進出。同方面にて測量任務に従事
      11月 4日カビエン港外にて触雷、沈没
1944年 1月 5日除籍


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