第5号型 水雷艇

"No.5" Class TorpedoBoats


第12号水雷艇
第12号水雷艇(1900年頃)
スペックデータ
排水量:(常)54t ボイラー:汽車罐・石炭専焼×1基 燃料搭載量:石炭 8t
全長:33.76m
全幅:3.35m 主機:直立型往復動蒸気機関(2気筒2段膨張式)×1基、1軸推進
吃水:0.89m
出力:525hp
武装:
47mm単装砲1基、35.6cm魚雷単装発射管2基2門
最大速力:20.0kt
航続距離:10ktで1000浬
乗員定数:不明

同型艦名(14隻)
第5号"No.5"第6号"No.6"第7号"No.7"第8号"No.8"第9号"No.9"
第10号"No.10"第11号"No.11"第12号"No.12"第13号"No.13"第14号"No.14"
第16号"No.16"第17号"No.17"第18号"No.18"第19号"No.19" 

第5号型水雷艇について
 明治18年頃にフランスのクルーソン社に発注建造された魚雷艇。全部で14隻が建造され、フランスで建造された艇は完成後に分解して日本へ舶送、神戸の小野浜造船所(後の呉鎮守府造船部支部)にて再組立された。また「第10号」以降は呉工廠造船部支部にて建造が行われている。
 このように明治期には多数の艦が外国へ発注されたが、同種の艦をいくつもの受注者に分けて発注したのは予算の都合の他に、外国の技術を比較検討のうえ取り入れるためという理由もあった。このクルーソン型水雷艇は小さな船体に機関を押し込めた感じのする船で非常に居住性が悪かったといわれる。
 水雷艇第5号型の各艦は日清戦争で活躍したが、第9号水雷艇は威海衛夜襲の際に損傷し清国海軍に拿捕され、日本海軍初の敵に捕獲された艦艇となっている(なお戦争が日本勝利に終わったため戦後艦隊に復帰できた)。

第5号型水雷艇の歴史
「第5号」 
1892年 3月26日仏クルーソン社にて竣工。公試後日本へ舶送される
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1907年 9月28日除籍。標的船として使用され沈没
「第6号」 
1892年 3月26日仏クルーソン社にて竣工。公試後日本へ舶送される
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1910年 4月 1日除籍
「第7号」 
1892年 4月 2日仏クルーソン社にて竣工。公試後日本へ舶送される
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1910年 4月 1日除籍
「第8号」 
1892年 4月 7日仏クルーソン社にて竣工。公試後日本へ舶送される
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1908年 4月 1日除籍
「第9号」 
1892年 4月11日仏クルーソン社にて竣工。公試後日本へ舶送される
1894年日清戦争に参加
1895年 2月 5日威海衛夜襲作戦の際に損傷。清国海軍に捕獲される(戦後、艦隊に復帰)
1908年 4月 1日除籍
「第10号」 
1892年 4月17日小野浜造船所にて竣工
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1910年 4月 1日除籍
「第11号」 
1894年 3月31日呉鎮守府造船部支部にて竣工
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1910年 4月 1日除籍
「第12号」 
1893年10月11日呉鎮守府造船部支部にて竣工
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1910年 4月 1日除籍
「第13号」 
1893年10月11日呉鎮守府造船部支部にて竣工
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1910年 4月 1日除籍
「第14号」 
1893年10月18日呉鎮守府造船部支部にて竣工
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1910年 4月 1日除籍
「第16号」 
1893年11月29日呉鎮守府造船部支部にて竣工
1894年日清戦争に参加。澎湖島攻略作戦等に従事
1895年 5月11日澎湖島にて荒天のため転覆沈没
1895年(月日不明)除籍
「第17号」 
1893年11月29日呉鎮守府造船部支部にて竣工
1894年日清戦争に参加。澎湖島攻略作戦等に従事
1910年 4月 1日除籍
「第18号」 
1893年11月 1日呉鎮守府造船部支部にて竣工
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1910年 4月 1日除籍
「第19号」 
1894年 2月17日呉鎮守府造船部支部にて竣工
1894年日清戦争に参加。威海衛夜襲作戦等に従事
1910年 4月 1日除籍


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