第39号型 水雷艇

"No.39" Class TorpedoBoats


第66号水雷艇
第66号水雷艇(1907年頃)
スペックデータ
排水量:(常)110t ボイラー:ヤーロー罐・石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭 36t
全長:46.81m
全幅:4.65m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×1基、1軸推進
吃水:1.07m
出力:2,000hp
武装:
57mm単装砲2基、35.6cm魚雷単装発射管3基3門
最大速力:27.0kt
航続距離:不明
乗員定数:不明

同型艦名(10隻)
第39号"No.39"第40号"No.40"第41号"No.41"第42号"No.42"第43号"No.43"
第62号"No.62"第63号"No.63"第64号"No.64"第65号"No.65"第66号"No.66"

第39号型水雷艇について
 日清戦争後に英国のヤーロー社に発注建造された水雷艇。第39号〜43号は横須賀工廠、第62号以降は呉工廠にて再組立された。当時の日本海軍の駆逐艦は英国製(ヤーロー社・ソーニクロフト社)で占められていたため、その縮小版ともいえる艇であった。
 新たに登場した駆逐艦という艦種は水雷艇にとって天敵のようなもの(実際、敵水雷艇を『駆逐』する艦という意味)であったため、これに対抗するために凌波性を高めるため船体は大きくなり、機関出力も増大したため最高速度も向上している。
 このクラスの水雷艇は実用性が高く、船体の大型化に伴って居住性も(従前の水雷艇に比べれば)良くなっており、日露戦争では活躍したものの、短い現役期間で全艦退役している。

第39号型水雷艇の歴史
「第39号」 
1901年 2月28日英ヤーロー社にて竣工。分解舶送ののち横須賀工廠にて再組立
1904年日露戦争に参加。旅順攻略作戦等に参加
1913年 4月 1日除籍
「第40号」 
1901年 3月 4日英ヤーロー社にて竣工。分解舶送ののち横須賀工廠にて再組立
1904年日露戦争に参加。日本海海戦等に参加
1913年 4月 1日除籍
「第41号」 
1901年 3月 7日英ヤーロー社にて竣工。分解舶送ののち横須賀工廠にて再組立
1904年日露戦争に参加。日本海海戦等に参加
1914年12月 8日除籍。朝鮮総督府に移管される
「第42号」 
1901年 4月29日英ヤーロー社にて竣工。分解舶送ののち横須賀工廠にて再組立
1904年日露戦争に参加
     12月14日旅順攻略作戦に従事中、敵の砲撃を受け沈没
 除籍年月日 不明
「第43号」 
1901年 4月29日英ヤーロー社にて竣工。分解舶送ののち横須賀工廠にて再組立
1904年日露戦争に参加。旅順攻略作戦等に参加
1905年 5月27日日本海海戦にて水雷艇「鷺」と衝突。損傷する
1914年12月 8日除籍。朝鮮総督府に移管される
「第62号」 
1902年 3月16日英ヤーロー社にて竣工。分解舶送ののち佐世保工廠にて再組立
1904年日露戦争に参加。旅順攻略作戦等に参加
1913年 4月 1日除籍
「第63号」 
1902年 2月26日英ヤーロー社にて竣工。分解舶送ののち佐世保工廠にて再組立
1904年日露戦争に参加。日本海海戦等に参加
1913年 4月 1日除籍
「第64号」 
1902年 3月25日英ヤーロー社にて竣工。分解舶送ののち佐世保工廠にて再組立
1904年日露戦争に参加。旅順攻略作戦等に参加
1913年 4月 1日除籍
「第65号」 
1902年 3月15日英ヤーロー社にて竣工。分解舶送ののち佐世保工廠にて再組立
1904年日露戦争に参加。旅順攻略作戦等に参加
1913年 4月 1日除籍
「第66号」 
1902年 4月 1日英ヤーロー社にて竣工。分解舶送ののち佐世保工廠にて再組立
1904年日露戦争に参加。日本海海戦等に参加
1916年 7月 1日除籍


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