水雷母艦 豊橋

Torpedoboat Tender "Toyohasi"


豊橋
水雷母艦「豊橋」(1900年頃)
スペックデータ
排水量:(常)4,060t ボイラー:石炭専焼・宮原式水管×基数不明 燃料搭載量:石炭 搭載量不明
全長:104.86m
全幅:12.24m 主機:直立型往復動蒸気機関(3気筒3段膨張式)×1基、1軸推進
吃水:5.05m
出力:2,120hp
武装:
12cm単装砲2基、47mm単装砲6基
最大速力:13.0kt
航続距離:不明
乗員定数:206名

同型艦名(1隻)
豊橋"Toyohasi"

水雷母艦 豊橋について
 日清戦争に際し、日本海軍は明治27年(1894年)に軍用船舶増強のため外国から商船を十四隻購入した。そのうちの一隻がこの「豊橋」(当初は「豊橋丸」と命名)である。
 日清戦争終了後には購入名義社であった日本郵船に払い下げる予定であったのだが、母船・工作船としての価値が高かったため、そのまま海軍の保有船となり明治30年に艦籍に入り「豊橋」と改名され、翌年に初めて定められた艦艇類別により水雷母艦となった。水雷母艦とは居住スペースの小さい駆逐艦や水雷艇に対して、物資の補給・乗員の保養・船体の工作修理などを行う艦艇であり、「豊橋」も日露戦争では最前線で活躍した。
 明治38年にホランド潜水艇が導入されると「豊橋」は日本初の潜水母艦(ただし類別は水雷母艦のまま)となり、日本海軍潜水艦隊発展の基礎を築いたのである。
 除籍後も練習船や運送船として活躍し、第一次世界大戦時には元海軍艦艇としてはめずらしく陸軍の御用船としての任務にも就いている。

水雷母艦 豊橋の歴史
「豊橋」「豊橋」=都市名による命名。愛知県豊橋市から取った名称
1888年12月イギリスにて商船「フリントシャー」[Flintshire]として竣工
(88年12月進水、翌年竣工の説あり)
1894年軍用船増強のため日本政府が購入。「豊橋丸」と命名され陸軍輸送船として使用
1897年12月 1日海軍へ移管。艦籍に編入され「豊橋」と改名
1898年 3月21日水雷母艦に類別
1900年山東省沖で座礁沈没した駆逐艦「霓」の引き揚げ救援に派遣される
1904年〜日露戦争に参加
1908年11月 2日〜第一潜水艇隊の編成に伴い、同隊の母艦として任務に従事する
1910年 4月15日「第六潜水艇」沈没事故の際、捜索・救難活動に従事
1912年 8月28日二等海防艦に類別
1914年 4月 1日除籍
       8月16日雑役船(水雷艇母船)に類別。船名を「豊橋丸」と改名
1915年 4月 1日日本海員掖済会に払い下げ。第一次大戦では陸軍御用船として使用される
1922年 4月22日下北半島沖で座礁。引き揚げられるも老朽化のため売却される
その後も1930年代まで民間商船や蟹工船などに使用されている


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